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イタリアのパン現代事情 ダヴィデ・ロンゴーニの場合

Il panificatore Davide Longoni

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イタリアで美味しいパンに出会うことはあまりない。スーパーで売っているものはもとより、自家製を謳うパン屋のものでも、さして美味しいと思えないことが多い。その理由を解き明かし、そしてほんとうに美味しい本来のイタリアのパンを作っているのが、ミラノ郊外モンツァに工房を構えるダヴィデ・ロンゴーニだ。

大学を卒業した後、フォトジャーナリズムの会社に就職するも、ある日訪れたレストランで食べたパンの美味しさに衝撃を受け、パン作りに目覚めた。実は実家はパン屋を営み、彼自身も子供の頃から手伝いをしていたのだが、特に魅力を感じることもなく過ごしてきた。ところが、天然酵母でじっくりと発酵させたパンは、そのクロスタ(皮)はぱりっとしてしかも適度の厚みがあり、中は自然な気泡としなやかな弾力に富み、香りは実にこうばしいものだということを知る。

彼がレストランで食べた衝撃のパンは、エウジェニオ・ポルというイタリアの天然酵母パンのいわば先駆者のような職人が作ったもので、小売はせず、レストランにのみ卸している。メールはもちろん電話も受けず、注文は留守電メッセージのみ。ピエモンテの北の山奥で仙人のような暮らしをしているエウジェニオ・ポルに会ってみたいと思ったダヴィデはアポなしで訪ねてみるも叶わず。諦めて独学で天然酵母のパン作りを開始した。

これが、彼の著書『Il Senso di Davide per la farina』に書かれている序盤のエピソードだ。その後、天然酵母、粉、大地、メルカートと章立てして、彼の思い描く理想のパン作りと、パンを中心とした人々とのつながり、スローフード運動やミラノEXPOにまで話は広がっていく。今現在のイタリアでパンを作る職人が何を考え、どこへ行こうとしているのかを具に知ることができる一冊だ。

現代のパン、特に大量生産されているパンにはグルテンが添加されている。グルテンの働きによって生地は弾力を増し扱いやすくなる。しかし、グルテンというたんぱく質は人間の体内では分解されにいため消化不良を起こしやすい。さらにグルテンはアレルゲンともなる。イタリア人の10人に1人が穀物アレルギーであると言われ、多くの人が小麦製のパンはもちろんパスタやお菓子も食べられない深刻な状況にある。

工場でも、街中のパン屋でも一般的に使われているのはビール酵母だ。このビール酵母は発酵時に多量のアルコールを生成して小麦の風味を消してしまう。また、発酵のスピードを上げる働きがあるため、作業は効率的になるが、小麦が十分に発酵する時間はなくなる。十分発酵させなかったパンはそのぶん消化吸収に時間がかかる、つまり人体に負担がかかるのだ。

小麦は栽培時にも化学肥料や農薬を用いることが多い。そして、製粉後にグルテンや防カビ剤を添加する。グルテンは小麦由来だとしても、そのほかはとても人体に良いものとは言えないし、粉本来の香りや力にも影響する。ダヴィデは自分の作りたいパンを作れる粉を求めて製粉所や小麦栽培農家を訪ね、出所のはっきりとした有機栽培さらにはビオディナミの粉を求め、そして、grani antichi(古代小麦)と呼ばれるイタリアのさまざまな地品種小麦粉をも取り入れていく。ただ単に昔を懐かしみ、伝統回帰するだけではない。先人の知恵や知識をベースに今の技術を加えた、ダヴィデ曰くretroinnovazione(懐古的革新)なパン作りを実践している。

ダヴィデの理想は、自ら小麦を栽培し、その粉を使って天然酵母で発酵させたパンを作ることだ。しかし、パン屋の仕事は休みがなく、しかも重労働である。一人で何もかもをやることは不可能だ。そこで、ダヴィデはスローフード協会が主催するファーマーズマーケットに参加することで多くの同志を得、協力して問題解決や新しいプロジェクトに取り組んでいる。また、パンの教室の講師も積極的に務め、1人でも多くの“仲間”を増やそうとしている。頼まれればいつでも自分の酵母を分けるという。

パンというものは、人間の根幹をなすものであり、そして、分け合うことによってさらに人と人のつながりを強くする。古代ローマ時代、そしてキリスト教へと受け継がれてきたこのパンというものが持つ精神をダヴィデは今の時代に再び取り戻そうとしている。

About Manami Ikeda (323 Articles)
大学卒業後、出版社に就職。女性誌編集に携わった後、98年に渡伊。以来ずっとフィレンツェ在住。取材とあらばどこにでも行きますが、できれば食と職人仕事に絞りたいというのが本音。趣味は猫と工場見学。
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