ガルグイユの真実を知る、ミシェル・ブラスでの午餐
フランス中央部に位置するオーヴェルニュ地方は高原が連なる山岳地帯にあり、フランス広しといえども最も自然が豊かで、開発があまり進んでいない土地といわれている。この地方の玄関口であるクレルモンフェラン空港に降り立ち、レンタカーを走らせてみるとその豊かな自然は手に取るように分かる。高速道路75号線を南仏方面へ向かうと道路はぐんぐんと標高を上げ始め、上り坂が数十キロ延々と続く。右手にはオーヴェルニュ地方で最も高い標高1886mのピュイ・ド・サンシー山。道路の両脇には草原が広がり牛たちがのんびりと草を食み、牧歌的な光景がどこまでも果てしなく続いてゆく。 やがて標高が1000mを越えたころ高速道路を下りて一般道に入り、急カーブを幾つも超えて山から谷へとアップダウンを繰り返すと、ほどなくして山間の小さな村ライヨールに着く。クレルモンフェランから160キロ、唯一のアクセス方法は車のみで約2時間。人口わずか1200人という小村だが、その名がこれほど世界中で知られているのにはわけがある。ひとつはみつばちマークで知られるライヨール名産のナイフ。フランス産ソムリエナイフの正統であり、プロが愛用するこの逸品は19世紀初頭から作られている。 もうひとつがミシェル・ブラス。99年以来ミシュラン三ツ星を維持し続けるフランス最高峰の料理人であり、何より自然との対話を重んじ料理に取り入れることで、独自の世界を築き上げた孤高の天才。人里離れた寒村、と呼んでもいいほどの田舎まで世界中から美食家が遠路はるばるこのライヨールまでやってくるのはひとえに彼の店があるからに他ならない。 孤高の、と呼ばれるのにはわけがある。星を掴む料理人の多くは名店や名シュフのもとで研鑽を摘み、早くから頭角を現してやがて自分のスタイルを確率するというケースが多いが、ミシェル・ブラスの場合は全く独学で三ツ星を獲得した一風変わった経歴を持つ料理人なのである。 ミシェル・ブラスは1946年11月4日、自然が豊かなオーブラック地方に生まれた。両親は食料品店兼バー兼レストラン「ルー・マズュック」を営んでおり「母からは料理に対する感覚や喜びを教わった」とブラスはいう。本来は科学に興味があり科学者を目指していたのだが、家庭の事情でブラスは高等中学卒業後に母アンジェールの元で料理を学び始める。78年に店を引き継ぐと「ゴー・ミヨ」で2つ帽15点を獲得、一躍その名がフランス中に知られることになる。当時はジョエル・ロビュションやアラン・サンドランスが登場して来たヌーヴェル・キュイジーヌ全盛時代。それでも母の元で学び、古い文献を読み、オーブラックの香草や野草を使って料理を続けていたブラスはこうしたムーブメントには全く興味がなく、独自の世界から「香草の魔術師」とか「料理の錬金術士」という異名で呼ばれていたのである。 やがて88年にはミシュランの2つ星、92年に現在の場所にオーベルジュ「ミシェル・ブラス」をオープンすると99年にはミシュランの3つ星を獲得。フランス国内はもちろんのこと世界中から注目されるトップ・シェフとして頂点にたどりついたのだ。 「ミシェル・ブラス」は村の中心部から約5キロほど離れた、オーブラックの草原を見下ろす丘の上に建っている。あたかも緑の丘の上に宇宙船がおりたったかのようなガラス張りの外観が印象的だが、ホテル・スペースは伝統的な石造りのスタイルを踏襲しており、レストランへと続くアプローチにはラベンダーやミントなど多くのハーブが花を咲かせて、芳しい芳香を周囲に漂わせている。世界各地からこの丘の上までたどりついたブラス信奉者ならば、こうしたハーブのアプローチは彼の有名な野草料理「ガルグイユー」への序章でもあることにすぐにきづくことであろう。 その「ガルグイユー」だが、これは数十種類の野草、野菜、香草、花、キノコなどをほんの少しづつ現代絵画のように盛りつけた美しい野菜料理で、ブラスの名前を一躍有名にしたスペシャリティである。営業前の準備に余念のない厨房をのぞかせてもらうと、まさにガルグイユーの準備真っ最中であった。 「ミシェル・ブラス」の厨房は大きく2つのセクションに分かれている。