Bistrot64@ROMA、能田耕太郎の挑戦

イタリアのガストロノミーの世界において、最先端は今も昔もミラノであった。グアルティエロ・マルケージがイタリア史上初めてミシュランで3つ星を獲得したのもミラノなら、フュージョン和食、アペリティーヴォ、ストリートフード、クチーナ・コンテンポラネアと、それに続く大小さまざまなムーブメントもやはりミラノ発。首都でありながらもローマがイタリア料理の中心であったことは近世以降一度も無かった。それでも80年代以降ガンベロ・ロッソ、ハインツ・ベックといった現代イタリアを象徴するキーワードがローマに登場すると永遠の都も料理で活気づき、2015年のガイドブックでミラノとローマを比べると、ミシュランの星の数は16対20、ガンベロ・ロッソのフォークの数でも53対84と実はローマのほうが評価が高く、イタリア一のガストロノミーの都であることを如実に表している。

ローマの高級住宅街フラミニア地区にある「ビストロ64」でシェフを務めるのが能田耕太郎さんだ。大学在学中、料理人になりたくてあるフランス料理店の扉を二度叩いた能田さんだが働く機会はついにおとずれなかった。しかしシェフは能田さんにこういった。「わたしは家族があるからフランスには行けなかったが、お前はまだ若いから世界をみてこい」

バックパックに荷物を詰め込んだ能田さんはヨーロッパ食べ歩きの旅に出てイギリス、フランス、スペイン、イタリアを食べ歩く。フランスでは3つ星レストランも経験したが、肌で感じて最も自分にあう料理だと感じたのがイタリア料理だった。

「ミラノで何気なく入って食べたミラノ風リゾットがとても美味しかった。それで自分がやりたいのはイタリア料理だと気がついたのです」

日本に戻った能田さんは地元神戸にオープンした「ビストロ・グアルティエロ・マルケージ」に入店。その当時マルケージからシェフとして日本に送り込まれたのが、後に「ピアッツァ・ドゥオモ」でミシュラン3つ星を獲得するエンリコ・クリッパだった。

エンリコ・クリッパの勧めでイタリアへ渡った能田さんはローマの名門ホテル・エデンでイタリア生活の第一歩を踏み出す。順調にキャリアを積み、当時ヴェネト州の「ジェリウス」で働いていた時に次のレストランについて相談したところ「次はお前がシェフをやれ」と言われた。それがローマの北西約60キロにあるヴィテルボの「ラ・トッレ」だ。

能田さんがシェフになった当時の「ラ・トッレ」は安くて美味しい地元の店として評判で連日満員。しかしワイン好きのオーナーがワインを買い込み過ぎて経営がうまくいかなくなり、一度閉店する。

次にフィレンツェのエノテカ・ピンキオーリで働いていたとき知り合ったのがヴィテルボ出身のソムリエだった。彼とともに「ラ・トッレ」再興計画が盛り上がり、2008年能田さんは再び「ラ・トッレ」のシェフに返り咲く。今度は最初から星狙いで、3年目の2011年11月2012年度版ミシュランで見事一つ星を獲得する。

「おかげさまで連日満席でしたけど、厨房は2人しかいないので毎日20時間働いてました。星を取っても僕自身は変わらなかったんですけど、周りが変わって来た。特にオーナーである彼が。僕が本当にやりたかったのはとにかくおいしい料理をお客さまに提供するということだったんですけど彼は違った。次に何をしていいのか、自分でも分からなくなっていた時代です」

2011年3月、能田さんは店を休んで東北大震災のチャリティイベントを準備していたが、記者会見当日やはり店に来て欲しいとオーナーが言った。それでも前から準備していたチャリティイベントを優先したところ、翌日解雇を告げられた。

再びローマに戻り、今度はアラブ資本の5つ星ホテルのシェフを2年間つとめるが、今度は値段が高過ぎてほとんど客が来なかった。その時、客として来ていたのが「ビストロ64」のオーナー、エマヌエレ・コッツォで、やがて能田さんはシェフとして招かれた。価格は控えめだけど皿の上ではイタリアのガストロノミーを展開する、ローマ風ネオ・ビストロの実現に能田さんが抜擢されたのだ。

「今現在の仕事はこれまでの集大成。とにかくいい素材を使っておいしい料理を作りたい。もちろん次のステップとして自分の店もやりたいけれどまだ準備ができていない。でも5年後じゃ遅い。本当は自然に触れられる田舎がいいけれど、日本人が田舎で開くリストランテで、最初どれだけの人が来てくれるのか、その判断も難しい」というのが能田さんが考える自分の店のイメージだ。

残念ながら、今現在世界のガストロノミーの中心はイタリアではないが、フランスやスペインに負けない美味しい郷土料理があるのがイタリア。いま、日本の若者は2〜3年イタリアで郷土料理を学んで日本に帰り、そういう料理を作る人が多いけど、ガストロノミーの世界でも若い人たちに続いて欲しい。ミラノの徳吉さんみたく、若手日本人料理人に刺激を与えられる存在でいたいと思う。と能田さんは語る。

イタリア在住16年にしてまだ道半ば。能田さんの挑戦はまだ続く。

 

能田耕太郎Noda Kotaro

1974 年愛媛県今治市生まれ。大学時代に料理人を志し、ヨーロッパ食べ歩き中にイタリアと出会う。神戸の「ビストロ・グアルティエロ・マルケージ」後1999年 渡伊「ホテル・エデン」「ラ・トッレ」「エノテカ・ピンキオーリ」などを経て現在はローマの「ビストロ64」シェフ。

Bistort 64 ビストロ・セッサンタ・クアットロ
Via Guglielmo Calderini, 64 ROMA  Tel +39-06-3235531
12:30〜15:00、 19:30〜23:00
日、月昼休 コース昼€15〜、夜€35〜

 

池田匡克=取材、文、撮影 初出・料理王国2015年8月号

Masakatsu Ikeda