追悼ステファノ・ボニッリ Stefano Bonilli

Gambero Rossoの創設者でもあるジャーナリスト、ステファノ・ボニッリが2014年8月3日、ローマ市内の病院で息を引き取りました。69才、あまりにも早すぎる死でした。1971年、Manifesto紙の政治記者としてジャーナリストのキャリアをスタートしたステファノは1986年にGambero Rossoを開始。最初のGambero Rossoは8Pの新聞付録だったそうです。その後イタリアのフード・ジャーナリズム界を牽引する存在として急成長、1990年には出版社を創設しGuida dei Ristoranti、Vini d’Italiaの2誌はイタリアのワイン&レストランにとってミシュランをも上回る存在感を発揮し続けました。

ステファノは、後にSlow Food協会となるL’Arci Golaの創設者の一人で、他には現Slow Food協会会長のCarlo Petrini,はじめValentino Parlato、Dario Fo、Francesco Guccini、Sergio Stainoがいました。2008年にGambero Rossoの経営がステファノの手から離れると、今度はネットの世界に活動の中心を移します。Papero GialloやGazzetta Gastronomicaといった現在イタリアに数多く存在するフード系WEBマガジンのさきがけもやはりステファノ。SAPORITAもそうしたWEBマガジンに多大な影響を受けています。ステファノと会ったのは2010年、Vico Equenseで行われたFesta Vico一度きりでしたが、そのコワモテのイメージとは裏腹に、カメラを向けるとわざとにらんだ後ににっこりしてくれる、そんな茶目っ気たっぷりの人でした。常日頃から敬愛するジャーナリストはパオロ・マルキとステファノ・ボニッリとわたしは言ってきただけに、記者会見でステファノが話した内容はとても強く印象に残っており、その後人前で話す機会や、原稿を書く機会に幾度となく引用させてもらいました。以下要約です。

「2008年末のリーマンショック以降、イタリアのレストラン業界は苦しんでいる。い わゆる星付きレストランでいうなら、約20%のひとつ星クラスが星を失ったかあるいは閉店した。これは非常にショッキングなできごとだ。いままでシェフとは料理をすればよかったのだろうが、これからは経営者であり、プロデューサーとならなくてはならない。そうしたプロデュース能力でいえば、イタリアはスペインに遅れること甚だしい」また、ステファノが日本を訪れた時、日本のイタリア料理のレベルを評して「もはや日本はイタリア21番目の州だ」と発言したこともよく引用させてもらっています。

ボローニャ出身のステファノはFesta Vicoのイベントでも、Osteria Francescanaのマッシモ・ボットゥーラが作ったトルテッリーニ&パルミジャーノ・ソースを横から素早くさらい、子供のように食べていた姿が忘れられません。Repubblica紙によればLuigi Veronelli, Gianni Brera, Mario Soldatiといった戦後イタリアを代表したジャーナリストたちの名を挙げ、ステファノもそんな一人だった、と締めくくっています。巨星墜つ。イタリアもまたひとつ時代が変わる。

Masakatsu IKEDA
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池田匡克 Masakatsu IKEDA ジャーナリスト 1967 年東京生まれ。出版社勤務後1998 年イタリアに渡り独立。旅と料理のビジュアル・ノンフィクションを得意とし、イタリア語を駆使したインタビュー、取材、撮影、執筆、講演活動を日本、イタリア両国で行う。主な著書に「シチリア美食の王国へ」「イタリアの老舗料理店」「サルデーニャ!」「フィレンツェ美食散歩」「アマルフィとカプリ島」「Dolce!イタリアの郷土菓子」「世界一のレストラン オステリア・フランチェスカーナ」など多数。 2003年度「シチリア美食の王国へ」がイタリア文化向上に貢献した出版物に送られるマルコ・ポーロ賞(イタリア文化会館主宰) 最終候補作品にノミネート 2005年よりイタリア国立ジャーナリスト協会所属 2011年株式会社オフィス・ロトンダ設立。現在代表取締役 2014年日本初のイタリアの旅と料理をテーマにしたWEBマガジンSAPORITA設立。国際料理大会Girotonno、Cous Cous Festに日本人として初の審査員に選ばれる

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