反レストランガイド論争についての考察

食ジャーナリストのDavide Paoliniが主宰するサイトGastronautaで 近頃盛り上がった話題が「反レストランガイド」。Luca Vercelloniというグアルティエロ・マルケージの弟子で食のマーケティングを生業とし、ガストロノミアについての著作(「Viaggio intorno al gusto」、「La tavola imbandita. Storia estetica di cucina」等)もある寄稿者が、ジェイミー・オリバーのコヴェント・ガーデンの店で食べた体験をベースに、イタリアの最先端料理を牽引するスターシェフたちと彼らを礼賛するレストランガイドブックに疑問を呈するという記事から事は始まった。

Vercelloni 曰く、ジェイミー・オリバーとイタリアのスターシェフとの違いは、ジェイミーはイタリアを旅して土地に伝わる料理を熱心に学び、その真髄に迫り忠実であろうとするが、イタリア人は有名であればあるほど自らのオリジナルレシピにこだわり、ファッションデザイナーのごとく作品=料理に自らのサインをつけたがる点にある。Vercelloniはイタリアで最も有名で、ワールド・ベスト・レストラン50でイタリア人として最高位にランクされたマッシモ・ボットゥーラをその例として挙げ、神格化された彼の店でもし期待したような美味しさに出会えなかったとしても客はひれ伏すしかないのだと嘆き、彼の店よりもっと美味 しい店を世界中から少なくとも97店、そのうち半ダースに相当する数でボットゥーラの店と同じくモデナにある店を列挙できると挑発した。

Vercelloniのこの意見については賛否両論巻き起こったが、主宰者のもとへ届いた最多リクエストは、「ボットゥーラのOsteria Francescanaよりも美味しいという97店を開示してほしい」という声だった。それに応えてVercelloni推薦リストが 発表されたのだが、反響は激減。その理由は、8月に入ってネットから脱出して海に出かけた人多数としても、リストを見て失望した人が多かったからではない かと思う。Vercelloniは成り行き上、スターシェフの店をリストからはずしたのだとは思うが、半ダースの“ボットゥーラより上”のモデナの店が、 とてもクラシックな、人によっては時代に取り残された店と思うような類いで、さらにそのほかの世界に散らばるお勧め店については、普通のイタリア人にとっ て判断のしようがないリストだったのである。因に日本の店も幾つか挙がっているが、トリップアドバイザーで上位常連の店ばかり。それも、日本人投票ではな く、イタリア人や外国人に人気の、日本人からすると「どこですか?それ」的な店が大半である。

どんなに立派な説も、実際にどんな味を美味しいと評するかでその説の真偽とまでは言わないが、少なくとも支持率は激変するということが示された事例である。味なんて好みであるし、どんな状況で誰と同 席するかで印象は変わる。それでも料理人は、食べる人に喜んでもらいたいから(そして大なり小なり功名心ある場合も)オリジナリティや美味しさを追究す る。より良いものを求めることはどんな仕事においても美徳であり、それについて評価するのは悪いことではない。巷にあふれるガイドブックは、美味しいもの を食べたいという人をガイドするためにある。Vercelloniは、“反レストランガイド”という扇情的な言葉を用いたが、本意としては「盲目的にガイ ドに追従するのでなく、自分の味覚とそれを育てるための普段の鍛錬」を説きたかったのではないか。鍛錬というのが大袈裟ならば、興味と探究心があれば、ただ咀嚼して飲み込むだけの行為はもっと高い次元に上ることができると言いたかったのではないか。

ところで、一般のガイドブックはごく限られ たメンバーがセレクトし、評価した結果がまとめられているが、トリップアドバイザーなどは不特定多数の人が投票でランキングする。どちらにも各功罪がある と思うが、投票ランキングについてはその土地がどういう性格を持つのかを予めインプットしてから結果を眺める必要がある。フィレンツェの場合、上位にラン クインしているのは、ほとんどがパニネリアとジェラテリアだ。旅行者が気軽に食べられるものという条件が反映されているからで、そして、レストランでは昼 食夕食の限られた時間にしか食べることができないというタイミングの問題も考慮すると、必ずしもフィレンツェで“一番美味しいものが食べられる”ランキン グではない。しかし、ランキングというのは恐ろしいもので、多くの人が支持しているならぜひ試さなければという空気を生み、食べた人はその波に乗った評価 を追加する。この追い風効果で、「なぜここが?」と思うような店に大行列、という現象が起きてしまう。さらに、人気ぶりを見て我も我もとばかりに次々とパ ニネリアが増殖し、おかげでフィレンツェの路上はどこもかしこもパニーノをかじる旅行者ばかり。そこにはとりあえず咀嚼して飲み込むだけの行為しかなく、 イタリア人がもっとも嫌悪してきたはずのファストフード的貧しさが漂っている。