美味しいものが食べたい

しばらくご無沙汰していたトリノ在住の友人と、さて、本当に美味しい店は?という話になる。知ってのとおり、イタリアは他ヨーロッパ諸国の現状からすると、明らかに遅れている。それは、スペイン・イギリスに代表されるアバンギャルド、フランスの起死回生を見せつけたムーヴメント、北欧で進化するクリーン&ヘルシーという、アイキャッチ的見出しで語られる最近の傾向に対してである。
じゃ、それぞれの国や文化圏のそれが美味しいのかというと、これまた予算の関係で断言を避けねばならないのが辛いところだが、少なくとも、イタリアに関して言えば、「ほんとうに美味しいのか?これ」と思わずにいられない場面に遭遇するのは難しいことではない。それはいわゆるクチーナ・アルタ(アルタ・クチーナともいう。フランスのオート・キュイジーヌに相当する、と思う)において顕著である。
みんな、頑張ってる。ひとことでいえばそう。でも、美味しいと思うか、もっと言えば、「あぁ美味しかったなぁ、あの一皿」とあとあとまで思い出されるような体験が、いわゆる星付き系の店で得られる可能性は低いと思う。ある一定のレベルはクリアしている。素材にはこだわっているし(これはイタリア人のアイデンティティで、現在唯一のよりどころ)、分子だの化学変化だの要所はおさえているのに。
何が足りないのか...。時間だ、と思う。イタリア人は直感的な部分と職人的な部分がひとりの人間のなかにせめぎあう人種。直感的に「これはいける」と思ったものが形になるのにある程度のまとまった時間(作っては直しを繰り返す時間)を必要とする。ダ・ヴィンチのような天才だって、思いつきはそれこそ今でもすごいものらしいけれど、さて、現実に立返ると...となる。
同じものを繰り返し繰り返しつくることによって得るもの。それがイタリア料理の本質、しみじみと脳髄に染み渡る美味しさであろうと思う。「今、イタリアで流行っているのはなんですか」と尋ねてくる同業諸氏、料理に限らず、イタリアはそういう国であるということをご理解いただきたいのです。mnm
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