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追憶・ガルガ伝説

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90年代から2000年代にかけて一世を風靡したフィレンツェの「トラットリア・ガルガ」(現在はガルガーニに改名)が誕生したのは1979年のこと。1938年生まれ生粋のフィレンツェ人である創業者ジュリアーノ・ガルガーニの名をとって「ガルガ」と名付けられたのは有名なストーリーである。80 年代にヌオーヴァ・クチーナの嵐が吹き荒れたとき、短時間加熱、素材重視のクチーナ・エスプレッサを標榜したガルガの料理はマルケージを真似ただけ、といわれたことも当時はあったそうだが、その後フィレンツェでそのようなことはいうものは誰もいなくなった。ジュリアーノは誰の真似でもない、ガルガの独特の世界観を確立したからである。

戦後間もない1948年、肉屋の丁稚としてわずか10才で仕事をはじめたジュリアーノは肉屋は造形アートだといい、自らのレストランを持つようになるとその造形的センスは燃え上がり、自らは店の内壁にアクション・ペインティングさながらの壁画や写真、彫刻を飾るようになり、料理の盛りつけには独特の美的センスが炸裂した。カルチョーフィや柑橘類、プレッツェーモロ、トマトなどをパスタに飾るガルガ独特の盛りつけは、別名フィレンツェのシャガールとも呼ばれたジュリアーノが考案したものだ。アルノ河畔に勝手にバラ園を作り、堂々とバラを育ててはフィレンツェ市と果 てしない闘争を繰り広げていたが、ジュリアーノが育てたそのバラは毎晩ガルガの食卓を飾り、女性には必ずそのバラを帰りがけにプレゼントするのがガルガのスタイルだった。

晩年、その豪放磊落な性格から来る放漫経営から紆余曲折あって店は他者のものとなり、ジュリアーノはガルガを離れた。長年のパートナーだった妻シャーロンと別れ、2人の息子のうち長男のアンドレアはガルガをつぐ才覚がなく、NYから帰って来た次男のアレッサンドロは市内に「クチーナ・デル・ガルガ」というガルガ・スタイルのレストランを開いた。アレッサンドロはガルガという名を商標登録したため、長男アンドレアが経営者でなく、シェフとして働く旧ガルガは「ガルガーニ」と改名せざるをえなくなった。これが晩年のジュリアーノらガルガーニ・ファミリーに起きた騒動の顛末である。日本人含む旅行者がタクシーに乗り「ガルガ」とだけ告げると、予約していなかったもうひとつの「ガルガ」に着いてしまうこともある。フィレンツェではジュリアーノの死後もそんな混乱は未だに続いているのだ。

ジュアリアーノが亡くなる直前の 2012年8月、撮影でアレッサンドロの「クチーナ・デル・ガルガ」を訪れると抗がん剤で顔がむくんだジュリアーノがアレッサンドロの仕込みを手伝っていた。何度も繰り返し「ここが本当のガルガだ」というアレッサンドロの言葉は実はわたしにではなくジュリアーノに向けられていた言葉であり、居場所を失った父に対してできる唯一にして最大の孝行だったのだろう、と今にして思う。わたしの母がこの世を去った3週間後の9月11日フィレンツェではジュリアーノが 74才の生涯を終えた。立て続けに胸に大きな穴が開いた暑くて辛い2012年夏のことである。

ジュリアーノが亡くなって一年が過ぎた2013年の12月、故人の功績を称えてアルノ川沿いにある見晴し台にジュリアーノの記念碑が設置されたが、わたしが知る限り料理関係者でフィレンツェに記念碑が置かれるのは近代イタリア料理の聖人ペッレグリーノ・アルトゥージに次いで2人目の栄誉である。セレモニーに訪れたフィレンツェ市の助役は「故人とフィレンツェ市はいろいろあったけれど、アルノ川に全て流してその栄誉を称えたい」と笑いを交えた実に感動的なスピーチを行ってくれた。

間もなくジュリアーノが亡くなって2回目の命日がやってくる。観察力のある人ならアルノ川沿いを歩くと未だにジュリアーノのことをたたえる落書きや横断幕を目にすることもあるはずだ。つねに厨房で叫んでいた「アモーレ!!」というフレーズはジュリアーノの代名詞となってアルノ川の河畔を飾り、今も行き交う人にジュリアーノのことを思い出させる。9月11日になればアルノ川のどこかにバラの花が一輪、また一輪と置かれるはずであり、それを見かけたならジュリアーノのことや、カラスミのスパゲッティやカルチョーフィのスパゲッティ、インペラトーレなどを思い出してあげて欲しい。

虎は死して皮を留め人は死して名を残す、というがジュリアーノはいまだにフィレンツェで食べ継がれる名作の数々をこの世に残した。レシピには著作権が認められないのが問題だ、といったのはアラン・デュカスだったか。死してなお料理にその名が残るイタリア人はそう多く無い。カルパッチョ、フェットゥチーネ・アルフレー ド・・・他に誰かいたか?名作「ガルガ風」ボッタルガのスパゲッティもそれらと同様長く語り継がれ、イタリア料理のスタンダードとなることを願う。数十年後ボッタルガのスパゲッティを作ろうとイタリア料理のレシピ集を開いた若い料理人諸兄姉が「ガルガ」って誰?そう口にしてくれたとしたらジュリアーノもさぞかし喜ぶことであろう。

 

匡克 池田
About 匡克 池田 (1167 Articles)
1967年東京生まれ。イタリア国立ジャーナリスト協会会員、フォトジャーナリスト。日本で出版社勤務後独立、1998年よりフィレンツェ在住。「シチリア美食の王国へ」「イタリアの老舗料理店」「フィレンツェ美食散歩」「伝説のトラットリア、ガルガのクチーナ・エスプレッサ」など著書多数。2011年に池田愛美と株式会社オフィス・ロトンダ設立。国際料理コンテスト「Girotonno2014」「Cous Cous Fest2014」で日本人初の審査員となる。 http://www.office-rotonda.jp https://www.facebook.com/ikedamasa
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