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Locanda al Gambero Rossoよ、永遠に

クチーナ・ポーヴェラの名店がまた一つ消える

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レストランガイド「ガンベロ・ロッソ」で長らくトレ・ガンベリを維持してきた「ロカンダ・アル・ガンベロ・ロッソ」が、この8月31日を最後に閉店する。閉店理由は、料理人ジュリアーナ・サラゴーニの健康問題。長年の立ち仕事で足を悪くし、これ以上続けてはならないという医師からの忠告に従っての決断である。ただし、突然の決断ではなく、以前よりジュリアーナの負担を軽くすべく、別の料理人をシェフに立ててみたりと模索を続けてきたのだが、どうにもうまくいかず、とうとう継続を断念したという。

トスカーナとロマーニャ地方の境目、トスコ・ロマニョーロと呼ばれるアペニンの山間の小さな村で、ジュリアーナの両親が始めたオステリアが「ロカンダ・アル・ガンベロ・ロッソ」の始まりだった。当時は第二次世界大戦直後、多くのオステリアが戦前のようにワインの立ち飲み主体で食べものは軽いつまみを出す程度だったが、彼らは食事をメインにし、手打ちパスタと串焼き肉が自慢の“食堂”を始めたのだった。

ジュリアーナはそんな両親のもとで育ち、自然と厨房を手伝うようになったが、長じて教師の免許を取得、結婚後、夫のモレーノ・バルツォーニとともにフォルリーの街に移って役所の仕事に就く。時が経って1992年、両親が引退を考えていると聞き、ジュリアーナは故郷に戻ってそのあとを継ぐ決心をした。ただし、両親が望んだ料理を作るつもりはなかった。

ジュリアーナが育ったサン・ピエロ・イン・バーニョという土地はアペニンの山に囲まれ、人々はわずかな土地を開墾してほそぼそと農業を営んできたところだ。自分たちがようやく食べていける程度の作物しかできなかったから、野に生える野草を摘んで料理することもごく当たり前だった。ジュリアーナが考えたのは、幼い頃に祖母が作ってくれたそんな農家の素朴な味を再現することだった。

畑で穫れる限られた作物と野草で、農家はいろいろと工夫をこらしてつましいながらも豊かな食卓を囲んできた。しかし、その伝統は1960年代に急激に廃れていった。戦後復興を経て人々の意識はより贅沢な美味にと向かっていったからである。ジュリアーナはそんな傾向に疑問を感じ、故郷の人々がゆっくりと時をかけて作り上げてきた伝統の味を今の人に食べてもらいたいと願ったのである。

ジュリアーナは、夫のモレーノが摘んできた野草を使って昔ながらの料理を始めた。いっぽう、80年代にグアルティエロ・マルケージが提唱したヌオヴァ・クチーナの洗礼を受けたイタリア料理界は、より高度で先進的な料理を追究していた。食べて側の人々も贅沢な素材、斬新な技法を喜び、“おばあちゃんの味”は過去のものとして消え去ろうとしていた。ジュリアーナたちの挑戦は、多くの人々からすれば到底受け入れられないものだった。

それでも続けていればいつかきっと夜明けはくる。ほんとうに美味しいものを探そうという物好きな人々が次第に各地から訪れてくるようになった。やがて、著名な食のジャーナリストたちがジュリアーナの料理を賞賛し、さまざまなガイドブックが高い評価をつけ、「ロカンダ・アル・ガンベロ・ロッソ」は高級な食材も高度な技術も用いずにして、イタリアでも有数の料理店として知られるようになったのである。

しかし、土地の味を守る、というのは、ほんとうに大変なことである。料理人、素材、食べる人、どれが欠けても簡単に消滅してしまう。ジュリアーナの後を継ぐ料理人が見つけられなかったのはまことに残念だ。家庭で作られてきた料理がベースだから誰でも簡単にできるように思えて、これが存外難しい。意欲ある料理人はどうしても改良したくなり、その結果、その料理の根本を見失ってしまうことがあるからだ

 

毎朝、近隣の野山へ出かけて野生のラディッキオやチコーリア、オルティーカなどを摘んだり、チーズ農家へチーズを仕入れに行くモレーノの知識も、このまま記憶のなかにしまい込まれてしまう。しかし、ジュリアーナもモレーノも苦渋の決断を下したわけだから、それについてこちらがとやかく言うべきことではなく、静かに名残を惜しみ、彼らの言葉を聞き、その言葉をできるだけ覚えておくことが、我々が負う責務であろう。

モレーノの話のなかで深く印象に残っているのは、「トラットリアとは本来家族で営むものであり、家族は互いに助け合って一つの仕事をする。シェフもスーシェフも存在せず、上下関係はない」という言葉だ。すべてのトラットリアがこうでなければならないというのではなく、伝統を担うトラットリアのコアなあり方の一つである。食に限らず、イタリアはあらゆる業態において家族経営が基本となっているが、トラットリアにおける家族経営は殊に強く伝統に結びついている。

ジュリアーナとモレーノのもとには、これまで多くの日本人の料理人が学びにやってきた。家族であることを第一に大切にする彼らは、巣立っていった日本人料理人たちを自分たちの子供だと言う。モレーノは最近、彼ら一人一人の名前をあらためてリストに書き出している。「今のところ51人まで数えた。もう少しでリストは完成するよ」というモレーノの夢は、日本に行くことだ。日本で少なくとも51人いる子供たちを訪ねるという夢が実現することを願う。

最後に、「ロカンダ・アル・ガンベロ・ロッソ」は閉店するが、ジュリアーナ、モレーノ、娘のミケーラ、その夫のパオロは、フォルリーに誕生するイータリーのレストラン・コンサルタントを務め、また、ジュリアーナはガンベロ・ロッソ社の本拠であるローマのチッタ・デル・グストのプロの料理人対象のコースで不定期に教える予定だ。

About Manami Ikeda (325 Articles)
大学卒業後、出版社に就職。女性誌編集に携わった後、98年に渡伊。以来ずっとフィレンツェ在住。取材とあらばどこにでも行きますが、できれば食と職人仕事に絞りたいというのが本音。趣味は猫と工場見学。
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