イタリア縦断鉄道の旅07 ドロミティを一望するレノン鉄道の旅

 

翌朝10時46分発のレジョナーレでボルツァーノへ戻る。到着は定刻通りの11時25分。ケーブルカー乗り場近くにある、ボルツァーノの定宿ホテル・スカラHotel Scala(www.scalahot.com/)に荷物を置き、レセプションの若い女の子にケーブルカーの時刻をたずねると「多分今週は休業中では・・・」とのこと。不安になって駅にいってみると、やはり「ただいまメンテナンス中のため臨時休業」との張り紙。代理運行のバスが車で少々時間があったので、そばにあったその名も「バール・ハイジ」で一杯やりながら待つことにする。

ボルツァーノはアディジェ川とイサルコ川が合流する三角地帯にできた街で、ドロミティを越えてヴェネト地方、コルティーナ・ダンペッツォへと向かうドロミティ街道の玄関口。街の背後を1000メートル級の山々に囲まれており、ケーブルカーはわずか12分で一気に標高1220メートルのソプラ・ボルツァーノまで運んでくれる。ソプラ・ボルツァーノはドロミティを見渡す北イタリア屈指のパノラミック・トレイン、レノン鉄道Ferrovia Renon(www.sad.it)の事実上の始発駅である。

ボルツァーノから乗ったバスがソプラ・ボルツァーノ駅に着くと木製のヴィンテージ・トレインが出発を待っていたので早速乗り込む。料金は終点コッラルボまで往復で3.5ユーロ。

レノン鉄道の開業はまだボルツァーノがオーストリア・ハンガリー帝国時代の1907年。当時はボルツァーノからマリア・アッスンタまでの区間をラックレール式鉄道が走っていたが死亡事故を機に廃線。急勾配区間はケーブルカーに代わり、比較的平坦な高原を走るマリア・アッスンタ〜コッラルボ区間6.5キロのみが残されている。

開業当初の香りを今に伝える木製電車に乗り、車窓に広がるドロミティの景色を追う。正面に見えるテーブル上の岩山は標高2563メートルのシリアル国立公園。走行時間わずか16分ながら、乳牛が草を食むチロル風の風景と雄大なドロミティを満喫できる。

ドロミティの開発もまたハプスブルク家の統治時代にさかのぼる。その名は1791年にドロマイト岩を発見したフランス人の鉱物学者ドロミゥを記念して名付けられた。ハプスブルク皇帝フランツ・ヨーゼフの統治下だった19世紀に山岳リゾート地として開発され、ボルツァーノからコルティナ・ダンペッツォへ続くドロミティ街道の開通とともに、ヨーロッパ中から旅行者が集まるようになった。

終点はコッラルボ駅。帰りの発車時間まで1時間少々あるので町を歩く。町とはいえ、5分も歩けば家並みは少なくなり、黄葉した森と青々とした牧場が広がる。時折のぞく青い空の向こうに見えるのはドロミティの岩肌。聞こえるのは風の音と牛の鳴き声ぐらい。標高1200メートルの遊歩道を歩けば1時間はあっという間に過ぎてゆく。

再び木製車両に乗り込み、さらにソプラボルツァーノからバスに乗り換えてボルツァーノへと標高差1000メートルを下りてゆく頃、ボルツァーノの谷全体に夕焼けが迫り始める。

ケーブルカー駅の隣にレストランがあったので試しに入ってみると、ここは石焼焼き肉の店だった。熱した石板の上で客が自ら野菜や肉を焼いて食べる、イタリアではとても珍しいシステム。「味付けはケチャ・オ・マヨ?」とへそにピアスをしたカメリエーレが聞いてくるので何のことかと尋ねると、ケチャップとマヨネーズのどちらがいいか?とのことだった。どうも昨夜からよくケチャップとマヨネーズを目にするような気がする。やはり行政区分はイタリアとはいえどこかで国境を越えてしまったような。しかも店に流れるBGMは「君の瞳に恋してる」と「クラブ・コパカバーナ」だった。