シチリア美食の王国へ33 アンティカ・マリーナ@カターニア
ペスケリア市場のおまかせ食堂 はじめてカターニアの市場を見た時はあまりの猥雑さと濃厚さに目眩がしたものだ。それまでパレルモのウッチリア、バッラロ、パオロ、シラクーサと行く先々で市場は必ず見てきたが、ある年の新年早々訪れたカターニアのペスケリア市場はスケールがまるで違っていた。街の守護聖女聖アガタを祀った大聖堂があるドゥオモ広場。その片隅にある小さな噴水の背後には、カターニア一の活気にあふれた観光用でない「現役の」市場が広がる。無秩序に並ぶ魚の屋台、バケツや小さなカゴひとつを商売道具に大声を張り上げる売り子たち(言葉は当然分からない)、買いに来ているのはほとんどが男達だ。ウニを手づかみで売っている男がいるかと思えば蝦蛄を生のまま二つ割りにし、殻ごと口に入れてガハハと笑い、その新鮮さを誇示している男もいる。一体全体この人たちは手もお口も痛く無いのだろうか?パレルモの比でない地中海のカオス、猥雑で精力に満ちあふれたカターニア男達が食欲に目をぎらつかせながら集う場所、そんな印象を受けた。 魚介類はとにかくありとあらゆるものがある。季節にもよるだろうから見たものだけあげるとマグロ、カジキ、タイ、オコゼ、サバ、ハタ、エイ、サメ、ウツボ、タチウオ、ウナギ、コイ、イカ、タコ、白魚、ヒメジやイワシといった小魚たち。貝類ならばウニ、アサリ、ムール貝はもちろんのことホラ貝、トコブシ、マテ貝、ファゾラーロ、タルトゥーフォ・デル・マーレ、海水浴場で見かけるような得体の知れない小さな貝などなど、写真を撮って回れば魚類図鑑が簡単に作れそうなほど、地中海の味覚が集結している。 肉屋が並ぶ一隅には湯気の立つ寸胴の回りを取り囲む男達の姿が見える。男達の肩がぶつかるその隙間からのぞくと、なにやら茹でただけの内臓のようなももを巨大な肉切り包丁で一口大に切り刻んでいる店主らしき男がいる。くわえ煙草でニコリともしなければ男達と言葉さえ交わさない。とにかく、恐い。ただ黙々と内蔵を大鍋から引き上げては小さく切り刻むと、横から浅黒い男達の手が次々に伸びてきてひとかけらつまむとそのまま何もつけずに口にポイ。勘定は小銭を数枚、言葉も注文もなし、上がったら食う、食ったら払う立ち食いの臓物屋である。後に知ったことだがこの名物屋台「ダ・トゥーリ」で売るのは牛のトリッパなどの内臓と、豚の血の腸詰め「サングイナッチョ」。その真っ赤な切り口を見ると思わずたじたじと後ずさりしてしまう。何度屋台の前を通っても未だ食べてみる勇気が出てこないのだ。この間またしても写真を撮っていると「何枚撮ってんだ、こらー!!」と怒られた。肉切り包丁を持って追っかけられたらどうしようかとあせったが、うちの相方は目があって「チャオ」と言われたという。奥の深い店である。 大のつく食いしん坊カターニア人の胃袋を支えるこの市場の一角に「アンティカ・マリーナ」というトラットリアがある。店の正面はマグロやらハタやらが並ぶ魚の屋台。屋台に並ぶ人込みをかき分け、半間きのドアをすり抜ける、すると平日の昼にも関わらずつねに満員、こんな店である。市場のトラットリアといってもやっちゃばの男衆が食事を摂るタイプの忙しい店ではない。スーツ姿のビジネスマン、家族連れ、女性客、みな市場で美味しい魚を食べようと気合いを入れてやってくる客ばかり、地元では有名な魚介専門店なのだ。 かつてこの店に本田君という青年料理人が働いていた。西麻布のイタリア料理店で腕を磨いた彼は単身渡伊、フィレンツェでキャリアを積んだ後にシチリアの地を目指し、あちこち食べ歩いて自分の舌と感性に合う店を探した結果、落ち着いたのがこのアンティカ・マリーナだった。彼が日本に帰る直前にようやくカターニアを訪れる機会を得、以来3ケ月で三度この店で食事をしたが未だに全く記憶があせない。食べた料理の数々を思い出しては自宅で独りにやつく日々である。 基本的にこの店は一切おまかせでメニューはない。潮と料理人の気分で料理は決まる。客席とワインを仕切るサルヴォが注文をとりに来るが会話は至ってシンプル、前菜はおまかせでいいか?いい、パスタも食べるか?食べる、セコンドは?腹次第、ワインはどうする?まかせる、口を4回開くだけであとは運ばれてくる美味しい料理を待つのみである。頭は使わない、使うのは舌と胃だけである。 昼の早い時間に席に着くと魚屋がその日の魚をディスプレイするのが見られる。魚も貝も甲殻類も見事な輝きで、この魚屋、営業が始まってもしょっちゅう店に出入りし、魚が足りなくなると見ると補充しに自分の店へと飛んで帰る。アンティカ・マリーナの厨房は市場に直結しているのである。魚を並べたショーケースの隣には自慢のアンティパストがもちろん日替わりで10数種類並ぶ。