シチリア美食の王国へ38 ウリヴェート@トレカスターニ
地元の人のみぞ知る伝説の料理屋 一方エトナ山南斜面は一大オレンジ生産地であり、カターニアからブロンテへ向こう途中にあるミステルビアンコ、モッタ・サンタナスタシア、パテルノといった街にはオレンジ農家が多く、冬の晴れた日には雪を抱いたエトナ山とオレンジ畑という日本の冬の朝のような光景が見られる。エトナ山登山ならカターニアから20km、標高698mのニコロージが出発点になる。ここから山頂まで約20km、1983年の噴火で埋まったままの民家などを時折見ながら標高1881mにあるサピエンツァの山小屋までエトナ街道を北上してゆく。サピエンツァの山小屋からはロープウェイを使ってモンタニョーラ山経由で標高2900mのトッレ・ディ・フィロソロの山小屋まで行き、ガイド同伴で噴火口まで行くことができる。もしくはサピエンツァの山小屋から標高1685mのメンザの山小屋へ行くルートもある。ニコロージ以降は州立自然公園になるのでこのあたりで美味しいものを食べるのは少々困難になる。ニコロージからスタートしてアドラーノ、ブロンテ、ランダッツォ、リングアグロッサ、ザッフェラーナ・エトネア、そしてニコロージとエトナ山をちょうど一周するコースは計165km、車で一日走るには手頃な距離である。 ニコロージの近くにトレカスターニという小さな街がある。ローマ時代に三つ野営地があったことがその語源とされる観光客は訪れない田舎街だがここに「ウリヴェート」というレストランがあった。実はこの店、私がフィレンツェで行っていたカターニア出身の床屋の主人の行きつけの店で髪を切りに行く度にそこがどんなに美味しいか、カターニアの海でのボート釣りがどんなに楽しいか、毎度毎度聞かされ続けていたのだ。彼とそんな話をするのが楽しみで月に一度は髪を切りにいっていたのだが、その床屋ではどんなに説明しても毎回主人と同じいなせな刈り上げにしかしてくれないのでいつの間にか足が遠のいてしまった。しかし数年前にようやくウリヴェートに行く機会があった。 とにかくカターニア郊外、エトナ山南側は小さな街が点在していて道路も複雑なので道が非常に分かりにくい。昼間ならばまだエトナ山を目印にすれば方角が分かるのだが夜は全く不可能に近い。その時泊まっていたのはサン・ジヴァンニ・ラ・プンタという街のパラディーゾ・デッル・エトナというホテル。ここからタクシーを頼んだのだが未だにどうやって辿り着いたのか全く分からない。とにかくこの店夜のみの営業で看板もない。フリで行くのはまず不可能な店だった。 声をかけても誰もいないのでドアを押して中に入ると暖炉の匂いが漂っている。店内は広いが客はまだ誰もいなくて、カメリエーレも一人もいない。背の低い白髪の運転手と一緒におかしいな、ここだよな、とうろたえているとようやくカメリエーレが一人でてきたがまだ着替え中、とりあえずこちらにどうぞ、といわれたので暖炉の前に座ったがなんとなく不安。ちょっと外しちゃったかな?と。飲み物はどうします、といわれたので赤を頼むとメディテラネア社の「チェラスオーロ・ディ・ヴィットリア」を持ってきてくれた。ところが2分もするときちんと蝶ネクタイを結び直した彼が仕事モードの顔になってそれでは本日のメニューを申し上げます、と話し始めた。すると彼の口から出てくるのはどれもこれも思わず身を乗り出してしまう説明ばかり微に入り細に入って客の急所をぐいっとつかんで話さない。しかも品数は豊富ですでに前半の内容は覚えていない。三分ほどひとしきり喋った後、とりあえず前菜から順番にお持ちしますね、と来た。おまかせさせていただきます。 アンティパストは農家の自家製である冷たい前菜から始まった。ポモドーリ・セッキ、オリーヴの漬け物、豚の肩肉の塩漬けをつまんでいると次に新鮮極まりないイワシとオレンジのマリネが出た。うまいうまいと食べていると次にはカルチョーフィ、リンゴ、ペペローニと野菜のフリット・ミストが前菜として出てきた。あつあつの揚げ立てをつまんでは赤ワインで油を流す。最初の印象はすでに遠い彼方、やはりこの店は床屋の言った通りの店のようである。再び注文を取りに来たのでパスタを二種類とる。「トラーパニ風のタリアテッレ」アーモンド、リコッタ、バジリコの入った香ばしくて爽やかなパスタ。もう一品は「ペスト・シチリアーノのスパゲッティ」このペストはバジリコと松の実、リコッタ、それにカッペリ(ケイパー)でできていた。エオリエ諸島の味である。 セコンド、三品。「ライムの葉で包んだ豚肉のポルペッティ」「アーモンドを散らした鶏のロースト」それに「サルシッチャのグリル」つけあわせは「カポナータ」。サクランボが入った甘くて濃厚な忘れられないカポナータだった。ふうとため息をついているとデザートのお味見を、と持ってきてくれたのがリコッタ・フレスカとワインを煮詰めたヴィーノ・コット、これをひとたらしてスプーンでリコッタを食べる。淡くて雪のようなリコッタだった。そしてまた勘定が驚くべき安さだったことも付け加えておくが、残念ながら今はこの店はない。息子の代になり店名を変えて営業しているそうだが昔とは代わってしまった、とは床屋の主人からその後聞いた話。エトナ山を見る度にあの夜のウリヴェートでの饗宴を思い出すのだが、エトナ山麓でウリヴェートを超える店を未だに見つけられないでいる。

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