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イタリアの老舗料理店02アンティカ・トラットリア・デッラ・ペーサ1880年創業(無料配信)

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アンティカ・トラットリア・デッラ・ペーサ創業一八八〇年

Antica Trattoria Della Pesa(ミラノ)

モーダ都市ミラノではレストランの流行廃りが他の都市とは比べ物にならないくらい早い。和食が流行ったかと思えば次はワインバー、今度は魚料理。果たして次の流行は?と誰もが予測するような風潮は東京に近い感覚がある。逆に言えばなんでも広い選択肢がある大都会。さらに逆をいいうならば郷土料理の文化が育ちにくい土壌。

実際のところ、イタリアでは大都市になるほどいい店を探すのが難しくなるのが現状。ミラノしかり、ローマしかり。例えば身近な例でミシュラン・イタリアの二〇〇六年度版を見てみると、今年からミラノとローマに限りレストランがカテゴリー分けされた。その他の都市ではレストラン・イコール郷土料理という図式が普通だけに、この二都市に限ってはその伝統が崩れつつあるのが現状である。

特にミラノ。その区分けはこうなっている。「ディ・マーレ=シーフード十三件」、「カサリンガ=家庭料理一件」、「クレアティーヴァ=クリエイティヴ六件」、「トラディツィオナーレ・リヴィジタータ=伝統再認識系五件」、「レジョナーリ・イタリアーネ=イタリア州別料理」はシチリア、ピエモンテなど計十州で二十一件、うちロンバルディ州五件。その他インド料理、和食、中華などが十件、テラス・レストランが(重複あり)十七件。つまりミシュランという性格を差し引いて考えても、掲載全六十件あまりのうち、ロンバルディア家庭料理はわずかに一割にしかならない六件。ミラノにおいて郷土料理が評価されていないかがわかろうというもの。

今やミラノで郷土料理を食べようと思うのは、一部の旅人と昔からの常連客のみなのかも知れないと考えると少々さみしくなる。

「トラットリア・デッラ・ペーサ」はミラノに住む人ならば一目置くミラノ料理の老舗である。創業は一八八〇年。現在はファッション最先端エリアとなっているコルソ・コモに近いことからファッション関係者も多く訪れるが、創業当初はミラノを代表する作家や出版人が多く利用するトラットリアとして知られていた。

店名の「ペーサ」とは「重さを量る」という意味であり、十九世紀にはガリバルディ門からミラノ市内へ入る馬車の重さを量り、税金を課す計測場であったことに由来する。かつての姿は今も店の前に残る巨大な鉄板から想像できる。

こうした御者が集まる場所の常として、ほどなく計測場には簡単な料理と酒を出すトラットリアが誕生する。当時「デッラ・ペーサ」で出していた料理は「ズッパ・ディ・ブゼッカ」と呼ばれるトリッパとインゲン豆をトマトで煮込んだ重くて濃厚な料理。体力仕事の御者の常としてこうしたハイエナジー料理が必要であったが、やがて一般客も利用できるトラットリアとなる。

創業以来「デッラ・ペーサ」はコラッティ家が所有していたが、最後のオーナー、エツィア・コラッティが一九九二年に長年コルソ・コモの人気店「ラ・クチーナ・デッレ・ランゲ」を経営してきたサッシ家に売却。現在はデリオとアルバ夫婦、それに娘のフランチェスカを加えた三人がこの老舗を経営している。

作家や出版人が多く集ったミラノにおいて、文人たちが集まったレストランといえばモンテナポレオーネ通り裏にある「バグッタ」とこの「デッラ・ペーサ」。「バグッタ」は今でもフィレンツェの「イル・ラティーニ」らと並び、自ら文学賞を主催するイタリア三大レストランのひとつとして変わらぬ人気を誇っている。栄えあるバグッタ文学賞の受賞者は過去にイタロ・カルヴィーノやアントニオ・タブッキらイタリア文学史に欠かせないそうそうたる作家が名を連ねる。

一方「デッラ・ペーサ」に足しげく通った文人たちといえば、イタリアを代表する出版社モンダドーリの創業者であった出版人アルノルド・モンダドーリ。同じくモンダドーリと並ぶミラノを代表する出版社リッツォーリの創業者アンジェロ・リッツォーリ。まさしく出版界の首都、ミラノを代表する名編集者は数多くの作家を「デッラ・ペーサ」へと招いて食卓を囲んだ。

