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AnnaMaria マンマの味を守り続けて

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「私のマンマは料理上手」という言葉は、もう古いのかもしれない。

日本ではここ数年女性の社会進出と、それを推し進める世の流れが力を増しているが、それはイタリアでも例外ではないようだ。「私のマンマは料理上手」と話すのはほとんどが30代以上の女性。

つまりマンマは母であり、そのほとんどがもうノンナであるのだ。20代以下の女の子に同じ質問をすればたいてい返ってくるのはこんな返事だ。
___「私のマンマはあまり料理しないの。でも、ノンナはとっても料理上手よ」。

イタリア料理の本領は郷土料理、マンマの味にある、というようなフレーズを何度か耳にしたことがある。街に古くから根付く食材を、マンマから受け継がれた味に仕上げていく。
そんな一皿でテーブルを埋め尽くす食堂を食べ歩くことはその街、街の人々、いや、イタリアを知ることの一つだと思っていたのだが…もう事情は変わってしまったのだろうか。

「AnnaMaria」はイタリアによくある食堂、Trattoriaである。場所はエミリア・ロマーニャ州、州都ボローニャ。駅から伸びるインディペンデンツァ通りを少し外れた道の先にある。店の名前は創始者であり、オーナーの女性、アンナ・マリアの名前を冠してある。

これまで女手一つでシェフ、経営のすべてを行ってきた。70代となった現在では愛弟子に厨房の中心的な役割を譲ったものの、食材の買い付け、仕入れは必ず自ら行い、地元ボローニャの農地へと足を運ぶ。

私が店で彼女と会ったとき、顔なじみを気前よく迎え入れながら初対面の私にも同様に暖かく迎え入れてくれた。
が、矢継早に訪れる客人たちに少し疲れたのだろうか。気づくとポルティコに椅子を置き、一人夜風に当たりながらドルチェをつまむ彼女の姿が窓越しに見えた

1940年ボローニャ近郊の町、サッソ・マルコーニでアンナ・マリアは生まれた。教育を受けたのは小学校まで。7歳からカメリエーレとして働き始めた。ボローニャ伝統料理の店「AnnaMaria」を構えたのは1985年のこと。独り身であったことから、将来を見据えたうえの決断だった。

女性が自分の店を持つ、と言っても現代ならさほど珍しい話でもないだろう。しかし、80年代ともなれば話は違う。女性の社会進出はおろか、男性中心の領域に女性一人で参入するとなれば、風当たりは強かったと彼女は言う。シェフになるだけならまだしも、彼女は経営まで自ら行おうとしていたのだから。

当時はそのような選択をする女性はほとんどいなかった。女性はマンマから家庭の味を受け継ぎ、結婚して家事をする。それが当たり前で、自然の流れであった。

しかし、結婚とは別の選択をしたものの、アンナ・マリアはマンマからきちんとボローニャの伝統的な家庭料理を引き継いでいた。そしてシェフとして経営者として、トラットリアと言う空間で、その味を多くの人々に分け与えたのである。

ゆえに、アンナ・マリアは成功した実業家でありながら、どこか家庭的な温かさをまとっている。それは彼女自身だけでなく店のレシピ、彼女の考え方、すべてにおいて、である。

例えばパスタはすべて手延べで行い、一切機械は使わない。温かく乾燥している手が一番いいという。生地は100gの小麦粉に卵は1つ、という定番の配合。

そこに、ボローニャ特産のモルタデッラ、プロシュット・コット、ロンツァ、さらにグラナ・パダーノを合わせて詰め、秘伝のブロードを合わせればアンナ・マリア自慢のトルテッリーニとなる。

ドルチェはレモンのアイスクリームが絶品。ふんわりと空気を含んだクリームは舌触りがとても柔らかい。高速のハンドミキサーではレモンの皮の風味が失われてしまうため、やはりこれも人手の撹拌でなくてはならない。

手で作られてきた美味しさは、機械では再現できない、とアンナ・マリアは言う。代々伝わってきた「マンマの味」を、マンマが作ってきたように作ること。それはTrattoriaであろうと、食卓であろうと変わらない。それが彼女の信念だ。

店に入れば、額に入れられた手書きのメッセージやイラスト、写真がところ狭しと目に飛び込んでくる。開店当時、経費を抑えながらできるデコレーションとしてアンナ・マリアが考案したものだ。