これをカメリエーレが少しずつ小皿に盛っては次々に運んできてくれる。記憶の限りその前菜の数々を書いてみると野菜料理はカポナータ、セロリとオリーヴのサラダ、オレンジとフェンネルのサラダ、カチョカヴァッロとポモドーリ・セッキをあえたものなど、魚は小海老にレモンをしぼったもの、揚げたイワシに甘く煮たタマネギをからめたもの、ペペロンチーノをひとつまみ加えたタコのマリネ、イワシのマリネ、マリネと言っても限り無く生であり、カターニアの海の恵みをそのままいただく料理法である。こうした気の効いた小皿料理の数々がカメリエーレの気分次第で次から次へと出てくるのである。白ワインを飲みながらこうしたつまみをつついている間、コックのエミリオを中心とした厨房では前菜の準備が開始される。最初は生物。新鮮なマグロをレモンとオイルとタイムでさっとひとマリネしたもの、甘エビとオレンジ、限り無く生に近いイワシが三種盛りで出たことがあった。春先ならばペペロンチーノとオイルをたっぷりかけた白魚をスプーンでそのまま食べる。砕いた氷を載せた大盆の上にウニやファゾラーリやオッキオ・ディ・ブーエ「牛の目」と呼ばれるトコブシが満載、レモンをしぼって生で食べたこともあった。ひとつ口に含んで海のエキスを堪能してはため息、潮に濡れた唇をワインで洗ってまたため息、息着く間も無い連続攻撃である。 空いた皿を呆然と見つめて指をねぶっているとやがて温かい前菜が運ばれてくる。小指の先ほどしかない揚げたて熱々のホタルイカのフリット、絶品、これを食べずに帰る手は無い。できれば丼一杯でもいい。手の平サイズのタコのフリット、見事、見事、足の先まで堪能し尽くす。子スミイカにさっと火を通した一品、外は熱々で中は人肌、描写する言葉が足りなくなる。前菜ですでに市場のあらゆる魚介をあらゆる料理法で食べた気になる。前菜だけで満足して帰る客、前菜とパスタだけの客とまちまち、ここまでですでに相当なボリュームである。 パスタはおまかせだと大抵2種類、気分によって3種類。ホタルイカのリガトーニ、ハタのペンネ、イカスミのスパゲティ、ウニのリングイネ、カジキ、アサリ、野菜を使ったパンテレッリア風リングイネ。以上の美味しさは想像にお任せします。ギブアップするにはまだ早い、いくぞセコンド。まずはオラータ(クロダイ)、続いてスズキとスカンピのアックア・アル・マーレ。年末だとカピトーネと呼ばれる大ウナギのフリットも食べれるし、ズッパ・ディ・ペッシェの日もある。満足、恍惚、呆然の大饗宴である。 アンティカ・マリーナでは魚のショーケース前の特等席から厨房の様子が眺められるのだが、本田君がいたころはまたそれが楽しかった。総勢三人の料理人が肩をぶつけあって料理するような狭い厨房で、エミリオとジョヴァンニという巨漢カタネーゼ二人に囲まれた細身で小柄な本田君は谷間を泳ぐ川魚のように厨房を動いていた。彼がアサリの砂出しをしているのを見て、なんでそんな面倒なことすんだ?砂ごと料理しちまえばいんだ、と言い放ち普段通り砂出しをせずにスパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレを出すというエミリオ。かつて客はことごとくアサリを残していたというが、今日のアサリはチャリっとこない。とにかく小さなことは気にしない、大柄、無骨、無愛想のエミリオに代表されるようなとにかく豪快な店である。 アンティカ・マリーナに行くならば体調を整えるのはもちろん、できれば理想的な食事の人数である4人で、しかも食後にはエトナ大通りを歩いて帰ることをおすすめする。その夜ベッドに入ってもまだ料理が忘れられない、そして翌朝にはまた行きたくなってしまう、そんな魅力的な店だ。会計の値段を見るともう一度驚くことだろう。
Antica Marina(アンティカ・マリーナ)
Via Pardo,29 Catania
Tel095-348197
水曜休み 予算目安:35ユーロ
ペスケリア市場の中
夕食を抜く気ででかけよう。空前絶後、最高の食事が楽しめる

Sotto Il Convento(ソット・イル・コンヴェント)
Via Paolo Vasta,29 Acireale (CT)
tel095-4031070
www.sottoilconvento.it
火曜休み、夜のみの営業
予算目安:30ユーロ
カターニア近郊の海辺の街アチレアーレでアンティカ・マリーナのサルヴォお薦めの店

Salumeria Carlo Dagnino(サルメリア・カルロ・ダニーノ)
Via Etnea,179 Catania
tel095-312169
日曜休み
カターニアの中心部にあるワインと食料品の店

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