古代小麦復活のムーブメント

グルテンアレルギー(セリアック、イタリア語ではCeriachia)に悩むイタリア人は多く、潜在的な患者も含めると800万人いるとも言われている。ヨーロッパ全体では300人に1人の割合で発症しているというから、問題はイタリアだけでなく小麦粉を食生活のベースとするヨーロッパにおいてかなり深刻な状況である。対して、日本は長年米食が中心だったため発症者数は少ないが、それでも、鶏卵、乳製品の次に小麦アレルギーが多いので対岸の火事ではない。それどころか、米食離れが進む一方の今の時代、小麦アレルギーの数は増えこそはすれ、減ることはないだろう。

小麦アレルギーは、古くからBaker’s Asthma(パン屋喘息)や、まれに子供にグルテンアレルギーが発症することは知られていたが、昨今は大人のグルテンアレルギーが増えているという。その原因はまだ解明されていないが、一説によれば、1950年代に積極的に導入された小麦の新品種が原因ではないかとされている。小麦は紀元前8000年頃には人類によって栽培されていたと言われており、それだけ長い時を一緒に過ごしてきた小麦に対して突然アレルギーを発症する人が増えているというのは、それまで慣れ親しんできたものとは別の何かが作用しているからだ、というのがその理由だ。

古来、小麦はその土地の気候風土に合った地品種が各地で栽培されてきた。ところが第二次世界大戦後、産業の復興とともに人口も増え、小麦の増収は喫緊事となった。そこで農家は、人工交配で作られた収量の高い新品種に一斉に切り替えたのである。その小麦はあまり成長せず背が低いまま成熟するため、収穫の手間も軽減した。その代わり、地面に近いため害虫に弱く、穂の間を風が通りにくいため病気にも罹りやすかったので、農家は殺虫剤など農薬も使用せざるを得なくなったのである。

この小麦はまた、成分も従来の地品種とは異なる性質を示した。特にグルテンが強く、この小麦で作る生地は多くの水を取り込みやすくなり、弾力性も増した。パン屋が早く発酵させるため大量のビール酵母を投入してもそれを受け入れる能力が高い。パンだけでなく、ピッツァや菓子もこの新品種で作られるようになったおかげで、地品種の小麦は急速に衰退の一途を辿り、すっかり消滅してしまった品種も多々あるという。

こうして新品種が地品種を駆逐してしまったかに見えたが、やがて、効率一辺倒で化学薬品を多用する農業に疑問を感じる生産者が少しずつ現れ始めた。彼らはまず有機農法に移行した。有機とまではいかなくとも、以前の農法に戻ろうとする者もいた。もともと、化学薬品を使わなくても小麦は育ったのだから、元に戻ればいいのだというのがその論拠だ。そんな彼らが忘れ去られていた地品種に目を向けたのも至って自然の成り行きである。こうして今、地品種(古代品種grani anthichi)は各地で復活の兆しを見せている。

トスカーナの小麦農場フロリッディアもそんな地品種復興組の一つだ。シチリア人の父とアブルッツォ人の母のもとに生まれたロザリオとジョヴァンニのフロリッディア兄弟は両親の農場を継ぎ、1987年から有機農法に切り替えた。そして、2006年からは古代品種の小麦栽培を始め、2009年以降、古代品種のみを栽培している。種はよそから購入することはできないため、自分たちで栽培用の種子も選別している。栽培する品種は、硬質小麦のSenatore Cappelli、Tilmilia、Taganrog、軟質小麦のVerna、Frassineto、Gentilrosso、Inalettabile、Sieve、Solina、スペルト小麦のDicoccum、Monoccum、Triticum Turgidum Turanicum(Etrusco)、そのほか穀類で粟、カラスムギ、オオムギ、豆類でひよこ豆(Ceci piccoli nostrali)、Cicerchie、レンズ豆などがある。

古代品種を栽培するにあたり、小麦を挽く機械も石臼に替えた。石臼であれば外皮を取り除いた小麦を胚芽ごと挽くことができ、香りの良い粉が得られる。さらに、彼らは製粉具合をタイプ1に限定している。イタリアでは、小麦粉はどの部分をどれだけ精製するかによってタイプ00、0、1、2、インテグラーレの5段階に分類され、タイプ00は胚乳部分のみ、0、1、2は胚芽部分も含め、インテグラーレはふすまごと挽いたものを示す。00では香り風味に乏しく、インテグラーレは灰分(ミネラル)が多く、人によっては消化不良など問題を引き起こす場合がある。風味良く、体に害を及ぼしにくい適度な挽き具合がタイプ1だとフロリッディアは結論したのである。

イタリアで普通にスーパーなどで売られているのはタイプ00か0である。00は菓子やパン、パスタに、0はパンやピッツァに使うことが多い。またフリットなど料理に使うのは大抵00である。真っ白な粉はきめ細かく美しいが、味わいには乏しいとロザリオ・フロリッディアは言う。彼らのもとに粉を買いに来る人々は、一度フロリッディアの粉を使うと市販の粉に戻れなくなるらしい。味わいが違う上、食べた後の満足度が高いというのだ。たとえば、今までパスタなら100g食べないと気が済まなかった人が60gや70gで満足できるようになる。そして、たっぷり食べた気がするのに消化が良く、胃もたれもしないというから、まさにいい事づくめである。

さらに、コレステロール値が高かったり、糖尿病を煩っている人が、古代品種の小麦粉を使った手作りのパスタやパンを継続して摂取していると次第に症状が改善されていくのだという。最近は、グルテンアレルギーに悩む人も、医師の指導のもと古代品種小麦粉を使った食生活をすることで、アレルギーを起こしにくくなったという報告もあるという。半可通な素人療法は危険だが、古代品種の小麦にはまだまだ未知数の可能性があるのは否めないだろう。

フロリッディアでは小麦粉のほか、パスタやパンも製造販売している。小麦粉は胚芽を含んでいるため、その脂質が酸敗しやすく、量り売りでは4~5ヶ月、包装されているものでも7ヶ月ほどしか保存できない。一方、パスタは加熱処理を施しているため長期保存も可能、将来的には輸出も考えているという。古代品種の小麦粉で製造したパスタは、ゆで時間がわずか5~6分。グルテンの性質が近代品種とは違ってデリケートなため、短時間の加熱で消化吸収の良い状態に仕上がるのだ。

パスタの食感は、やや歯触りがもろく、組織がぱらぱらとほぐれていくのがわかる。その分、すぐに香りが広がり、そしてじんわりと甘さが広がっていく。この繊細な風味には、ラグーのような強いソースではなく、野菜中心のソースか、豆と合わせたズッパ仕立て、あるいは、オリーブオイルかバターとすりおろしたチーズだけのシンプルな食べ方が合う。間違っても市販のブイヨンなどは使えない。これまではパスタを食べる時にどんなソースを食べたいかをまず考えていたが、このパスタでは、どうしたらパスタの風味を引き立てるかを考えるようになる。もしかしたらイタリア人はこうしてパスタ文化を発達させてきたのかもしれない。

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