Buca dell’Orafo@Firenze

 

6月1日に創刊号が出る熟年向け旅雑誌の特集のためフィレンツェの”観光の合間に使い勝手のいいお店”4軒を取材。その一つとして、馴染みのここを訪れた。前回はいつだったか思い出せないくらい時間が空いているが、取材のお陰で春の名物キタリーネ・アイ・ピゼッリーニ・フレスキを逃さずに済んだのは僥倖。

昨夏に料理人であるS弥君が辞めて(ニッポンに帰国。元気でいるらしいことをなぜかここの厨房のミルコから教えられる)、秋から厨房に入ったR太君と初めてまともにご挨拶。店主ジョルダーノが「ものすごくブラーヴォ」というだけあって、きちんと折り目正しい好青年とお見受けした。

そのジョルダーノは約束の時間より40分遅刻。入ってきていきなり「18時半の約束だったよな」と言うが、いいえ、18時、否、最初は17時に来いといったのはジョルダーノ本人である。まぁこういうことはよくある話、でも、責められたくないイタリア人は頑に自分の非を認めない。そんなに意固地に言い張ることはないのに、といつも思う。よっぽど切羽詰まってない限り、私はそんなことでは責めない(たぶん)。

撮影用に頼んだ料理は、いつもとは違う、どこにしまってあったの?と思うような大皿。一人分には大きすぎて白が目立つし、立ちのない皿は熱いパスタがだらりと広がってしまう。残念。遅刻して妙にテンションが上がっているジョルダーノに作り直してもらうのは無理と判断、そのまま撮影する。お客として実際に料理を目にするときと、カメラの画面でとらえる料理では、皿の大きさは非常に大きな問題である。もっときちんと言えば、皿と料理のバランスは要だ。余白の美は人間の目にはきちんと捉えられても、カメラには単なる余白でしかない。それを料理人に理解してもらうのは難しいといつも感じる。

撮影終わって、いつものお皿でパスタを堪能。この時期だけの甘みたっぷりのグリンピースは細い麺とスクラム組んで
繊細かつ元気な春の味を繰り出してくる。この一皿には下手なボトルワインなどではなく、カラフェで出てくるごくごく軽いハウスワインが本当に良く合う。mnm