シチリア美食の王国へ12 ベッティーナ@トラーパニ
アフリカをのぞむ荒くれ物の港町の港湾食堂—Bettina ベッティーナ(Trapani トラーパニ) トラーパニを訪れるのはこれで三度目になるが実はまだ一度もきちんと食事をしたことがない。旅の途中で常に通過するだけの街であった。対岸わずか200kmあまりの位置にアフリカ大陸をのぞむトラーパニは距離的にはカターニアよりもむしろチュニジアに近い。この地理的要因により古代にシカニ族がまずこの地に街を築き、紀元前八世紀にはフェニキア人が到来、後にローマ人と地中海の覇権を争うことになるカルタゴ艦隊の軍港都市となる。イスラム教の開祖マホメットの死後急速に領土拡大を始めたイスラム教徒は、10世紀にはそれまで東ローマ帝国領だったシチリアを支配下に収める。州都パレルモが栄えるのもアラブ支配以降のことで、イスラム教徒はそれまで無秩序だった島を農業と商業で栄える豊かな島へと変えたのだった。 昔日の面影はさすがにないものの、今も西海岸の主要港としての位置付けは変わらず、ファヴィニャーナ島、レヴァンツォ島、マレッティモ島からなるエガディ諸島やパンテッレリア島、チュニジア、サルデーニャへの船はこの港から出る。トラーパニはアフリカへの海の玄関口である。 そんな港町の海岸通りを走る。南イタリアの港町は治安が悪いと相場が決まっているので(南のかた、ごめんなさい)運転していても前後左右に目を配りながら運転を続ける。例え車に乗っていても安全とは限らないのである。ちょうど昼時にさしかかった港町は街を出る車でごった返し。こんな時、目的地の目の前に駐車スペースを見つけた時は思わずガッツポーズ。胸の奥から込み上げてくる安堵感と幸福感はシチリアを車で旅したことがある人なら分かってくれるだろう。 ベッティーナは海岸通りから一歩入ったところにある、なんということない外観の店である。席に着いてとりあえずメニューをめくる。ガンベリ、カジキ、タコ、小さな伊勢海老となんでもカルパッチョがあるかと思えばはるか北の海からやってきたサーモンや牡蠣もメニューにある。判断に迷う店である。 「ミジリシェーミからやってきた」と告げても今一つ反応が返ってこない機械仕掛けのような熟年カメリエーレ氏に、それでは新鮮なものをみつくろって、と頼んだ。これで「小海老のカクテル・オーロラソース」とか持ってこられたらお互いが求めていたものが違っていたということだ。 マルサラにあるビルジ農協がシチリアの在来品種インツォーリアで作る軽めの白「カルーラ」を飲んで待っていると例の熟年カメリエーレがつまずきそうなぎこちない足取りで大きな盆を持ってきた。ウニである。 「Rizzi , aranci e pateddi, assai spenni, e pica mangi=ウニ、カニ、カサ貝(あわびに似た小さな貝)は値段は高く量少なし」というシチリアの諺があるが今はそんなこと考えていられない。二つに割ったウニを氷を乗せた大盆の上に20ケばかり並べてある。これをひとつずつ小さなスプーンですくって何もつけず何もかけず、ただそのまま口に運ぶ。よく見ると卵巣の色が赤身がかったものと白身がかった黄色のウニの二種類あり、赤ウニのほうが味が濃厚でよりクリーミーである。ひとつ食べてはまた次のウニ、そしてまた次と手がのびる。時々思い出したように白ワインを口に運ぶ。至福の時である。 南イタリアの海岸線ではウニをよく食べる。生のままかパスタに和えるのが一般的である。以前プーリア州のブリンディジ近郊の海岸沿いに立つウニ屋台でもこんな食べ方をしたことがある。時は同じ3月で一個0.18ユーロ、一人で百個近く食べる大食漢もいると聞いた。日本ではウニは古来良薬、脂質にリゾレシチンを含むため食べ過ぎると気持ち悪くといわれるが南イタリア人は百個も食べて大丈夫なのか?きっと私達日本人とはウニ分解酵素も違うのだろう。地中海のウニは概して日本で食べる赤ウニ(バフンウニ)や白ウニ(ムラサキウニ)ほど卵巣が発達しないので、十個くらい食べてようやくウニを食べている気持ちになる。