パスタの歴史その4 パスタの道 中国、シチリア、ユダヤ(全9回)

中国の道

すでに冒頭で述べたように、マルコ・ポーロが中国から“麺”を持ち帰って広まったという説は否定されている。ただ、「東方見聞録」には、それらしきものについて語っている箇所がある。この作品は獄中で語った冒険譚がもととなって口述筆記で、写本につぐ写本のおかげでさまざまなバージョンが存在しているという性格上、内容に正確さを求めるのは酷というものだが、それでもあえて引用すれば、「スマトラ西部のファンスール王国で見たパンの木から採った粉で作るラガネは珍しい」という記述がある。彼がいうところの「パンの木から採った粉」は小麦粉ではなく、サゴヤシ澱粉であったと推測されるが、重要なのは、ラガネというラテン語起源の言葉を使っていることである。この時代(13世紀末)にラガネという言葉がパスタを指していたというのは間違いないだろう。ただ、ラガネがパスタを指す一般名称だったのか、あるいは、パスタの一種を示す言葉だったのかは定かではない。

ちなみに、中国はその気候風土の性質上、硬質小麦ではなく軟質小麦栽培圏で、餅(ビン)や麵は軟質小麦製である。

シチリアの道

地理学者であり宮廷の記述官であったアラブ人イドゥリシは、ノルマンの王ルッジェーロ2世が1154年に没する前に「Il diletto di chi e’ appassionato per le peregrinazioni attraverso il mondo」(世界を放浪することを愛する人の喜び)、一般的には「Il libro di Re Ruggero」(ルッジェーロ王の本)と呼ばれている著作のなかで以下のように記している。

「西に、トラビアの集落があり、そこは枯れることのない水に恵まれ、粉挽き小屋があり、美しい平原と広大な農場がいくつもあり、その農場ではイトゥリアitriyaを製造している。その量たるやカラブリアはもちろんのこと、イスラムや遠くのキリスト教国まで船旅に供する糧食として定期的に輸出しているほどである」。

イドゥリシはイトゥリアという言葉を用いて、当時のシチリアではすでに一般的で、かなりの規模で製造され輸出までされていたパスタの一種に言及したのである。このパスタは、長期保存が可能で長旅に耐えられる、暑く乾いたシチリアのような気候を好む硬質小麦製であろうと言われており、また、形は細いスパゲッティ状で、現在のシチリアでトゥリアtria、あるいは、トゥリア・フィーナtria finaと呼ばれるものの祖先だと考えられている。トゥリア・フィーナとは、トゥリア・バスタルダtria bastardaに比べてより細さを強調した呼び方である。イドゥリシはこのパスタの起源についてはほとんど触れておらず、それよりも商業的な重要性に固執していることから、シチリア外ではあまり作られていない製品であったことが伺える。

この著作は、マルコ・ポーロが生まれる1世紀も前に世に出ていること、また記述としては今日でも正確性を保ち科学的であると認識されているがゆえ、マルコ・ポーロのパスタ持ち込み説が否定される筆頭理由となっている。

ユダヤの道

今日、ラザーニャと呼ばれているものは、古代ギリシャのラガノン、そして古代ローマのラガナが起源となっており、また、細長く形作られた乾燥パスタはアラブ世界のイトゥリアから来ているというのが有力説である。

ラガナとラザーニャはその音の類似性が起源を説明しているという説に疑いの声は少ないが、一方で、イトゥリアについては、アラブの言葉がなまってトゥリアに至ったという仮説はあるが、確定には至っていない。紀元2世紀のギリシャ人ガレノスが自著のなかでギリシャ語のイトゥリオンitrionをラテン語のイトゥリウムitriumと位置づけ、粉で作られた生地をゆでて食するものと説明しているが、研究者の間で、重要なのはイトゥリアやイトゥリオンではなくトゥリアという言葉であり、この言葉はイトゥリオンではなく、ギリシャ語のトゥリアthrya(細い紐状のイグサ)から来ているのだという説が出てきている。