向かって右が息子のセバスチャンが指揮するデザート、魚、肉などの料理セクション。左手がブラス自らが厳しく目を光らせる野菜セクションで、野菜のためにこれほど広い場所を確保しているのは世界最高峰の三ツ星レストランの中でもおそらくはブラスのところだけといわれている。  ガルグイユーにはその季節ごとの野菜や香草が使われ、その数なんと年間を通じて二百種類を超えるという。オーブラックの自然を構成する草花が三十から四十種類、もちろんそのまま食べる生が多いが、軽く水で茹でたもの、香草とともに茹でたもの、蒸し煮にしたものなど加熱調理する素材は全て別々の調理器具で調理される。そうして準備されたガルグイユーの構成要素である野菜を一種類づつ小さな容器に盛りつけて丁寧に仕分けされてゆく。そうした下準備にとりかかる料理人は約十人。営業が始まって実際に注文が入るまで野菜は最高の状態で保存され、ブラスの鮮やかな手さばきによって皿の上の芸術へと昇華するのである。そんなガルグイユーの準備中の忙しい時間帯、厨房の一角にあるシェフズ・ルームでブラスはこう語ってくれた。 「ガルグイユーとは私の人生そのものです。つまりそれはオーブラックの自然であり、家族への愛情であり、私が歩んで来た道である。私の人生の中で自然や家族と並んでもうひとつ重要なことは『走る』ことで四十年間続けています。ニューヨーク・マラソンにはすでに4回参加しましたし銅メダルもとっている。実は今週の日曜日は地元の大会、オーブラック・マラソンがあり、私も走ります。よく『ガルグイユー』は走っているときにアイディアが浮かんだ、といわれているけど、そうだったのかもしれない。」 ランナーズ・ハイという言葉がある。マラソンなどで長時間走り続けているとやがて脳内麻薬エンドルフィンが分泌され、気分が高揚してくる状態のこというが、「走る」という行為はブラスのクリエイションにどう影響しているのだろうか? 「それはあるかもしれません。走っていると料理に限らずアイディアが次々に浮かんで来ることは確かです。旅行もそんな感覚でしょう?喜びとか様々な感情もこみ上げて来るし、それは私にとってはまるで天国で過ごしているかのようなひとときなのです。」 ガルグイユーに代表されるブラスの独特の色彩感覚はオーブラックの豊かな自然の中で育まれたとされる。この地を愛してやまず決して地元から離れようとしないブラスは十代から写真に取り組み、オーブラックの風景を撮影し続けることでその豊かな感性に磨きをかけた。そうした記憶のひとこまひとこまがカンディンスキーやミロの絵画のようなあのガルグイユーにつながったのだろうか。 「色彩感覚については、確かにこのオーブラックという土地の影響もあると思います。なにせ自然が豊かな土地ですし。それと写真。写真はマラソンよりもさらに古くすでに四十五年のキャリアでして、実は愛機はニコン。写真もマラソンも料理と同じく私の人生の重要な一部であり、互いに切っても切りはなせないものなのです。 もうひとつ大事なのが家族への愛情で、私たちは両親から孫まで四世代、同じ敷地内に住んでいます。家族への愛というのは料理をする喜びにも通じていて、私のスペシャリティの一つであるデザート『クーラン』は冬の寒い日に母が作ってくれた甘いデザートの記憶から生まれたものです。家族愛というのはレストランのスタッフに対しても同じことで、私たちはひとつの家族であり、同胞なのだから、上下関係が厳しくて下のものがシェフを怖がるような仕事の仕方は私は好きではない。チーム同士が信頼しあい、スタッフ全員が私のことをシェフではなく、ミシェルと呼ぶ。なぜなら私たちは家族だからです。そうした家族やチームを通して私自身を表現したいことは私の人生です。私の料理とは私の経験や人生を手渡してゆくことであり、生きることそのもの。つまりガルグイユーとはつきつめれば私の人生そのものなのです」 普段はクールで哲学者的な雰囲気を醸し出すブラスだが、人生とガルグイユーの話になると途端に饒舌に、また熱く語り始めてくれたのだった。 オーブラックの丘を見下ろす絶景のランチは、まずレセプション脇にあるサロンで、ブラス・オリジナルのアペリティフ「オレンジ・ピール風味の白ワイン」からはじまった。