パスタの歴史その3 パスタの道 エトルリア、古代ギリシャ、古代ローマ(全9回)

絹が伝わったシルクロードのように、パスタがたどったパスタロードがある、というのが最近のパスタの歴史論の中核だ。ただそれは、絹の交易といったような商業的なルートではなく、どのようにパスタというものが伝わり、発展していったかを推測し、物語る道だ。道は幾つかにわかれており、代表的なのがエトルリア、古代ギリシャ、古代ローマ、中国、シチリア、ユダヤの道である。

エトルリアの道

古代ローマ時代以前に、中部イタリア(現在のトスカーナ、ウンブリア、ローマなど)を中心に存在したと考えられているエトルリア。紀元前10〜13世紀に繁栄したが、古代ローマ人が勢力を広げるにつれ吸収消滅していった都市国家で、高度な文明を持っていたとされる。遺跡も発見されているが、研究は進んでおらず、文字も解明されていない謎に満ちた民族である。そのエトルリア人がパスタらしきものを作っていた証拠とされているものが、トスカーナとの州境近く、ラツィオ州ローマ県チェルヴェテーリCerveteriにある紀元前四世紀に遡るエトルリアの遺跡バンディタッチャBanditacciaにある。いくつかある墳墓のなかに家の中を描写したレリーフが残されているところがあり、そこに生地をのす台、麺棒、今日ではラヴィオリなどを作る時に使うローラーカッターらしきものが表れているのだ。ただ、パスタや練り生地のようなものは描かれていないため、ほんとうにパスタを作っていたかどうかは定かではない。それでも、鉄や大理石、木材を使いこなしていた民族だけに、小麦を栽培し、粉にして練るという行為を行っていたはずというのが、大方の意見である。

古代ギリシャの道

紀元前6世紀頃にはすでに麦を自在に扱い、さまざまなパンを作っていた古代ギリシャ。プラトンは対話篇「ゴルギアス」のなかで、パン職人に“(パンは)非常に滋養に富む”と言わせている。

紀元200年、ナウクラティス(現エジプトの古代ギリシャ都市)のアテネオによる著作「Deipnosofisti」(饗応に集う識者)の第三巻に、ラガノンlaganonという言葉が登場している。5世紀の古代ギリシャ語研究者エシキオによれば、粉を水といっしょに練り、薄くのばし、油で揚げたフォカッチャのことだという。また、古代ギリシャの喜劇作家アリストファネスも作中で「彼女たちはラガナlaganaを料理していた」と書いている。これら、ラガノン(ラガナ)は、薄く伸ばした小麦粉の生地を揚げたり、煮込んだりしたものだと考えられており、それは場合によっては細長く切ってから加熱したのではないかと言われている。また、紀元前2世紀の医者で哲学者であったガレノスは、小麦粉と水を混ぜて練ったものを指して、イトゥリオンitrionという言葉を使っている。このイトゥリオンは後にシチリアの項で述べるトゥリアtriaの元となる名前だという説もある。

話は脇道へとそれるが、ガレノスは「重く、固く、ガラス質」の麦についても書いている。これは硬質小麦であると思われ、つまり、その時代すでに硬質小麦が利用されていた可能性を示している。しかし、ガレノスは優れた学者でその情報の信憑性が高いことで知られており、この不明朗な記述はこの学者の本来の質とは相容れず、おそらく初めて遭遇したものだったのではないかとも想像できる。たとえば、暑く乾いた気候下で栽培され、硬質小麦並みに固い殻果となった軟質小麦を見たのかもしれない。

古代ローマの道

紀元前490年、大飢饉に見舞われたローマは市民に備蓄の小麦を分け与えたという記録が残っている。こうした危機に備えて穀物を長期保存する方法は、煎る、煮るなどがあったが、そのほかに小麦粉生地を練り、乾燥させたものもあり、パスティッリpastilliという専用庫に保存され、使う時には長時間ゆでる必要があったといわれている。つまり、古代ローマ時代、パンから一歩進んで、長期保存を目的とする食物としてパスタが進化していったのである。

1世紀の美食家アピーチョ(アピシウス)が残したとされるレシピ等が、後の3〜4世紀に10巻に渡る料理書「De re coquinaria」(料理芸術)にまとめられているが、その4巻に、ラガネlaganeというものが登場する。ラガネとはうすくのばしたパスタで、魚や肉などの具と交互に何層も重ねたローマ帝国のご馳走料理に使うとある。しかし、ラガネそのものの作り方には触れていない。それは、当時のローマ帝国ではごく一般的なものだったから、あえてその作り方を書かなかったのだろうと推測されている。

同じ本のなかでアピーチョは、古代ギリシャ人が作っていた乾燥パスタであるトラクタエtractaeの意味とその使い方を述べており、肉や魚のミヌタル(刻んで煮込んだもの)のつなぎ、とろみをつけるのに使うとよいと書いている。もろいパスタ生地トラクタエは、粉と水を練った後に乾燥させたもので、詩人ホラティウスはポロねぎとひよこ豆とともに煮込んだものが好物だったという。

また、18世紀の古代ローマ・ラテン語研究者フォルチェッリーニによると、ラガネは「粉と水でできた細い帯状のもの」で、肉のブロードで煮、チーズ、胡椒、サフラン、シナモンなどで調味するものだったといっている。この時代のパスタ=ラガネは、おそらくかなり長時間煮込んでから食べただろうというのが、研究者の意見の一致するところである。

ところで、使われていた小麦についてだが、軍人で博物学者であり、「博物誌」を著した大プリニウスは、シチリアの硬質小麦のとある種が好物であると書いてはいるが、この品種についての考察などは残しておらず、硬質小麦と軟質小麦の違いについての言及もない。古代ギリシャもそれに続く古代ローマも、パンや菓子、パスタらしきものについての記述は残っているのに、二種類の麦の違いについて書いているものがないのである。おそらく粉引きの技術の問題で、硬質小麦をパンなど練り生地に使える粉にすることができず、この時代、多くは軟質小麦を用いたのではないかといわれている。

 

 

Masakatsu IKEDA
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池田匡克 Masakatsu IKEDA ジャーナリスト 1967 年東京生まれ。出版社勤務後1998 年イタリアに渡り独立。旅と料理のビジュアル・ノンフィクションを得意とし、イタリア語を駆使したインタビュー、取材、撮影、執筆、講演活動を日本、イタリア両国で行う。主な著書に「シチリア美食の王国へ」「イタリアの老舗料理店」「サルデーニャ!」「フィレンツェ美食散歩」「アマルフィとカプリ島」「Dolce!イタリアの郷土菓子」「世界一のレストラン オステリア・フランチェスカーナ」など多数。2005年よりイタリア国立ジャーナリスト協会所属。株式会社オフィス・ロトンダ代表取締役。2014年国際料理大会Girotonno、Cous Cous Festに日本人として初の審査員に選ばれる。2016年レポーター・デル・グスト賞受賞。