イタリア・メルカート進化論

ここのところイタリアの市場の変容が目覚ましい。スペインでは数年前からバルセロナのサン・ジュゼップ、サンタ・カテリーナ両市場、マドリッドのサン・ミゲル市場に見られるように、それまでの生鮮食品を売る屋内市場が、食べて飲めて買える、フードコートへと変貌を遂げ観光的にも商業的にも大成功をおさめてきた。アルタ・ガストロノミアの世界でスペインに遅れをとること早10年、イタリアは食のツーリズムという点で、なぜスペインを見習わないのだろう、と常々思っていた。

ローマにトライヤヌスの市場跡が残るように古代ローマ時代からイタリアの街には市場が存在して来たが、イタリア各地に現存する屋内市場の大半は1800年代後半、イタリア統一後に作られたものだ。フィレンツェのサン・ロレンツォ中央市場を作ったのは、ミラノのガレリアを作った建築家ジュゼペ・メンゴーニで、当時流行の鉄とガラスを使ったモダン建築が採用された。その頃誕生した美しい市場はヴェネツィア、ジェノヴァ、リヴォルノ、モデナなどに残っているが、いかんせんハード的には時代遅れの感が否めなかった。

しかしここ2〜3年大都市を中心に市場のフードコート化が急速に進んでいる。ローマではテスタッチョ、トリオンファーレの2大市場が地下駐車場付きの巨大屋内市場に生まれ変わり、ポルケッタやグルメ・ピッツァなど、ローマ風ストリートフードをキーワードにイートイン&テイクアウトが充実した。前述したフィレンツェのサン・ロレンツォ市場は1階部分は従来通り、生鮮食品を売る市場だが、2階部分が大フードコートに変貌してピアディーナからモッツァレッラまでありとあらゆる地方の食を楽しめる空間となった。その仕掛人は地元フィレンツェのレストラン「アッレ・ムラーテ」のオーナー、ウンベルト・モンターノだ。また、最後の砦ミラノではそれまで戦後バラックの集合体のようだったナヴィリオ脇、ティチネーゼの市場がミラノ万博を期に屋内市場へと生まれ変わった。

忘れてはならないのはこれら三都市にはいずれも同時期にイータリーが進出し、いずれも成功をおさめていることだ。イータリー以前は巨大スーパーマーケット一辺倒でデパ地下さえ存在しなかったイタリアにおいてイタリア各地の食品をいつでも入手できるようになった意義は大きい。イータリーはレストラン分野でも一歩先を行っており、ミラノ店には女性シェフ、ヴィヴィアナ・ヴァレーゼの「アリーチェ」が誕生してすでにミシュランひとつ星を獲得。フィレンツェ店には期待の若手エンリコ・パネーロの「ダ・ヴィンチ」が。そしてローマ店には3つ星シェフ、ニコ・ロミートの「スパツィオ」が登場し、アルタ・ガストロノミアの分野でもそれぞれの街をリードする存在になりつつある。こうしたハイエンド・ユーザー向けのイータリーと、旅行者、地元客を対象とした屋内市場は互いに相乗効果を生み出しながら、それぞれの街で食のエンターテインメント化を推進していると言える。現にフィレンツェのサン・ロレンツォ市場はリニューアル初年度の来場者数で、ウフィツィ美術館を上回ってしまったというから驚くべき市場人気である。