DOCGは奨励賞?!

モレッリーノ・ディ・スカンサーノがDOCGに昇格。へぇぇ、あれもDOCGなんだ、と思うケースがまた誕生したわけだ。イタリアワインのわかりにくさの象徴とも言われる、DOCG、DOC、IGT、VdTなどなどの格付けは、それがワインの良し悪しではなく、生産者組合の力量を表すものとして理解されなければならない。生産者組合がそこの自治体を引き込んで国に働きかけることによって獲得される格付けは、だから、ワインの格付けというよりも、生産者組合の影響力の格付けである。

DOC、特にDOCGの抱える問題は、ワインのクォリティはもちろんのこと、そのワイン特有の性格が明確なものとそうでないものが混在しているところにもある。たとえば、キャンティ・クラッシコ。600あまりの生産者が組合に加盟している大所帯のワインは生産者によって土地によってそれこそ無限のバリエーションがあるといっても過言ではない。共通の性格やイメージを打ち立てられず、消費者に混乱を与えているとワインガイドEspressoのエルネスト・ジェンティーリも警鐘を鳴らしている。

同氏はまた、そもそもイタリア全国に550ものDOCがあるのもいかがなものか、と疑問を呈す。DOC、DOCGはこれから増えこそすれ、減ることはないのだから、細かなDOCが次々に追加されていくのは果たして意味があるものなのか、と。たとえば、カルミニャーノはたった7生産者しかいない状態でDOCを獲得した(その後DOCGに昇格、生産者数も倍増)が、メディチ・トスカーナ大公によって17世紀初頭に当時のDOCG待遇を受けたその歴史ゆえであり、品質や味わいが評価されたというわけではない。そんな”理由”なら、イタリアにはごろごろしている。

しかし、”適度”な規模のDOC、DOCGであればその格付けが奏功するとも言う。生産者組合としてイメージ戦略が立てやすいし、組合全体としての品質向上活動が図られ、結果としてより優れたワインを生み出すのだと。つまり、それって、DOCGになることによってより良いワインに成長する可能性があるっていうこと? ある程度の格があるからDOCGになったのだと信じている消費者はまだまだ少なくない現実をふまえると、それは半ば詐欺みたいなものでは...と思うのだが。mnm
(引用はTeatro Naturaleより)