ディノ・ブッツァーティ、カミッロ・ボイト、映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニも常連客の一人であった。こうした文人墨客たちが夜な夜な集まってはミラノ料理を食べ、ミラノの噂話に華を咲かせていたという。店内にはそうした文人たちが店に残したエッセいや詩、時には借用書などが残されている。

現在はファッション関係者がよく訪れるのは時代の流れか。ジョルジョ・アルマーニは店のディテールに感心しながら食事をし、プラダの総帥パトリツィオ・ベルテッリやデザイナー、エットーレ・ソットサスらもよく姿を見せるという。

一〇〇年以上の時を超えて「デッラ・ペーサ」に人が集うのは、十九世紀末のトラットリアの空気をきちんと保存していることもあるが、何よりも正統派ミラノ料理をきちんと作り続けているためである。

晩秋に「デッラ・ペーサ」を訪れたときは、まず「自家製レバー・パテ」ではじめ、伝統のプリモとセコンドを一緒に盛ったピアット・ウニコ「オッソブーコ・コン・リゾット・アッラ・ミラネーゼ」を頼んだ。果たして登場したそれは迫力たっぷり、巨大な骨付き肉塊にサフランの芳香が鼻腔にはりついてはなれないほどボリュームたっぷりのリゾットが一緒盛りになってやってきた。リゾットを食べ、時折とろけるばかりの牛脛肉を口に運ぶ。オッソブーコ名物は骨髄だが、これを食べる特製の細長いスプーンは「税金徴収人」という、とサーブしてくれたカメリエーレ。なぜなら塵ひとつ残さないから。「デッラ・ペーサ」のカメリエーレはどれもひとくせある大人のサービス。フリでやってくる旅人には簡単に媚びないような気高い敷居の高さがある。

とはいえ、それはあくまで店への誇りがなせるわざであって、常連と一見を差別する、ということでは決してない。

デザートには「パネットーネ」をすすめられたのでクリスマスも近いからそれを頼むと、シチリア産マルサラ・ワインがしっかりきいた熱々のデザート「ザバイオーネ」が乗ったパネットーネが現れた。しかしこれで十ユーロ。「デッラ・ペーサ」の料理の値段は十九世紀のインテリアの維持に必要と納得すれば不思議と腹も立たない。

変わったミラノ料理を所望するなら「ルスティン・ネガア」という肉料理がいい。これはジャガイモと豚肉をチーズとともにオーブン焼きしたボリュームたっぷりの田舎料理。「カルボナータ」というヴァッレ・ダオスタの牛煮込み料理もあれば、「フォイオーロ・アッラ・ミラネーゼ」というトリッパ料理もある。カリっと焼いたリゾットにロニョン(腎臓)のソテーをつけたピアット・ウニコ「リゾット・アル・サルト・コン・ロニョンチーノ・トリフォラート」もあれば、ロンバルディアの煮込み料理「カッソエウラ・コン・ポレンタ」もある。フランチェスカは「どのレシピも現代風に軽めにした」とはいうものの字面通りどれもヘビー級で体力勝負の肉料理。寒さ厳しいミラノの冬はチーズと煮込みが欠かせない、そうした風土を体感するには真冬にこうした料理を口にするのが最善の方法である。

フランチェスカに別れを告げ、店の外に出て見上げると「ホーチミンが一九三〇年代に通った店」との石碑が残る。正確な記録は残っていないそうだが、祖国を離れていても美食の誘惑には勝てず、お忍びでリゾットを食べに来ていた様子を想像したりするのも老舗巡りの楽しみのひとつである。

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匡克 池田
About 匡克 池田 (1167 Articles)
1967年東京生まれ。イタリア国立ジャーナリスト協会会員、フォトジャーナリスト。日本で出版社勤務後独立、1998年よりフィレンツェ在住。「シチリア美食の王国へ」「イタリアの老舗料理店」「フィレンツェ美食散歩」「伝説のトラットリア、ガルガのクチーナ・エスプレッサ」など著書多数。2011年に池田愛美と株式会社オフィス・ロトンダ設立。国際料理コンテスト「Girotonno2014」「Cous Cous Fest2014」で日本人初の審査員となる。 http://www.office-rotonda.jp https://www.facebook.com/ikedamasa
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