ほのかに白胡椒のようなスパイスが香るアペリティフを飲みつつ、ハーブと効いた半熟玉子を食べているとやがて世界中から集まった食通たちが三々五々、食前酒を終えてダイニングルームへと移動してゆく。夏の平日のランチ、ということもあるのか服装はいたってカジュアル。ネクタイ姿は皆無でジャケットを来ている男性でさえまばらである。  ダイニング・テーブルに着くと、食前酒の際すでに注文したワインがクーラーに冷やされており、2種類のアミューズ・ブーシュの後、「ガルグイユー」が登場した。 「私の人生そのものです」とブラスが語ってくれたように、テーブルに現れたガルグイユはすさまじいまでの自然が持つ生命力と美しさ、はかなさ、そして執念に似たブラスの構成力と表現力に満ちていた。今日まで何千、何万皿と作って来たであろうその確固たる自己主張は、皿の上でたった今摘まれて来たかのような香草から香りたち、強く、かつ穏やかなメッセージを放つ。いわば「サラダ」であるガルグイユだが、花や野菜をひとつひとつ食べてもいいし、数種類混ぜて食べてもいいとされるが、皿を構成する数十種類のエレメントではひとつひとつがすべてブラスからのメッセージであり、そうした味覚の再構築は食べ手の義務であり、大いなる喜びである。ズッキーニ、パセリ、ミント、スカンポ、セロリ、人参、アーティチョーク、大根、ディル、シトラス、ブロッコリ、サンブーカの花、ニンニクの花、セージの花、見たこともない花も、野菜も多く、白菜に香菜まで入っており、必ず入っているのは一遍のハムでアクセントにもなっている。皿の中央に下向きに置かれているのはレストランのシンボル・ロゴにもなっている地元のハーブ、シトゥルス。アニスとミントをあわせたような香りで、牛に食べさせるとよく乳が出て、オーブラック名産のチーズ作りには欠かせないハーブだとのこと。 複雑美味なるソースの背後にある料理人の技術研鑽を夢想することも楽しいが、ガルグイユの皿の上にある植物が幾つ分かるか、というのも知的なゲームである。美しい森を見ても木の種類が分からない人は不幸である、とはどこかの国のことわざだが地元産のハーブもふんだんにはいったガルグイユのエレメントを全ていいあてるのは、かなり困難な作業である。 料理はその後、手長海老、フォワグラのグリエ、トリュフのトリュフォ、乳飲み仔羊のロティと続きオーブラックのチーズ、ビスキュイ「クーラン」、さらにデザートが2種類続いて終わったが、これだけのボリュームのはずなのに食後感は実に軽やか。これもハーブの魔術師たる所以か、店を出て数時間もしたらまた「ミシェル・ブラス」に戻って、今度は違う料理をあれこれ堪能してみたいような気分にかられていた。 翌朝、ライヨールの村を朝7時に出て、ミシェル・ブラスの自宅に向かう。前日話した際に庭を見たいというと、ならば朝7時半に家に来い、と自宅へのルートを教えてもらったのである。ミシェル・ブラスの自宅はレストランよりさらに郊外、ライヨール村からは15キロほどの森の中にあり、ブラスは毎朝庭でハーブを摘み、自らレストランに運んでガルグイユーの準備にとりかかる。 まだ道を歩く人の姿も見えない早朝の高原を走ると、朝靄の中にたたずむ牛の姿が見える。中世の古城を改装したブラスの家に着くと、愛犬が主人が働く庭へと案内してくれた。 そこで見たのは朝露に靴を濡らし、手指を汚して花を摘む三ツ星シェフの姿だった。庭作業を手伝う男たちともに庭にひざまづき、ひとつひとつ吟味しながらセージの花を摘む光景を見てガルグイユーは私の人生そのものである、とのブラスの言葉が鮮明に蘇った。誇張でもなんでもなく、早朝、自ら種を蒔き育てたハーブが茂る庭に立ってその日のために花やハーブを摘み、自らライトバンのハンドルを握ってレストランへ向かう。まさにブラスの生活は料理のため、つまりはガルグイユのためにある。料理人であり、哲学者であり、園芸家であり、植物学者。そしてアスリート。孤高の料理人ミシェル・ブラスの一日は今日もそんな風にはじまるのである。  

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