「トスカーナ 美味の教え」を読む

フィレンツェに住み始めた頃、トスカーナの田舎へ出かけたことがあった。シエナの南へ行くと、ゆるやかな丘の続くいわゆるトスカーナ的風景が広がる。緑の丘の上の石造りの家に向かって糸杉の並木が続いていたり、忽然と糸杉の群れが現れたり。同行したフィレンツェ在住○十年の人に、「あれは、見栄えを意識して植えたのかな」と言うと、「まさか。必要だから植えたに過ぎない」と断言されてしまった。腑に落ちないながらも、そんなものかと無理矢理納得した記憶がある。

それから15年余り経ち、イタリア人の行動そして思考パターンが少しずつわかってきたような気がする。あれこれと工夫するのが好きで、とりあえずやってみる。失敗してもどんどん突き進む。やがて、独創的で、時にはなんとも奇妙奇天烈なものができあがる。でも、なぜか味わいがあって、不思議なほど惹き付けられる。そもそもは必要から生まれたものなのに、いつの間にかその用の美は人をとらえて離さないレベルにまでなっている。ある日突然、あぁそれがトスカーナの糸杉の並木だ、と思い至った。美しい糸杉の並木も必要からイタリア人が生み出した用の美なのだ。

イタリアで美しいと感じるもの、味わい深いものには、それが過ごしてきた時間が刻み込まれている。ああでもないこうでもないと試行錯誤した作り手の足跡がじんわりとにじみ出ている。

古澤千恵さんの新刊「トスカーナ 美味の教え」を眺めていると、この人もイタリアとイタリア人に魅せられてしまったのだと思う。そして彼女は、自分なりにその魅力の秘密を解き明かそうとしている。料理というアルテ(技・術)を通して、彼女が体感したイタリアの面白さ、楽しさ、不思議、驚き等等を追究している。料理をし、写真を撮り、言葉を紡ぎ出す。そこには試行錯誤と決断が繰り返された孤独だが幸せな時間がたっぷりと込められている。一足飛びに結論を出さず、ゆっくりと時間をかけて作っていくという作業、これこそがイタリア人のやり方であり、彼女は本を作ることによって、イタリア人の根底にあるものを見極めたはずだ。そしてそれを私たちはこの本を通して垣間見ることができるのだ。

イタリアが好きで、イタリア料理が好きなすべての人にとってこの本は、どうして自分がイタリアに惹かれるのかを辿っていくための道標の一つとなるだろう。しかし、好きになったイタリアをどのように自分のものにしていくかはその人それぞれの問題だ。イタリアではオリジナリティに重きがおかれ、模倣や追従には厳しい。そして自分だけの“何か”を作り出すための時間は惜しまない。この本は単にイタリア料理の作り方を見せているのではない。料理を通じて、彼女が見て知って自らのものとしたイタリアの時間を静かに、しかし力強く語りかけているのである。

サブタイトルに、イタリアの美味しい料理54とあるように、基本的にはレシピブックである。ただ、ところどころ分量が書いていないレシピもある。分量にすることが難しかったから、と古澤さんは言うが、おそらく分量を明記することでその料理の本質が損なわれる可能性があったからだと思う。紹介されている料理は、まず野菜料理、プリモやセコンドに応用のきくペースト、ズッパ、パスタ、粉もの料理と続く。前菜、プリモ、セコンドというイタリア料理メニューのルールには則っていない。冷蔵庫のなかに鍋をそのまま入れてしまうイタリア人の話、うつむいてばかりいる羊よりも前を向いて自由奔放な山羊のほうが好きだと語るチーズ職人の話、そして、イタリアの陶器の話など数々のコラムも、独特の文体で綴られている。1ページ1ページが、古澤さんと会話しているようなペースで進んでいく。そして最後にドルチェが2種類だけ紹介されている。紙数が尽きたからか、はたまた、ワインに合うものが優先されてしまったからか。私は後者だと思っている。

 

※6月15日に代官山蔦屋書店で古澤千恵さんのトークショーが開催されます。詳細については、鎌倉「オルトレヴィーノ」のサイトからご照会ください。

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