シチリアのことわざ
弊著「シチリア美食の王国へ」の中でもいくつか紹介しましたが、今回のシチリアの旅でまたしても雷に打たれたので、我々現代人が知るべきシチリアのことわざを幾つか紹介します。かつて開高健がこうした西欧のアフォリズムをいくつも集めて一冊の本にしましたが、シチリアのことわざだけでもそれに匹敵するボキャブラリーがあるようです。
A pani schittu. lu veru cumpanaggiu e’ lu pitittu.
「もしパンだけしか食べ物がないとしたら、食欲こそが最良の相伴である」
Pane e vino, rinforza la spina dorsale.
「パンとヴィーノこそが背筋をしゃんとさせる(ルイジ・ピランデッロ)」
こちらは「シチリア美食の王国へ」でも紹介しました。
Chi si sposa sta contento un giorno;chi scanna il porco, un anno.
「結婚するものは1日幸せに、豚を屠ふるものは1年幸せに」
この真実は先日目の当たりにしたばかりです。
Acqua ‘e papiri; e vinu, all’omini.
「水はあひるにワインは男に」
これも真実です。
L’asinu chi ha fami, magia ogni strami.
「餓えたロバはなんでも食らう」
溺れるものはわらをもつかむ、といったとこでしょうか。
Vucca chiusa non parra.
「口に食べ物いっぱいの時しゃべってはいけない」
これは子供へのしつけである一方、逆説的に「黙らせるには食わせればいい」という意味もあります。つまり袖の下ですな。
Ci volunu quatrrru uomini ppi fari ‘na bona ‘nsalata:un pazzo(per mescolare), un saggio(per dosare il sale), un avaro(per l’aceto), uno sprecone(per l’olio, che deve essere abbondante).
「美味しいサラダを作るには4人の男が必要である。狂人(まぜる役)、賢者(塩をふる役)、吝嗇家(酢の役)そして浪費家(オイルの役、たっぷりと)
これはイタリア流コンディメントの真実であります。
Cu mangia sulu, s’affuca.
「一人で食事するものはいつか首を吊る」
他人と食卓を共有できないものはいつかその代償を払う、ということです。
最後に弊Rotonda Club Italiana WEBがつねに標榜するアフォリズムでもありますが
Si mangia ppi campari, e non si campa ppi mangiari.
「生きるために食うのであって食うために生きるのではない」
平易な言葉でいえばシチリア料理はとても「美味しい」のですが、それは生の目的でなく手段であり、美食を追求する高度消費社会へのアンチテーゼとしてこういう考えをアンチガストロノミーといいます。そもそも「美味しい」「美味しくない」という言葉を使って料理を二元論で語り始めた瞬間、その本質は水泡に帰す、と考えるのは私だけでしょうか。全ての消費社会に。
MASA
ほぅ・・・ですね。豚のお話とサラダのお話は聞いたことがありました。漢詩からきている中国のことわざに比べて、身近で真実味あふれますよね。目下フィレンツェのレストランとホテル検索中です。電車でフィレンツェ直行が有力なので。
SZ様 大変遅くなりましたがさきほど南伊から戻ってきました。フィレンツェはいかがでしたでしょうか。MASA
声を出して読んでみたら、目を丸くして驚かれました。(笑)
「どこでそんなの習ったんだ!」って。
印刷して覚えたいと思います。
もうすぐ一時帰国なので本も探してみます。
ヒロ吉様 コメントどうもありがとうございます。シチリアのことわざは、決して牧歌的な雰囲気でなく、生の激しさを否応なく感じさせてくれる凄みと恐ろしさに満ち満ちています、よね。そんなことを考えながら今「Commissario Montalbano」見てます。MASA