シチリア美食の王国へ27 オステリア・デル・カッチャトーレ@カストロフィリッポ
辿り着いて見たものは・・・猟師の館のディープな家庭料理 というわけで、再びまた振り出しに戻る。どこで食べたらいいのだろうか。こうなったらアグリジェントから出るしかない、とガイドブックを繰ってみる。オステリエ・ディ・イタリアには、アグリジェントから12キロ北のヨッポロ・ジャンカシオに一軒、24キロ北東のカストロフィリッポに一軒マークされている。近い方の店「ダ・カルメーロ」に電話してみたが、たまたま休業中とのことでふられたので、もう一つの「オステリア・デル・カッチャトーレ」へ行ってみることにした。 地図上では県道122号線でアグリジェントからまっすぐカストロフィリッポへ行けるはずなのだが、こういう田舎の、しかもコントラーダ(街道、脇道。つまり昔からの地元民通用道)と住所につくようなところへは、素人判断で行くと時にとんでもなく迷うことがある。だから、念のため、電話で行き方を確認しておくほうがいい。ところが、今回はこの方法もあまりうまく行かなかった。電話に出た店の女性は「国道640号線をカニカッティ方面に向かって、20キロほど行ったら、ガソリンスタンドがあるからそれを超えてすぐ右に入る。その後はずっと道なりに直進して、ロータリーに出たらそこも直進、150メートル先に店が見えてくる」と教えてくれた。実際、これはほとんど正しかったのだが、最後の部分が間違っていた。ロータリーを直進でなく、左折しなければいけなかったのだが、なぜか彼女は直進せよと教えてくれたのだ。道に迷って、店に電話すれども自分たちがどこにいるかも説明できないし(初めての土地だし、思ったよりも大きな街だったが、目印になるような建物が見当たらない平板な印象のところで、しかも夜とくれば外国人にはお手上げ)、電話に出るのはいつも同じ女性で、最初の説明と同じこと(ロータリーを直進)を何度も繰り返すばかりで要領をまったく得ない。どの方向から来ているのか双方よく分かってないので、すでにその指示は機能していないのに。それでもなんとか最後には、通りすがりの人に聞いて辿り着くことはできた。普通ならそこで、やれやれ、と安堵するところなのだが、今回はそうはならなかった。そこはいろんな意味で想像をはるかに超えた店だった。 街は山のゆるやかな斜面に沿ってあるらしく、その店は街でも上の方、周囲に建築中の住宅が何軒か並んでいるような、いわば街外れにある。道は未舗装(建築中の家が完成する頃に舗装されるのだろう)、雨上がりだったので、車から降りると靴がぬかるみにめり込む。店は、ぼんやりと街灯に照らされて店内からも明かりが漏れているが、蛍光灯なので青白い。一目で、あれれ間違ったかな、と思うような寂しい雰囲気。でも、もう夜九時過ぎだし、今さら他の店という選択肢はない。 一見して普通の住宅をちょっと改装したような外観は、店内にも同じ空気が漂っていた。家族経営の安くて気取らない(こんなところで気取るはずがない)食堂そのもの。蛍光灯が寒々しいが、こういう店は電気代のかからない蛍光灯なのは当たり前である。テーブルには赤い格子柄のビニールクロス。洗濯代も節約している。ぼんやりと店内チェックしていると、にこにこしながら女性が近づいてきた。「電話してきた二人でしょう?道はわかりましたか」。こういう時にいちいちまともに受け答えしてはいけない。道に迷ったけれど、なんとか辿り着いたからここにいるんでしょう、などと気色ばんだところで、そうですか、とのんびり受け流されてしまうからだ。ここは田舎、時間の流れもものの考え方もまったく違う。 着席して周囲をあらためて見回すと壁にはシカの頭のはく製や銃がかかっている。店名の“カッチャトーレ”とは猟師の意。今は亡きこの家の主人が猟師であり、店の看板そのものであったとオステリエ・ディ・イタリアにはある。当然得意な料理は肉料理だ。しかし、メニューを見れば、野菜料理、ピッツァが幅をきかせている。主人が亡くなって一時客足も遠のいていたが、最近再びよくなってきた、とこれまた先のガイドブックにあったが、ピッツァで人を呼び込むのは常套手段である。想像するにこれまで親父さん目当てだった常連客以外に、若い人や家族連れをも呼ぼうと残された家族が思ったのではないだろうか。 メニューの最初にはごく普通の保存食盛り合わせアンティパストのほかに、スカッチャータの項目がある。薄くさくっとしたパン生地の中に具を詰めて焼き上げたスナックで、街のバールやパン屋にも売られているものだ。メニューには具に応じてスカッチャータNo.1からNo.4までがある。