SAPORITA NEWS

日本のイタリアンを旅する1、Ferragosto@須賀川(福島)

有料コンテンツのお申し込みはこちらから
イタリア料理のストックフォト10,000点超

「Ferragosto フェッラゴースト」を初めて訪れたのは、まだ開店間もない2013年11月。須賀川駅前でタクシーに住所と店名を告げても「どこだ、それ?」と言われ、地元の運転手数人と一緒に手分けして検索。ようやくたどりついた「フェッラゴースト」は看板も無い民家風の一軒家で、まだタクシー運転手も知らなかった。3 年後の2016年4月、再度須賀川駅に降り立ち、同じようにタクシーに乗っていく先を告げると「あ、あのレストランですね」と問題なく店に向うことができた。3年間でどれだけ「フェラゴースト」が地元に定着したかが分かるエピソードだ。

イタリア修行を終えて地元福島県須賀川市に戻った岩﨑里美さんは 2013年8月に「フェッラゴースト」をオープン。店名はイタリア語で8月15日を意味するがこれは岩﨑里美の誕生日。以来厨房では一人でピッツァを焼き、パスタを茹で、肉を焼く。小柄な体で厨房を飛ぶように働く姿はいまや須賀川名物となりつつあるようだ。

須賀川で生まれた岩﨑さんは学生時代は料理とは無縁、空手とバスケに打ち込む体育会系女子だったがテレビで見たイタリアのピッツァ職人の姿に感銘を受ける。それまで全く知らなかった未知の世界に突然惹き付けられた。東京の専門学校を卒業すると、ピッツァ職人になりたくて都内のリストランテ・ピッツェリアで働き始める。

「当時はなにもわからなかったのでピッツァはやらせてもらえず、サービスを担当していました。でも前菜をやらせてもらうようになり、料理にも興味を持ち始めました」

その時に出会ったのが当時日本橋にあった「フェア・ドマ」の松橋ひらくシェフ。自分の知っている料理とは全く違うことをやっていたし、イタリアへ渡る準備を本格的に始めたのもこの頃から。そして2010年1月、25才でフィレンツェに渡る。

フィレンツェで老舗レストランとパニーノ店での仕事を掛け持ち

最初に厨房に入ったのは老舗トラットリア「ブカ・デッロラフォ」。当時は週休2日だったが「厨房にいるだけではお客さんと接することが出来ない」と、すぐ近くにあるグルメ・パニーノ専門店「イノ」でも休日に働き始める。ここでは店主アレッサンドロから多くの食材や、仕事に対する考え方を学んだという。その後サルデーニャを経て、再び「ブカ・デッロラフォ」で1年働いたあと2013年初頭にイタリア生活を終えて帰国する。

「日本に帰ろうと決めたのにはふたつ大きな理由があります。ひとつは2011年3月の東日本大震災。いろんなことを考えましたし、自分の環境を変えたいということもあって一度 「ブカ・デッロラフォ」をやめました。なにかきっかけがないとずっとそこにいてしまいそうだったので。長年イタリアで働いている日本人とも多く知り合った し、できることならもっとイタリアにいたかったし、ピッツァの修行もしたかった。でも2012年に父が亡くなったのを期に日本に帰りました。」

震災直後、フィレンツェで彼女に会った時のことだ。イタリア人が心配していろいろ日本のことを聞いてくれるんだけど、福島出身と言えない自分がいる、 と言っていた。故郷を離れ、イタリアにいる間に起きた震災は、生まれ故郷についてより深く考えるきっかけとなったのだ。

自分が生まれ育った場所でイタリアでの経験を表現する

震災後に父の同級生が住居を建て直した際、場所の一部を「フェッラゴースト」に提供してくれた。昔の柱を使っているので古い民家にいるような気持ちにさせてくれるのだが、それは岩﨑さんの母と姉が手伝う、イタリアのオステリアのようなスタイルのせいもあるかもしれない。

「ブカ・ デッロラフォ」もそうなんですが、イタリアでは家族経営の店が多くて素敵だな、自分もそうやりたいな、と思ってました。故郷に帰って家族と仕事するようになってわかったんですが、実は須賀川市にも福島市にも家族経営のお店はたくさんあるんです。店とお客さんの距離も東京とは違って、店に対して寄り添ってくれるような感じです。」

