イタリア料理の現在過去未来 パスタ論

イタリアの豊かな地方性を表す際、よくカンパニリズモという言葉が使われる。これは教会の鐘の音に語源を発し、教会の鐘の音が聞こえる範囲が世界の全て、とするイタリア人独自の思考体系のことである。そもそもローマ帝国崩壊以降、イタリア統一が行われた1861年までイタリア半島は中小都市国家や列 強支配によってモザイクのように分裂、フラグメンテーション化が1400年以上に渡って続き、谷を挟んだ隣町同士では似てはいるものの話される言語も違えば、同じく似てはいるものの料理さえも呼び名やディテールが異なる文化多様性“クルトゥーラ・ディヴェルシタ”が連綿と育まれてきたのであった。

その顕著な代表例がパスタである。地中海文明は麦を粒食することから粉として加工することを覚え、さらには硬質小麦から保存性に富んだ乾燥パスタ を生み出すことを学んだ。誰がどこでなんのためになにをどのようにしてパスタを生み出したのか? というパスタの5W1Hのうち誰がどこで、という部分に 関しては同時多発的に、という説が現在一番有力である。ローマ帝国誕生以前にエジプト人が、ユダヤ人が、ギリシャ人が、エトルリア人が、アラブ人が各地でさまざまな形態のパスタの原型を生み出してきたが、少なくとも乾燥パスタ作りの唯一無二の目的は保存のため、であった。

暗黒の中世においては飢饉の時でも生き延びる術、地中海交易においては海上の貴重な食料としてパスタはさまざまな形態で発展して行ったが、料理文化も花開いたルネッサンス期になるとパスタは美食の対象として開花期を迎える。宮廷ではさまざまなレシピが考案され王侯貴族を喜ばせ、船乗りやアラブの隊商が地中海の隅々にまで広めたパスタは、21世紀の現代、日本で円熟期を迎え大輪の花を咲かせている。トスカーナ、シチリア、ピエモンテ、エミリア・ロ マーニャといったイタリア人も一目置く美食エリアのパスタをはじめ、サルデーニャからカラブリアなど、ありとあらゆるマイナーパスタまでがメニューに見られるのは世界広しといえども日本ぐらい、さらにいうならば東京ぐらいであろう。イタリアで学んだ多くの日本人料理人が伝道師としてさまざまな技術と経験を貴重な無形財産として持ち帰り、群雄割拠する様はある意味本国イタリアをしのいでいる。というのも、イタリアではカンパニリズモに根ざした郷土料理至上主義が徹底されているので、他の地方のパスタがレストランのメニューに並び、他地方料理店が数多く存在することは、大都市ミラノを唯一無二の例外として他ではあり得ない。形状だけで300種類、それにソースを組み合わせると無限のレシピが生まれるところがパスタの奥深さであり魅力である。そういった意味で世 界的にも希有な郷土パスタ密集地帯である日本では無限のパスタ料理が楽しめるのと同時に、店選びにも多数の選択肢がある。いざパスタを口にする前にイタリ ア料理のレシピや概説はもちろん、歴史、逸話、語源などの知識、つまり脳内イタリア力を高めると料理はもちろん店選びも数倍楽しめるようになるはずだ。

(2013年ダイナースクラブ・イタリアン・レストランウイーク公式サイトCi Sono収録)