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イタリア縦断鉄道の旅02「ひまわり」と「苦い米」チネマの追憶をたどるミラノからトリノへの旅(無料配信)

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旅のはじまりはいつもミラノ中央駅だった。

1970年の映画「ひまわり」はロシア戦線に送られたまま生死不明のマルチェロ・マストロヤンニを、妻ソフィア・ローレンがソ連まで探しに行く話だが、出征直前に二人が最後の抱擁を交わしたのも最後の別れの場となったのもこのミラノ中央駅だった。イタリアから北西ヨーロッパへと向かう長い旅路の始発駅であり、終着駅でもある。

「ひまわり」に描かれたミラノ中央駅のプラットホームを覆う鉄とガラスの大伽藍は現在も寸分違わず残されており、その重厚な石造りのファサードはファシズム時代の1931年に作られたもの。かつて建築家フランク・ロイド・ライトが「世界で最も美しい駅」と評したこともある。現在は大規模な改装工事中で、ムッソリーニ時代の意匠はそのままに駅構内が大幅に近代化される予定だという。

イタリアを代表する鉄道駅だというのに、それに見合ったレストランがなかっただけに、改装後は揚げたてのコトレッタ・アッラ・ミラネーゼなど、出発間際でもミラノ伝統の味が楽しめるような店ができて欲しい。

早朝の通勤客で賑わうミラノ中央駅4番線。9時18分発のトリノ行きインテル・レジョナーレ(IR)の1等車に乗り込む。「レジョナーレ」とは「州の」という意味。東西南北全20州に分かれたイタリアでは主に州内を運行するローカル線が「レジョナーレ」、州間を超えるものが「インテル・レジョナーレ」と区別され、主に編成が異なる。前者は1両、2両編成のものがほとんど時には非電化、ディーゼル車。後者はより長大編成で、特急インテルシティ(IC)に似ており1等車と2等車の区別がある。インテリアはというとコンパートメントあり、オープンサロンありと実にさまざまで、イタリア鉄道の旅では乗ってみるまで分からない、というロシアンルーレット的な楽しみもある。

ミラノ〜トリノという北イタリアの二大都市を結ぶこの路線は、ポー川流域の平野部を走る実用路線であり、ビジネス客の利用も多い。ミラノの住宅地を抜け、州境のティチーノ川を超えればピエモンテ州。すると車窓には見渡すばかりの水田が広がる。このあたりはイタリア屈指の米作地帯である。

最初の停車駅ノヴァラを過ぎ定刻通りの10時12分、ヴェルチェッリで下りる。ミラノ名物の濃霧はすでに消え、快晴の日曜日である。

またしてもイタリア映画の話になるが、1949年にシルヴァーナ・マンガーノが主演した「苦い米」という作品がある。米の一大生産地ヴァルチェッリでは、毎年田植えの時期に「モンダリーゾ、モンディーナ=田植え女」を近郊の農村部から臨時雇いしていた時代があった。「苦い米」はそんな田植え女の短い生涯を描いたモノクロ映画で、映画はそんなモンダリーゾを満載した特別列車がトリノからヴェルチェッリに向けて出発するシーンから始まる。

ヴェルチェッリの駅で手荷物預け「デポジト・バガッリ」を訪ねると、閉まっている。やむなく切符売り場で尋ねると「NYテロ以来、デポジト・バガッリはイタリア中から無くなりました。まだあるのはミラノやトリノといった大きな駅だけです!!」となぜかすごい剣幕で怒られてしまった。やむなく荷物をひきずってチェントロへと向かう。

日曜の昼時、レストランに大家族が集うのはイタリアの日常風景である。みると銅の大鍋からもうもうと湯気をあげ、隣のテーブルに運ばれてきたのはヴァルチェッリ名物の「パニッサ」。これはキャベツやインゲン豆、サルシッチャ、豚の皮などで作るリゾット。