子供の頃に見た故郷と、イタリアから戻って見る故郷は見え方が違って来たそうだ。農家の人と意見交換しながらイタリア野菜を育ててもらい、店を中心にいろんな人が集まるようになってきた。自分のためにもそうだが、町のためにもイタリア料理店があるのはいいことだという。メニューはあえて分かりやすくしない。大抵の人はイタリア語の多いメニューを見て悩むようだが、そういう時に説明に出て、コミュニケーションをとりたい。しかし実際一人で調理しているのでそんな時間はないそうだが。

今回3年ぶりに口にしたフェッラゴーストの料理は以下の通りだ。まずは喜多方産ホワイト・アスパラガスのロースト、タルタルソース1650円。極太の白アスパラガスをボイルしたあとピッツァ窯を使って表面をロースト。下にはバーニャカウダ・ソース、上にはタルタル・ソースをかけた歯ごたえある料理。

アーティチョークのたまごやき680円。フィレンツェの古いトラットリアでよく見かける料理を自分流に再現。イタリア製アーティチョークを使い、修行先の「ブカ・デッロラフォ」を超えた美味しさ、と本人もいう。フィレンツェで修行経験のある料理人はこの料理を出すことが多いが作り方はひとそれぞれだが、岩﨑さんの場合は仕上げに卵液を追加する調理法。これまでイタリアで、日本で何度もこの料理を食べて来たがこれが最も男らしかった。

ミートソースの自家製パッパルデッレ1300円。食べ応えあるセモリナ粉入りでややざらりとした食感の手打ちパッパルデッレは牛腿肉、豚腿肉のあらびきに鶏レバーを加えて作ったミートソースとあえ、仕上げはペコリーノでトスカーナ風に。

ピッツァ・マストゥニコラ 1500円。イタリアで気にいったという1500年代にナポリで食べられていた、ラルドとバジリコのトマト無しピッツァ「マストゥニコラ」。トマトがイタリアで食用となる以前、ラードを乗せて焼いていた時代の名残だ。

「20 才で働き始めた頃、10年後の30才でなんとかしたい、と漠然と思ってました。今31才になりましたが、これからの10年、まずはこの店を成功させたい し、もうワンランク上にいけるのであれば違うこともやりたい。それがどんな形かいままだ自分でも分からないけれど、40才になれば、もしかしたら見えて来るかもしれない」

ピッツァを焼き終え、汗拭きながらそう話す姿を見ていると、イタリアを経て考え方も仕事ぶりも大きく変化したことに気がつく。イタリアや日本で多くの出会いが糧となり、あらためて故郷を認識し、しっかり根を下ろしているのだ。「フェッラゴースト」に人が集い、イタリア料理を中心人の輪が広がる。どうやら岩﨑里美がイタリアから故郷須賀川に持ち帰ったものは、イタリアで感じたオステリアの空気そのもののようだ。

SATOMI IWASAKI

1984 年8月15日福島県須賀川市生まれ。学生時代は空手やバスケなどスポーツに打ち込んでいたがテ レビで見たイタリアのピッツァイオーロの姿に感動し、イタリア料理を目指す。「フェア・ドマ」などで働いた後イタリアに渡り「ブカ・デッロラフォ」「イノ」などで修行。2013年「フェッラゴースト」をオープン。

(店データ)

Ferragosto フェッラゴースト
福島県須賀川市大町244
Tel0248-94-8933
営業11:30〜14:00、18:00〜21:30(L.O.) 月休
コース 昼1300円〜、夜アラカルト 席数 18

 

 

初出:料理王国2016年7月号、一部加筆

 

 

匡克 池田
About 匡克 池田 (1145 Articles)
1967年東京生まれ。イタリア国立ジャーナリスト協会会員、フォトジャーナリスト。日本で出版社勤務後独立、1998年よりフィレンツェ在住。「シチリア美食の王国へ」「イタリアの老舗料理店」「フィレンツェ美食散歩」「伝説のトラットリア、ガルガのクチーナ・エスプレッサ」など著書多数。2011年に池田愛美と株式会社オフィス・ロトンダ設立。国際料理コンテスト「Girotonno2014」「Cous Cous Fest2014」で日本人初の審査員となる。 http://www.office-rotonda.jp https://www.facebook.com/ikedamasa
error: