イタリア料理最新事情・皿の上のカンパニリズモ

イタリア北中部の小都市、モデナにある「オステリア・フランチェスカーナ」は現在名実ともにイタリアのトップ・リストランテである。オステリアを名乗るのにリストランテとはこれいかに?アラン・デュカスの元で学んだマッシモ・ボットゥーラがシェフを勤めるこの店は文字通り元々は気軽な食堂「オステリア」だったが、ボットゥーラがシェフとなってから料理は一遍、イタリアでもトップのクリエイティビティを誇り世界中から美食家が集まるが、実は近所に住む昔からの常連客は定番の郷土料理トルテッリーニ・イン・ブロード、だけ注文してさっさと食べて帰ってゆく、そんな店でもある。

ボットゥーラは2010年にイタリア料理史上初めて「トラットリア」「オステリア」を店名に関して三ツ星に輝やく。さらにいうならばボットゥーラは現在イタリアのトップ・レストランで主流を占めるマルケージ派「マルケジーニ」でないこともあり、マルケージか非マルケージかという80年代以降イタリア料理界が常に対面している永遠の命題にある意味答えを出した料理人でもある。

ボットゥーラの功績はそれだけではない。モデナという町はイタリアが世界に誇るキラー・コンテンツを多数算出する食材の宝庫でもある。例えば周辺にはアチェート・バルサミコ、パルミジャーノ・レッジャーノ、プロシュート・ディ・パルマがあり、家庭料理ではラザーニャが、トルテッリーニが、タリアテッレがタリエリーニがある。そうしたローカルフードをうまく取り入れてプロデュースし、新たな付加価値をつけて発信しているのである。イタリアの場合情報発信や新しいムーブメントは必ずしも都会から地方へ、という図式ではなく時には地方から都会へ。さらには地方から地方へという動きが顕著である。それは都市国家の集合体から発生したイタリアという国家の多様性に由来し、レストランに関しても交通の便が悪い場所にこそ美味しい店が多い、とはよくいわれることである。そうした店にはるばる出かけて行くこととイタリア人は全く厭わないが。それは20世紀のインフラ整備として鉄道網の発達よりも自動車社会を選んだイタリア人ならではの個性でもある。

マルケージか、非マルケージか?巨人以降のイタリア料理界の現在

マルケジーニとは「マルケージ派」とも訳されるが、「マルケージ・チルドレン」というほうが最も分かりやすい。「ヌオーヴァ・クチーナ・イタリアーナ=新イタリア料理」を標榜したミラノのグアルティエロ・マルケージがイタリア料理史上初めてミシュランの三ツ星を獲得したのは1985年秋のことでそれ以前と以後ではイタリア料理は大きく変わることになる。近年メルケージは、ミシュランはじめあらゆるガイドブックの評価を辞退、いわば「名誉横綱」として82才の今もなおイタリア料理界に君臨している。

そのマルケージの元で学んだ若手料理人たちが30代の脂の乗り切った時期に次々に独立し、話題をさらった。これが「マルケージ・チルドレン」たちである。カルロ・クラッコ、アンドレア・ベルトン、パオロ・ロプリオーレ、ダヴィデ・オルダーニ、そしてそれら先輩格をさしおいて真っ先に3つ星を獲得したのがアルバの「ピアッツァ・ドゥオモ」のシェフ、弱冠34才のエンリコ・クリッパだった。

2013年度のミシュラン・イタリア版から3つ星に輝いたエンリコ・クリッパは現在イタリアでは最年少の3つ星ホルダーであり、日本でも勤務経験もあることから実は日本語も堪能。あらゆる経験を自らの中で消化し、また昇華させることに成功したマルケージ・チルドレンの筆頭格で、1つ星、あるいは2つ星で足踏みを続ける先輩たちからしてみると先を越された感のある衝撃的なニュースでもあった。

こうしたイタリアのアルタ・ガストロノミア、いわゆるハイエンドなレストランにあっては都会にある必然は無い。それこそがパリ中心、東京中心、ニューヨーク中心になりがちな世界のガストロノミー最前線とは一線を画したイタリアならではの特徴であるといえるだろう。

トップ・シェフの料理が味わえるフェスタ・ア・ヴィーコ

北イタリアでそうした「マルケージ・チルドレン」が台頭する中、南イタリアではインディペンデント系のシェフたちの動きが活発である。その筆頭といえるのがポジターノ近郊の小さな町、ヴィーコ・エクエンセにある「トーレ・デル・サラチーノ」のシェフ、ジェンナーロ・エスポージトであり、彼がオーガナイズする食の一大イベント「フェスタ・ア・ヴィーコ」は今やイタリアでも希有なイベントの筆頭である。毎年5月に行なわれるこのフェスタではイタリア中のトップ・シェフが手弁当で参加し、来場者に料理を振る舞ってくれるという、お祭り好きなイタリアでも唯一無二の存在である。

ところで、イタリア料理界全体を見回してみると2008年のリーマンショック以降、ポジティブな話はあまり多くない。あのイタリア人でさえ、外食費を削っているのだから外食産業の打撃は深刻だ。そんな中生まれたキーワードが「ローコスト・フード」である。これは以前ほど料理にお金をかけられないが、高品質で美味しいものが食べたい、というイタリア人の欲求がストレートに表現された当然の結果である。その筆頭が「グルメ・パニーノ」である。イタリア人のソウル・フードのひとつであるパニーノはイージー&チープの代表でもあったが、そこに食材やパン、あるいは組み合わせるグラス・ワインにストーリーとクオリティを付加した新しいムーブメントである。そのパイオニアはフィレンツェの「イノ」だが、同店のスタイルを模倣する店は全国的にあっという間に増えたが、本家「イノ」はローマに誕生した「EATALY」でも大々的に展開するなどフィレンツェから全国区ブランドへと成長しつつある。

山奥発の郷土の味がイタリア料理界を支える

もうひとつそうしたレストラン作業では一線を画しながらも地道に地味との食を追求する運動も活発である。ルッカの山奥にあるガルファニャーナ村は古代品種のトウモロコシ、ジャガイモ、あるいは希少なサラミ、パスタ、スペルト小麦など希少食材の宝庫として知られる。そうしたマイナー食材をうまく村おこしと組み合わせたこの村は、定期的に開催される食の村祭りではイタリア中から食いしん坊な観光客集まり、変わった食べ物に関心しつつ、その美味と特殊性をイタリア全土に広めるという観光大使的な役割を背負っている。イタリアの小さい町は教会とその広場と中心に町が構成されている、あるいはその広場が世界の全て、というような場所も少なくない。教会の鐘=カンパニーレ、が聞こえる世界が宇宙の全て、そういう郷土主義的思想をカンパリリズモと呼ぶが、イタリア料理はある意味カンパニリズモの集合体である。地方発だがそれは決してマーケティングやご当地キャラに根ざした都会向けのメッセージではなく、ひらたくいうなら地産地消。教会の鐘が聞こえる世界だけで完結した郷土料理のミクロコスモなのである。それこそがイタリア料理の多様性をささえているのだが、一体いくつのカンパニリズモ的料理が存在するというのか?イタリアの経済は家族経営の中小企業が支えている、とはよくいわれる言葉だが、イタリア料理の奥深さはこうした地方都市が支えているのである。