ギリシャ/ラテン語のイトゥリオン/イトゥリウムという言葉は、ローマ帝国時代初期には東西交易の発達により、東地中海世界に普及していたとするのが一般的だ。粉と水でできた練り生地を指す言葉としてエルサレム・タルムード(2~5世紀)にも現れており、エルサレム近くに入植していたアラブ人を通じて普及したと考えられている。

ここで一度整理すると、ラガナ(ラガネ)は練り生地を平たくのばした状態のもの、イトゥリウムは粉と水を練った生地、トリアは紐状にした乾燥パスタだという説がほぼ定着している。2世紀から6世紀の間に、ラガナは西地中海世界に広まり、イトゥリウムは同時期に東地中海世界に普及した。

ところが、エルサレム・タルムードに登場するイトゥリウム、そしてトリアは紀元初期にユダヤ人たちによって西地中海にあるシチリアにもたらされたという説がある。当時、ユダヤ人はこの島が交易的に優位な立地であることから、都市のみならず、内陸部の村にも広く入植していた。ヨルダン川の谷の暑く乾いた気候下で育つ硬質小麦の栽培を、よく似た気候のこの土地で積極的に行ったのだという。つまり、ユダヤ人によってシチリアでは、アラブ人がやってくるはるか以前、2世紀から5世紀の間に、長期保存可能な細い紐状のパスタが作られていたというのである。

この説でいくと、9世紀にアラブ人がシチリアにやってきたとき、彼らはユダヤ人が作る長期保存可能な細い紐状のパスタを見たことになる。彼らは彼らで乾燥パスタを作っていたが、今まで用いてきた小麦(軟質)に代わるより良い小麦を探していた。シチリアの乾燥パスタは、北アフリカから中東までの砂漠地帯の長旅に携える長期保存の食品になりうると判断し、自らもその製造に関わったのである。こうして、小麦栽培はより大規模で整備されたものとなり、地中海世界にパスタが広まっていった。

シチリアではパスタを指すものとして、ギリシャ語から派生したトゥリアという言葉を使っていた。というのも、当時入植したユダヤ人はヘブライ語ではなくギリシャ語を使っていたからである。つまり、アラブ語のイトゥリアはトゥリアを語源としているという説が信憑性を帯びてくる。またシチリアだけでなく、現在のマルケ州アンコーナでは、細いスパゲッティ状のパスタを指してトゥリアと呼ぶ。アラブとは無縁だが、ギリシャ/ヘブライの影響は受けたという同地の歴史に照らすと、やはりトゥリアという言葉がイトゥリアよりも先に存在していたといえる。ちなみに、現在もトゥリアという名前のパスタはプーリア州サレント地方に存在し、きしめん状のパスタを半量は揚げ、半量はそのままでひよこ豆と一緒に煮る、チチェリ・エ・トゥリアciceri e triaなどの伝統料理がある。

ユダヤ人はその後のアラブ・ノルマン時代にもシチリアにとどまることが許されていたため、シチリアのユダヤ人と北アフリカ・アラブの間の食文化における交流があったともいわれている。そして、その後のアラブ・スペイン間で結ばれた条約のなかに、細い紐状のパスタを指す言葉としてアラブ語のイトゥリア、ヘブライ語のフィダウスfidawsが登場する。スペインでパスタを指すフィダウスはシチリアから北アフリカを経由してイベリア半島に行きついたユダヤ人がもたらしたという説が成り立つのである。

 

 

Masakatsu IKEDA
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池田匡克 Masakatsu IKEDA ジャーナリスト 1967 年東京生まれ。出版社勤務後1998 年イタリアに渡り独立。旅と料理のビジュアル・ノンフィクションを得意とし、イタリア語を駆使したインタビュー、取材、撮影、執筆、講演活動を日本、イタリア両国で行う。主な著書に「シチリア美食の王国へ」「イタリアの老舗料理店」「サルデーニャ!」「フィレンツェ美食散歩」「アマルフィとカプリ島」「Dolce!イタリアの郷土菓子」「世界一のレストラン オステリア・フランチェスカーナ」など多数。2005年よりイタリア国立ジャーナリスト協会所属。株式会社オフィス・ロトンダ代表取締役。2014年国際料理大会Girotonno、Cous Cous Festに日本人として初の審査員に選ばれる。2016年レポーター・デル・グスト賞受賞。