聞いてみるとこれは2人前からだという。いっそ2人前たべてやろうかと一瞬思ったものの、またしても他のテーブルに運ばれてゆく迫力の大鍋にたじたじとなり、揚げたカエルの脚を齧って早々にトリノに向かうことにする。

20分遅れでやってきた14時12分発のIRに乗り込んだが、列車はその遅れを最後まで取り戻せず、トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ駅に着いたのはやはり20分遅れの15時30分。ミラノからは11.30ユーロ。

長らく列強によって分割統治されていたイタリアが統一されたのは日本の幕末にあたる1861年。統一イタリア初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレはサヴォイア家の出身であり、統一イタリア最初の首都はトリノに定められた。国内の交通の整備を担当したのは時の公共事業大臣ステファノ・ヤチニ。イタリアのあらゆる鉄道駅を見渡してもファサードの美しさでは屈指のトリノ・ポルタ・ヌオヴァ駅はそんなイタリア統一と同じ1861年に誕生した。

頭上に輝くイルミネーションを見上げつつ、駅前からアーケード街をしばらく歩いてゆくとやがて王宮前の広場に出る。さらにアーケードを右へ行くと1907年創業の「カッフェ・ムラッサーノCaffe Mulassano(Piazza Castello,15 TORINO Tel011-547990)」に着く。サン・カルロ広場の並ぶカフェに比べると小さなカフェだが、かつてはサヴォイア家の人々が赤いカーテンの裏でカフェを飲んでいたという。インテリアもエスプレッス自体ももちろん見事だが、何より若いバリスタたちの仕事ぶりが実にいい。

しかしこの夜のムラッサーノは超満員。ドライ・ベルモットを使った辛口のカクテル「ムラッサーノ」が飲みたかったのだが、やむなく諦め、その近くの「カッフェ・バラッティ・エ・ミラノ Caffe Baratti e Milano (Piazza Castello,29 TORINO tel011-4407138)」も休みなので食前酒は抜きにしていつもの「ダ・マウロDa Mauro(Via Maria Vittoria,21 TORINO tel011-8170604」へ行くことにする。

この店にはかつて3夜連続で通ったことがある。小さな外観からは想像できないくらい中が広いこの店は、給仕係が全員白エプロンの女性。それも平均年齢は50才は軽く超えると思われる迫力の店なのだが、入り口近くの上席を仕切る金髪眼鏡の奥方が実に暖かく客をもてなしてくれる。

1年ぶりに顔を出すとその金髪眼鏡のシニョーラが「あら、久しぶり?どうしてた?」と満面の笑顔で迎え、常連客が座る壁際の席に通してくれた。旅先で知人がいる店に行くことこそ、心休まることはない。

この夜は牛生肉「アルベーゼ」や「トルテッリーニ・イン・ブロード」などピエモンテ料理で通す。というのも何度か食事した後に気づいたのだが、実はこの店、トスカーナ料理店なのである。メニューは昔ながらのタイプライターで打った日替わりで、ある日数えると前菜からセコンドまでなんと合計72種類。地域性はまちまちでいわゆるなんでもござれの「イタリア料理」店。早くて安くて味もよい、連日通っても飽きない、料理とはかくあるべきという見本のような食堂なのである。

※データは2007年10月当時のものです。

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匡克 池田
About 匡克 池田 (1161 Articles)
1967年東京生まれ。イタリア国立ジャーナリスト協会会員、フォトジャーナリスト。日本で出版社勤務後独立、1998年よりフィレンツェ在住。「シチリア美食の王国へ」「イタリアの老舗料理店」「フィレンツェ美食散歩」「伝説のトラットリア、ガルガのクチーナ・エスプレッサ」など著書多数。2011年に池田愛美と株式会社オフィス・ロトンダ設立。国際料理コンテスト「Girotonno2014」「Cous Cous Fest2014」で日本人初の審査員となる。 http://www.office-rotonda.jp https://www.facebook.com/ikedamasa
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