イタリア人いわく「それは季節のせいだ」というがこれはやはり海の違い、潮の違い、種の違いだと思う。余談だがその屋台では海綿も(無理矢理)生で食べさせられたが、海水が鼻に抜けるようなあの感覚はまさにホヤだった。ちなみにこのあたりではウニをパンの切れ端ですくって食べる。同じくプーリア州のオートラント近郊では、あまり衛生的とは思えない環境でウニを食べたことがあるがこれも小銭で払えるぐらいの値段だった。 ところでベッティーナではウニは一個0.40ユーロである。これはリストランテということを考えると適正価格のように思える。 生ガキとムール貝のパン粉焼き「コッツェ・グラティナーテ」が出る。ムール貝はあまりみかけない縁が緑色の種類、シチリアでカキはとれるのか?次にあられもない姿で出てきたゆでだこさんと、軽く火を通しただけのセッピオリーナ(小ぶりのコウイカ)が出てきた。ともに新鮮そのもの、セッピオリーナにはスミとワタがたっぷり詰まっている。タコの足を食べ尽くした頃に出てきたのがイワシのフリットとネオナータ(白魚)のフリット、揚げ物2種。日本の惣菜感覚である。生、茹、煮、揚と異なる調理法でトラーパニの海を堪能しつくした。シチリアの海辺のトラットリアで前菜をおまかせにすると素晴らしい当たりに恵まれることがある。 黒々とした鬚をたくわえた店主らしき人物がするすると摺り足で近付いてきた。いかがかね?いやいやすばらしい、というようなジャブを互いにくり出した後、このあたりの海の話になる。 南イタリアではネオナータ、一般的にはビアンケッティとも呼ばれる白魚は、シチリアでは春先が旬のカジキの稚魚である。トラーパニでは2月4日が解禁で3月一杯まで食べられる。ペッシェスパーダ「刀魚」と呼ばれるカジキは年間を通じての漁獲が許可されていて、銛で捕獲する「突きん棒漁」もいまだに行われている。一方マグロ漁は漁協が定める毎年5月から6月にかけての時期に行われるが、昔に比べると極端に少なくなったそうだ。大西洋のクロマグロは春先にジブラルタル海峡から地中海に入りシチリア近海で産卵した後秋までこの近海にとどまり、このマグロの卵がボッタルガ・ディ・トンノになる。いや最近はマグロもめっきり少なくなってね、日本人のせいかもね(と、ちらりと視線をこちらに流す。シチリアでまぐろの話になると必ずこの話につながる)、とか昔ダイナマイト漁をしたせいだとか、地元ではいろいろと囁かれているそうだがとにかくマグロは少なくなった。最高に美味しいのはラットゥーメと呼ばれるマグロの白子のフリットで、今度マグロ漁の時期に来たら食べさせてあげよう、と、約束してくれた。 ウニのスパゲッティ。ウニはパスタとあえると独特の強いヨード香が立ち上り、海のシナモンを思わせる。マグロのボッタルガとカジキのスパゲッティ。はらはらとほぐれるマグロの卵の触感は日本のタラコ・スパゲッティを思わせる。常に思うことだが店の外観で判断するのは実に難しい。最も信頼できるのは地元の人に、しかも食べるのが好きそうな人、あるいはプロに美味しい店を聞くことである。最初の不安を見事に覆してくれたこの店から学んだことは、なによりもトラーパニは美味しい、ということだった。Da Bettina(ダ・ベッティーナ) Via S.Cristoforo,5/7 Trapani Tel0923-24800 火曜休み フェリー乗場の正面。 マグロ漁の時期にはマグロ料理がある 予算目安:1人25ユーロ(現在閉店) Cantina Siciliana(カンティーナ・シチリアーナ) Via Giudecca,32 Trapani Tel0923-28673 無休 予算目安:27ユーロ トラーパニで評判のワインバー&オステリア。 狭い家がひしめく中心街にある。車でのアプローチは不可。
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