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南イタリアの底力を見た陶器の街Grottaglie

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プーリア滞在最後の日をどう過ごすか。アルタムーラや越境してマテーラに足を伸ばす案もあったが、移動の時間が長いのが勿体ないということで、急遽浮上したのがグロッターリエ行き。プーリアの陶器の街だが、今ひとつ情報がなくて、これまで全くマークしていなかった。ところが先日ロコロトンドのLa Taverna del DucaでAntonella母さんに勧められたこともあり、同行者の意見はすぐにまとまり、一路グロッターリエを目指す。出発地点はアドリア海側のサヴェッレトリ、そこから内陸を縦断してターラント方面へ。風景は緑豊かな農村から次第に平らで乾いた無機的な様相を見せ始める。この先へ進むとさらにはっきりと工業地帯の顔となるその手前にグロッターリエはある。街の中心には古の雰囲気も少しは残っているが、大部分は比較的新しい簡素な住宅街だ。

10世紀にこの地の洞窟(グロッタ)に住居を求めて近隣から人々が移り住んできたことから、グロッターリエと呼ばれるようになったが、それ以前からもメッサピコ人と呼ばれる原住民はいたらしい。そして、メッサピコ人の時代、すでに陶芸は当地の重要な産業だったと言われている。隆盛は15〜16世紀、遠くトルコまでグロッターリエの陶器は運ばれていたという。今もなお、陶器工業地域と呼ばれる一帯には60余りのメーカーが操業し、南イタリアでも有数の陶器の街である。

Antonellaの店で使われていた器のメーカー直営ショップを訪れてみた。店内は広く、手前は新作らしい食器がディスプレイされているが、奥へと進むにつれて雑然とし、最後はほとんど倉庫状態。とにかく量が膨大で、そして安い。小さなものは1ユーロからあり、傘立てのような大物ですら数十ユーロである。ただ、絵柄や縁飾りが賑やかなものが多い。イタリア人の家庭なら合うだろうが、日本人だけで使うには少々気恥ずかしい。

ところが、グロッターリエの陶器、特に普段使いのものは本来、もっと素朴でシンプルなデザインだったらしい。絵もほとんどほどこさず、釉薬をかけただけの薄いクリーム色や白がベースで、たまに青い線や、控えめに鳥や花、抽象的な模様を少しだけ加える。そういうもののほうが良いのに、と思うのは外国人の勝手というものであろう。

そんな由なしごとを思っていたところ、古いものに興味があるのか?とメーカーの社長が声を掛けてきた。個人のコレクターがいるから紹介してあげようという。それは嬉しいけれど、その前に空腹で倒れそうと答えると、ではまずレストランに案内してあげよう、そこにコレクターを向かわせるから食後にコレクションを見に行けばいい、という。昼まっただ中の誰も歩いていない街に戻り、教えてもらったレストランで食事を終える頃、そのコレクターは現れた。彼の運転する車について行ったところで見たのは、衝撃の世界だった。

なんの変哲もない、住宅一階のガレージの奥に、床から壁までぎっしりと並ぶ陶器の山。1700年代から1900年代初頭までのグロッターリエ陶器を中心に、カラブリア、シチリア、カンパーニアのものが混ざっている。会社勤めの傍ら40年に渡って少しずつ探して買い集めたのだという。退職した今は、毎週末に各地の蚤の市に出かけては南イタリアの陶器探しをしている。トスカーナのアレッツォで1700年代初めのグロッターリエのフィグリーネ(人形)を見つけたときは嬉しかったよ、しかも格安だった、などという話を聞きながら物色するのだが、あまりにありすぎて選ぶ気力が削がれてしまう。いや、ここから購入するよりも、このコレクションはこのままさらに拡充していってもらうほうが良いのではないか。すでに、私などが一つ二つ買ったとしてもびくともしない膨大な量だけれど。

まさか行くとは思っていなかったグロッターリエ行きは、これまでの南イタリア旅のなかでも忘れられない出来事となった。コレクションもさることながら、表からはわからないイタリアの奥深さのようなものをあらためて味わわされたからだ。その突破口となったAntonella、そして社長、コレクターという人のつながりに出会えたことが、この旅の一番の収穫であった。

About Manami Ikeda (325 Articles)
大学卒業後、出版社に就職。女性誌編集に携わった後、98年に渡伊。以来ずっとフィレンツェ在住。取材とあらばどこにでも行きますが、できれば食と職人仕事に絞りたいというのが本音。趣味は猫と工場見学。
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