一番シンプルそうな黒オリーブ、アンチョビ、オリーブオイル、胡椒のNo.1(2ユーロ)を試してみることにした。先の女性が、「野菜もどう?カルドと野生のアスパラガスが今日のおすすめだけど」というので、その二つのカルトッチョ(包み焼き)を頼む。カルドとはアーテョチョークの茎に似た、筋の多い野菜である。さらに勧められるままに、野菜のオーブン焼き盛り合わせも。旅先では野菜不足になるので、思いついた時に補給しなくては。そして最後に、ゆでた豚足を頼み、ワインはこういうところではどんな地酒なんだろうという好奇心から、ハウスワインの赤。 料理が来るまでの間、先ほどから人なつこく話し掛ける件の女性が、パンフレットのようなものを差し出しながら「実は私、画家なんです。家業を手伝いながら作品を発表しているの。壁にかかっているのも私が描いたものなんですよ」という。パンフレットによれば、彼女は1965年スイス生まれ(なぜスイス?)で、彼女の作品は身の回りのものや自然を題材にヴィヴィッドなタッチで描かれている、とあり、作品の一つとして『リコッタを作る主婦』が載っていた。農家の竈で一人の女性がリコッタをつくっている単純な絵だが、素朴なのに力強く見る人を引き付ける。リコッタを作るその空間に描いている彼女自身も馴染んでいる、そんな安定感のある絵だ。 渋くて酸味の強い赤を飲みながら、彼女の絵なんかを鑑賞しているうちに頼んだ野菜料理やスカッチャータが次々出てきた。スカッチャータはシンプルな粉料理の典型でオリーブとアンチョビの塩味がいい(冷めたら味は格段に落ちる)、カルドは苦味がかなり強くて好みの分かれるところ、野生のアスパラガスはチーズがたっぷりとかかっていてアスパラを食べるのかチーズを食べるのかといった感じ、野菜の盛り合わせは真っ黒に焦げたちりめんキャベツ(中の焦げていない部分と詰め物を食べる)、ベーコンを巻いたネギ、詰め物マッシュルーム、詰め物ジャガイモなど、随分家庭的だなぁと思わせるラインナップだ。家庭的、といえば、アルミホイルを多用するところも、誰かの家の普通のご飯という印象を与える。料理上手と言われるような人の家ではない、ごくごく普通の家の。味のほうもその印象どおりである。 そして最後の豚足。これまた飾りは全くなくレモンを添えられただけの縦二つ割りにした豚のつま先一個である。レモンを絞って食べはじめる。ほとんど骨で、その骨の回りについているゼラチン質を食べるものだから、ナイフなんか直に捨てて手づかみでかぶりつくことになる。豚足そのまま。好きな人は好きだろうけれど、また食べたいとは普通は思わないだろう。旅先での思い出深い一食ではあるが。 この店で “普通に美味しかった”のはサービスで出してくれたカーニバル時期のお菓子キアッキエレだ。これ自体はイタリア全国各地にあってフラッペとかチェンチなどとも呼ばれる揚げせんべいのような菓子だが、さくっと軽く、優しい甘さで、なんだかおそろしくディープな家庭料理のあとにようやく無事に胃が落ち着いたという感じであった。 今こうして思い出してみるに、私達の接客担当だった彼女だけが、私達の存在にしっかりと目を向けていたのだとあらためて気付いた。他に、家族らしい男性や母親らしい女性など数人が働いていたのだが、彼らは全員、私達の存在を無視していた。それは悪い意味ではなく、ただ単に避けていたのだと思う。見るからに外国人である私達に英語はおろか、標準イタリア語で話すのもなんだか嫌だなと、人なつこく物おじしない彼女一人に押し付けていたのだろう。そういう意味でもかなりディープ・カントリーな料理屋である。もう来ることはないかもしれないが、もし、もう一度来る機会があったら、今度はピッツァも試してみようかと思う。粉料理は悪くないかもしれないから。Osteria del Cacciatore(オステリア・デル・カッチャトーレ) Contrada Torre, Castrofilippo (AG) Tel0922-829824 水曜休み 予算目安:14ユーロ メニューには、legumi(豆)という項目もあり、ceci(ひよこ豆), lenticchie(レンズ豆), fagioli(いんげん豆),fav e(そら豆)などの乾燥豆と野菜のスープがある。全て3.50Eu。またzabinataという料理が野菜の項目にあったので、何かと尋ねたら亡き店主の母親がよく作った料理でズッキーニ、ジャガイモ、トマト、タマネギ、ナスの煮込み料理だという。名前はその母親の名。普通の人は、豚足などは頼まずに、さまざまな肉のグリルをオーダーするらしい。
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