メッセージはいわば店を訪れた客の“足あと”。今では壁を一周ぐるりと囲むほどの枚数だ。顧客には有名人も多く名だたるオペラ歌手、オーケストラ奏者、政治家からスポーツ選手まで顔を連ねる。その間になじみの友人のメッセージも、もちろん飾ってある。
しかし、どれも同じように壁に掛かっている。誰もみな、「AnnaMaria」の客であることに変わりはない。

革新的なものは好まない、とアンナ・マリアは言う。彼女の哲学は、あくまで伝統の継承であり古くから伝わるものに命を吹き込み続けることにある。古くから伝わる料理には文化や歴史、人々の暮らしが詰まっている。
もちろん、「AnnaMaria」の料理にも。

しかし、それは現代では忘れ去られつつあるものだ、と彼女は言う。

これはイタリアのマンマが家で料理を作らなくなってきたことと、無関係ではないだろう。

家庭料理が既製品にとって代わられるならば、この店を訪れる者はやがて彼女の料理を「懐かしい味」としてしか、味わえないようになるのだろうか。

「私の“ノンナ”は料理上手」___この言葉を聞いて以来、そんな疑問を抱いていたのだが___
アンナ・マリアと出会ったことで、私の疑問は解消へと向かうことになる。

アンナ・マリアはすでに次のことを考えていた。

「Trattoria AnnaMaria」については32年間勤続するSimonetta Cesariを後継者として指名し、さらに職人の育成と伝統的な調理の教育にも力を入れる。

すたれゆく家庭の味を守ること。作り手を絶やさないこと。マンマから娘へ受け継がれることがなくなろうと、次の世代へと残すことはできる。

彼女は自身の店を通して、ボローニャの伝統を守ろうとしていた。「私のマンマは料理上手」。こんな言葉がありきたりだった時代の美しさを、彼女は懸命に守り続けている。

この店を訪れる者は誰もみな、温かいマンマの味を知る。時代が変わり、女性たちの生き方が変わっても、それは変わることはない。
なじみのボローニャっこも、つかの間の旅行客も同じように、マンマの味で体を温めていく。この味を作り続けたい、食べ続けたいという者が、これからも一つの料理を守っていくことだろう。

ボローニャはここ数年で急速に都市化が進み、今も中世の面影を残す建物に相まって、新旧入り組んだ街となりつつある。そんな街並みを巡りながら、ぜひ「Trattoria AnnaMaria」の扉を開けてみて欲しい。そこには一つの時代を生き抜いた女性の、変わらない想いが詰まった一皿が待っている。

最後に___ボローニャは、とても居心地の良い街である、ということも付け加えておこう。私はイタリアに行くと、必ずボローニャに寄る。ローマやフィレツェほど有名は世界遺産がなくとも、ミラノほどおしゃれではなくとも、ボローニャに寄る。ボローニャは、とにかく人がいいのだ。
街を散策していると、まるで友達のように話しかけてくる人がいる。探せば実は見どころも多い。暮らすように旅ができるのは、やはりボローニャだ…と、長くなるのでこの辺にしておこう。

変わりゆくボローニャにとって一人でも多くその味を記憶にとどめる人がいれば、なんとも幸せなことに違いない。もちろん、アンナ・マリアにとっても。


さて、多くのボローニェーゼから愛されているアンナ・マリアだが2012年、彼女の功績を綴ったショートフィルムがBarillaの主催するイベント(PremioCinema AcademiaBarilla2012)で受賞するという快挙を遂げた。
タイトルは「Tagliatelle e Buonanotte al Secchio」___和訳すると「タリアテッレと、それはそれ」___なんとも面白いタイトル。制作は映画の総合施設として広く知られるチネテカ・ディ・ボローニャ(2009年制作)。
「Trattoria AnnaMaria」を舞台に彼女の半生を描く18分のドキュメンタリーである。拙稿では描ききれなかった彼女の物語を、ぜひ映画で観ていただければ幸いです。
http://www.academiabarilla.it/italian-food-academy/premio-cine/storie-cucina-2012.aspx
(上から3つめ「Terzo Premio」をご覧ください)

崎野晴子
About 崎野晴子 (3 Articles)
料理家・フードジャーナリスト 料理編集者を経て料理家・フードジャーナリストへ。イタリアは中北部(エミリア・ロマーニャ州、トスカーナ州、ウンブリア州など)を中心に、豊かな食文化のお話をお届けします。
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