Bari〜Matera〜Napoli
某月某日よりローマ経由でバーリ、マテーラ&ナポリへ。数年ぶりのバーリは「危ない」といわれていた旧市街も修復が進んだようで、すっかりあか抜けて土産物屋が並び、観光客が歩くほのぼのムード。時折街角で朝からオレッキエッテを作る主婦連の姿が見えるのはさすがプーリア。
同じく数年ぶりに訪れたマテーラはこれまたさらに修復が進み、旅行者が安心して歩けるような緩い空気がそこはかとなくただよう。10年以上前に初めてレンタカーで訪れたときには、「ガイドします、案内します」とこちらの車をいつまでも走っておいかけてくるスラブ系?移民系に辟易したものだが、そんな思い出はいまや遠い昔のエピソード。世界遺産化による浄化作用の影響は大きい。とはいえアルベッロベッロのようなテーマパーク化しないことを祈る。写真はマテーラ旧市街、サッソ・バリサーノから見たドゥオモと旧市街の夕景。雨上がりの夜7時。MASA
いつも楽しく拝見しております。
CREA Travellerの記事も楽しく拝見しました。
イタリアの各地方はそれぞれいろんな楽しみや魅力がありますが、イタリア中を旅されていらして見て、マテーラやバーリへの魅力はどこにあるのでしょう?
イタリア旅行の参考になれればと思いまして、、、
取材ご苦労さまです^-^:写真とってもキレイです。目を凝らして見入ってしまいました。雨の日や雨上がりって、閉じ込められる感じや、境界線を曖昧にする感じが、好きです「ネクラなんです私・・」
レンタカー・・ガイドする、案内する、、「苦笑」
私は車で信号待ちに、ジプシーのミモザ?モミザ?名前どっちか忘れましたが、黄色の花を売りつけられたり、フロントガラスをタイルで拭かれて、お金を要求されました・・「怖」
南へ移動ですか~^.^~ 池田さん、イタリアって北と南では随分と印象が違うように思えるんです。働き者の北に比べると・・南は一体全体に何をして暮らしてるのか、と思う。将来は北と南が独立する、と私はひそかに予感。なぁ~んて。
前回の郵便、あれから届きました!よがっだぁー!と涙まじりに叫んでしまいそうでした。こんな心配するなんて困ったもんです。
いつもすっかり余談話ですみませんm–m
ではまた~遊びに来ますね!
kazuharu_2002様
コメントどうもありがとうございます。人それぞれかと思いますが、私に取って南への旅は20代の頃の南伊旅行をいつも思い出す、追憶の旅でもあります。
というのは個人的な話でして、イタリア人の間でもボローニャ以南はアフリカだ、とか(というとフィレンツェもか?)いや、ポー川が境界だ、とかいう原理主義者もいらっしゃいますが、それもさもありなん。
試しにイタリア地図でなく、ヨーロッパの地図を見てみますと、アドリア海をはさんではいるものの、バーリはミラノよりもアルバニアやクロアチアの方が距離的には近いのです。
というような地理的事情もあり、イタリア統一以降北から始まった文明開化の波は緩やかに南伊へと浸透していったのでしょう、といいますか今もおよんでいないような気もしますが。マテーラなどはその典型で戦後「イタリアの恥部」といわれた時代もありました。そうした負の歴史を抱えつつも、陽光あふれる開放感あふれる空気、食文化、建築などの魅力を加えてみるとバランスシートはつねに大きくプラスの方向に振れている、そんなイメージが南イタリアにはある気がいたします。MASA
Alitalia様
郵便届いてよかったですね。ジ●シーさんというのは我々出版に携わるもののあいだでは一応差語という出版コードに触れるのでロ●の方々、という風に表記するよう指導されておりますが、この時はそのロ●さんでなくアル●ニア系の方々でした。あのあたりはアル●ニアの方々が入植した町が多くあり、バジリカータとカラブリア州境の山間の町には道路標識がアル●ニア語で書かれた町もあります。●がやたら多くて読みにくいですね、どうもすみません。
例の窓ふきは現在の中道右派になって以来、南北分離をマジで考えている「緑色」がテーマカラーの与党の方々が中心に外国人と移民に厳しい政策をとっていられるので、最近はすっかり見かけなくなりました。でもミモザを売るロ●さんというのはやはり3月でしょうか。それもイタリアに本格的な春が訪れる前、なんとなく街中がうきうきした気分に満ちた風物詩のひとつかと。
南の人が働かない、というのは単に仕事がないということもありますが、庭には果物がなっててオリーヴもブドウも豊か。イタリアの穀倉と呼ばれるだけにパンも美味しいし、パスタは毎日かあちゃんが打ってくれる。チーズは親戚のおじさんがいつもくれるし、岸壁から釣り糸を垂らせば夕食のおかずぐらいはすぐ釣れる。こういうところに生まれ、暮らしていたらなんかあくせく働くのが馬鹿らしくなるような、そんな南イタリアでございます。MASA
MASAさん、
ご丁寧にありがとうございます。
大変参考になります。
ちなみにエリアによる人間の個性などもありますか?
地理的にアルバニアとかクロアチア文化の臭いもするような感じですかね?
プーリアにはモンテ城などというちょっとイタリアらしからぬ異質なお城もあるとか、周辺国の影響なんでしょうか?
いろいろ参考にさせて頂きます。
kazuharu_2002様
カステル・デル・モンテはその昔アリタリアのポスターになってたことがあってその当時は「なんじゃこりゃ」とその異形ぶりにたまげました。で、後年実際に訪れてその中に入ってみると一切の装飾をそぎ落とした実に異教徒的な空間でした。といいますのも、これは非ラテン、北方から来たホーエンシュタウフェン家のシチリア王フェデリコ1世の建てたもので、同王はイスラムや正教会を庇護したので時の教皇から二度破門されたそうです。今日のパレルモで私たちが目にするような華麗なるノルマン・アラブ文化が花開き始めた頃のお話です。MASA