シチリア美食の王国へ04 ピッコロ・ナポリ@パレルモ(無料公開)
メニューなし、パレルモの強面も集まる魚介食堂 軽食でないしっかりランチなら、やっぱり魚介、それも市場のそばや下町に行くのが道理である。パレルモには、駅からクワットロ・カンティ周辺にかけて旧市街が残り、地図を見ると道が網の目のように入り組んでいて、歩いていても方向感覚が狂いそうなややこしい造りになっている。そんな界隈にウッチリア、バッラロ、カポなどの市場が点在しているのだが、もう一つ、昔からの雰囲気を残している地域がポリテアーマ劇場から北西へ向かったあたりにある。ボルゴ・ヴェッキオBorgoVecchio、訳せば「古い通り」。ちょっと(あるいはだいぶ)傾きかけた庶民の家屋が立ち並び、路傍には露天の市が立つ。こんなところに、身なりのいいスーツ姿の、一見して会社経営者か重役クラスのパレルモ人が通う店がある。「ピッコロ・ナポリ」という変わった名前のそこは、店名はどーんと大きく外壁に掲げられいてるし、内装だって特別なところはない。イタリアにはよくある気軽な食堂レストランといった感じ。しかも、開店直後の12時過ぎなどは電気もついていず、なんだか場末の流行らない店に来ちゃったな、と後悔すらしてしまいそうな雰囲気である。ところがこれが13時を過ぎた途端、次から次へと人が入って即満席になってしまう。 メニューはなく、オーナー兄弟の二人が口頭で説明する。迷ったらおすすめを聞く。もっと自分の意志がはっきりしているなら、入り口そばの冷蔵ケースを見て好みの魚、海老を選んで調理法も指定する。前菜はパネッレをつまんでもいいし、イワシのマリネもいい。野菜料理ならカポナータかカルチョーフォの詰め物など。パネッレは温かく、さっくりとしんねりの中間の歯ごたえでシンプルな豆の香りが白ワインによくあう。カルチョーフォは大きな一個にパン粉ベースの詰め物をし、トマトで煮込んだ典型的な家庭料理である。 前菜を食べている間に「パスタは?」と聞いてくるので、その日のおすすめを二つ頼む。イワシのブカティーニとシラスのスパゲティ。奇をてらうことなく、そして意外とあっさり、オリーブオイルも控えめだ。魚の味がストレートに舌に伝わる。うーん、新鮮。オイルで素材の味が消えてしまっているような料理は絶対に出てこない。 兄弟の1人(口ひげが黒いのでクロヒゲと便宜上呼ぶ)がカラマロ(イカ)を手に、生きてるぞと見せにくる。もう1人(こちらはシロヒゲ)も近付いてきて、「ほら、これはスシになるんだ。我々にも我々流のスシがあってね、レモンとオリーブオイルで、エビとかカジキも生で食べるんだ」。それはスシじゃなくてサシミだね、日本人はサシミはしょうゆとわさびで食べるんだよ。「へぇ、わさび?なんだろう、あ、赤いやつでしょ?」。違う、それはラディッシュ。辛くて鼻につんとくるのがわさび。「うーん。よくわからないけど、ともかく生で食べるんだよね」。 シロヒゲは一度喋り出すとボルテージがどんどん上がっていく。でもちょっとしゃべり方が変だ。外人相手にしゃべるとつられてイタリア語が下手になる「イタリア人の対外人コミュニケーション・タイプ3」らしい。ちなみにタイプ1はわかりやすく適度にスピードも緩めて話すことのできる人、タイプ2は何も変わることなく、地方の人なら方言丸出しでいつものスピードで話す人、と私は分類している。 ボルテージ上がりついでにシロヒゲが嘆いて言うには、「本来の我々のお客である庶民がきてくれない」。お客の大半が会社経営者、重役クラス、医者に弁護士で、少しくらい高くても気にしないアッパークラス(気にしているけど、気にしていないふりをしたがるのがまたイタリア人)。「庶民は、ユーロ通貨流通後いっせいに物価が上がったと感じているし、だから外食に“抵抗”があるんだよね。以前はほんとに満杯ですごく大変だったんだ」(って、席はうまっていると思うけど)。 ここでは最後にドルチェを食べないと大袈裟に悲しまれる。昔ながらのホスピタリティが残っているというか、ドルチェを食べずしてなんの楽しみを外食に見い出すのかといわんばかり。「じゃ、1cm(の厚さ)ね」といってカッサータを持ってきてもらう。砂糖漬けフルーツを混ぜたリコッタクリーム、それをスポンジケーキとアーモンドペーストで覆ったとてつもなく甘いケーキ。本当はひとくちだって入らないのに、やっぱりノーマルサイズで持ってくる。大きいじゃないかと抗議すると、「通常の半分だよ」と大袈裟に驚いてみせる。ここはもう諦めて食べるしかない。
Piccolo Napoli(ピッコロ・ナポリ)
Piazzetta Mulino a Vento,4 Palermo
Tel091-320431
日曜休み、金曜・土曜以外は昼のみの営業
予算目安:25ユーロ

1951年創業。店名の由来は、当時グランデ・ナポリという名の繁盛しているレストランがVia Vittorio Emanueleにあり、それにあやかって、しかし規模は小さく、という創業者の願いから。店は最初同じ広場の5番にあったが、18年前に現在地に移転。創業者夫婦の主人はもう亡くなって5年、今は、オラツィオとピッポの息子二人の代となり、お母さんが後方支援でレジも担当。

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