イタリア菓子伝05 コンフェッティ

結婚式に欠かせない、アーモンドを糖衣で包んだコンフェッティ。古代ローマ時代にはすでに存在し、子供の誕生や結婚の祝祭菓子として用いられていた。ただし、当時はまだ砂糖はなく、蜂蜜と小麦粉でアーモンドを包んだものだった。糖衣で包むという方法は、伝説によれば、アル・ラーツィなるアラブ人が苦い薬を甘い衣で包んで飲みやすくしたのが始まりだというが、確たる証拠はない。

砂糖が西インドよりオリエントを通じて地中海世界へと伝わったのは8世紀頃。しかし、あまりに高価で一般的に使われることはなく、その後長らく王侯貴族の間で珍重される幻の甘味の時代が続く。その砂糖がコンフェッティに使われるようになったのは15世紀、アブルッツォのスルモーナという町のサンタ・キアラ教会の修道女たちが供物として作ったことに始まるという。しかも、彼女たちはそのコンフェッティを絹糸で連ね、葡萄の房や麦の穂、花束に模して結婚を控えた貴族の子女への贈り物に仕立てたのである。これをきっかけにスルモーナのコンフェッティは近隣の町に知られるようになり、伝統としてコンフェッティ作りが定着する。その後、新大陸の発見、植民地化に伴って砂糖の製造が始まり、安定した供給が見込めるようになると、大量生産化が始まる。1783年にはスルモーナ近郊にPelino社が創業、次いで1833年にWilliam Di Carlo社が誕生した。産業革命以前に起こったこの二社は現在もスルモーナのコンフェッティを広く国内外に販売している。

コンフェッティは、金平糖の語源であることからもその作り方はほぼ同じだが、金平糖がザラメを芯にするのに対し、コンフェッティはアーモンドを使う。アーモンドのほかバリエーションとしてアニスシードやコリアンダーシードもある。銅製のカルダイア(釜)にアーモンドを入れ、加熱しながらゆっくりと回転させ、そこへ少しずつ砂糖水を加えることで、アーモンドの回りに砂糖衣が少しずつ層になっていく。ここまでは家庭でも銅製の鍋を使えばできないことはないが、時間がかかる上に、一番重要な表面の研摩仕上げは家庭では不可能だ。金平糖とは違って、表面が陶器のようにつるりと滑らかなのが、コンフェッティの特徴である。

スルモーナのコンフェッティは伝統的には地元のペリーニャ谷産のアーモンドを使うが、現在は上質だとされるシチリアのアヴォラ産アーモンドが主流になっている。アヴォラ産のアーモンドには3種類あり、そのうち、ピッツータ種、ファシネッロ種が主に使われるが、この二つは扁平な形が特徴的で、平べったいコンフェッティには、アヴォラのアーモンドが使われていると見てほぼ間違いない。また、Pelino社やWilliam Di Carlo社では伝統的な製法を用いながらも昔よりも軽い歯ざわりに仕立てている。歯が砕けそうに固い糖衣より、カリッと軽く脆い糖衣の方が好まれるからだ。さらに、アーモンドを芯にせず、フルーツや紅茶のフレーバをつけたチョコレートやジャンドゥイアなどをフィリングにした様々なバリエーションがある。

先に述べたように、コンフェッティはそもそも祝祭菓子であり、その祝祭の趣旨に応じて色を選ぶのが伝統である。結婚式には白、洗礼式には男の子なら水色、女の子ならピンク、大学卒業は赤、婚約は緑、銀婚式なら銀、金婚式なら金、といった具合である。白以外は最近決めたような商業的な思惑が透けて見えるが、カラフルなコンフェッティは見ていて楽しい。そして、コンフェッティを入れる箱、いわゆるボンボニエレもコンフェッティになくてはならない添え物である。フランス宮廷では女性たちが競うように美しいボンボニエレを携えていたというが、凝った細工を施したボンボニエレは今もなおコンフェッティの専門店のウィンドウを華やかに彩る。

ところで、結婚式で配られるコンフェッティの数は奇数と決まっている。偶数だと “わかれて”しまうからだ。一般には銀や陶器、布の袋などに5個、というのが慣習である。配るのは5個だけ?と思うかもしれないが、結婚式会場では大きな器にコンフェッティが山盛りに用意されていて、参加者はそれを好きなだけ食べたり、袋に詰めて持ち帰ったりすることも多い。古来アーモンドは“豊穣”の印、祝祭の席では大盤振る舞いが期待されているのである。

フィレンツェのコンフェッティ専門店

La Confetteria

Migone Confetti Via dei Calzaiuoli 85R Firenze