麦と粉とパンについて、今イタリア人が考えること

麦とパン。イタリア人にとっては根源的であり、キリスト教においてパンはキリストの肉体であり、つまり肉体的にそして精神的に生きていく上で必要欠くべからざるものである。ところが、パンそして麦は今、イタリア人に重大な問題をつきつけている。若い世代を中心に広がっているceliachia、グルテンアレルギーだ。12000年以上、麦とともに生きてきたイタリア人がなぜ今、この病に苦しむのか。9月25日、26日の二日間にわたって開催されたGrani&Pani(麦とパン)のカンファレンスでは、この問題の当事者として解決の道を模索している、麦の生産者、製粉業者、パン職人たちが、フィレンツェ大学の農学者とともにさまざまな見解を述べた。

そもそも、このカンファレンスは、2015年ミラノ万博とパートナーシップを結んでいるフィレンツェ市主催の食にまつわるさまざまなイベントWork’n Florenceの一環として行われた。場所は、1753年に創設された農業と環境を科学的な見地から分析検証する機関、アカデミア・デイ・ジェオルゴーフィリ。ウフィツィ美術館の一隅にある、由緒ある研究所である。このカンファレンスに付随して、一階から地階にかけて、古代小麦の実物、麦やパンに関する資料や書籍、イタリア各地のさまざまなパンなどの展示も行われている。

カンファレンスは、麦、粉、トスカーナのパン、イタリア各地のパンの4つのテーマに分けて行われた。麦では生産者が、粉では製粉業者が、パンについてはパン職人が登壇し、それぞれが自分の経験や考えを披露。彼らはただ単に自分の立場についてだけ発言したのではく、生産者は製粉業者と情報交換を通じて、パン職人は生産者や製粉業者を実際に訪ねて現場を見ることで知識を蓄え、栽培から消費に至る一連の流れを総合的に考え、意見を述べていたことに正直驚かされた。

イタリアでパンは日常に欠かせない食品だが、その多くは、大手流通経路で日配される工場での大量生産品か、街の個人経営のパン屋であっても、グルテンを強化した粉と酵母を大量に使用して短時間で発酵させたものである。それらがどういうものかというと、作られた(あるいは購入した)その日は良くても、次の日にはかちかちに固くなってナイフも入らなくなるようなパンである。そして、食べた後も満腹感が続くが、それは消化しにくいことを意味する。グルテン強化粉と大量の酵母投入は作る側にとっては扱いやすいが、実は食べる人のことをまったく考えていないパンなのである。

戦後復興を経て高度経済成長期になって、イタリアにも効率化の波が押し寄せた。(日本人から見れば全然効率的には見えなくても、この国なりに効率化は進んだのである。)そして、それは食生活に深い影響を及ぼした。インスタント食品や冷凍食品の普及は働く女性たちに歓迎され、パンは近所のパン屋ではなく、スーパーで買うものとなった。スーパーで売られているパンは先述のとおり、グルテン強化粉と大量の酵母からなっている。そしてこのパンを食べ続けた結果が母から子へ遺伝し、さらには子供自身がこうしたパンを食べ続けてきたことが、グルテンアレルギー発症の一因となったというのが、昨今の有識者たちの見解だ。

グルテンアレルギーを引き起こすのは、グラーニ・モデルニ(現代麦)と呼ばれる品種を使ったパンやパスタなどの製品だと言われている。言い換えれば、グラーニ・モデルニ製でなければ、アレルギーを引き起こさない可能性がある。こうして注目を集めるようになったのが、グラーニ・アンティーキ(古代麦)だ。イタリアでは各地にその土地で長い間栽培されてきた固有の品種が存在している。これら古代麦は収量が少なかったり、背が高くなるため収穫時に負担が大きい等といった欠点があり、生産者たちは一時期、手入れが簡単で化学肥料をやればやるほど収量も増えるグラーニ・モデルニの栽培に一斉に転換した。それがちょうど高度経済成長期にあたる70年代から80年代初めである。

グラーニ・アンティーキは忘れられた存在となり、その種も消滅しかけた。ところが、80年代半ば頃より、有機栽培に目覚めた生産者が出現し始める。彼らは、化学肥料で疲弊し汚染された土壌から、かつての健全な土壌への回復を目指し、その土に合った品種を模索した。化学製品に頼らない農業には、その土地の気候風土に適った作物を育てるのが第一条件だ。こうして、グラーニ・アンティーキに回帰しようという気運が生まれたのである。それに呼応するかのように、グルテンアレルギーの問題が拡大し、学者たちがさまざまなアプローチを試みるうちに、グラーニ・モデルニ原因説が生まれ、今やそれはほぼ周知の事実となりつつある。実際に、グルテンアレルギーの人が医師の指導のもと、グラーニ・アンティーキ製のパンやパスタに切り替えたら、症状が改善されたという報告も出ている。

カンファレンスに登壇した生産者は、身を以て体験したグラーニ・アンティーキにまつわる苦労(種の復活や栽培方法の試行錯誤、収量が限られているため安く販売できないことなど)について語ったが、異口同音に、それでもグラーニ・アンティーキを作り続けると断言した。それを求める消費者がいるからでもあるが、グラーニ・モデルニにはない微量だが多様な栄養素を含むことであるとか、化学肥料や除草剤を使わずとも病気になりにくいという長所、さらに温暖化による地球環境の変化にも比較的強いことが証明されつつあることなど、グラーニ・アンティーキを支持する理由が少なくないからだ。

ミラノ万博のテーマである「地球に食料を、生命にエネルギーを(Nutrire il pianeta, energia per la vita)」は、世界で拡散する食料難と地球環境の保護のために生物多様性を訴えている。これまでの大規模農業、大規模生産の陰で多くの種は絶滅に追いやられ、画一的な種の拡大は一度病気や災害に見舞われるとその影響は世界中に及ぶ。この状況を改善するには、さまざまな種が共存することが不可欠である、というのが趣旨だ。イタリアにはかつて数百種もの麦が存在したと言われる。各地の生産者がその再興に取り組めば、生物多様性に結びつく。麦だけでなく、豆や野菜も同じ土地で作り、家畜も育てる。「農業を営むことは“保護”することだ。自分たちが何を選び、何を育て、何を食べているのか。それを考え、さらにそれを声として発信していかねばならない」と発言した生産者の言葉が耳に残っている。

※アカデミア・デイ・ジェオルゴーフィリでのGrani&Pani展示は月曜〜金曜の15時〜18時、10月30日まで。入場無料。