余命三ヶ月が延命されたことについて、等。
今月ももう終わり。めまぐるしいひと月でした。なんだかずっと旅ばかりしていて、今月をひとことで言うと、「移動」。じっと落ち着いてモノを考えるどころではありません。しかし、世の中には動きながら走りながら考えられる人がいるんですよね。羨ましい。 足りないおつむですが、今月は日本のものを外国に売ることについて、しばし考えさせられました。相手が好むか好まないかという根本的なことを除けば、効果的な売り込みのしかた、入手のしやすい環境を整えることがまず不可欠だと思うのですが、このどちらもが中途半端という状態を目の当たりにしたのです。物事は一足飛びにはいきません。必要な時間はかけなければなりません。でも、いたずらに時間をかければいいというものでもありません。より効果があがる、効率も上がる方法を考えなければならない、としみじみ思ったのでした。バルセロナにて。 定説通り(?)ローマ空港では乗り継ぎ便が遅れ、シチリアの空港では預け荷物あわや不着か?!という事態となり、またしても外国の不便をそこそこ味わわせてもらいましたが、そんな疲労と諦めがルーティンになっているところへ六本木からお久しぶりに連絡を頂戴しました。以前に弊ブログでお知らせした「余命三ヶ月宣告」を打ち上げたリストランテ・アモーレ、延命処置が奏功したというのです。詳しくは店主口上の『決意口上』をご覧ください。 どこかで聞いた歌みたいですが、辛いときもいつかは過ぎるもの。その時はそうは思えなくても、時は確実に経過し、新しい出来事が古い記憶の上に覆い被さって痛みは薄れ、アモーレ店主が語るように自我と意志はひとたび頽れたとしてもいつか必ず再生されるもの、と信じて生きていかなければなりませんね。普段はこんなこと欠片も思うこともなくかけずり回り、あるいはなすすべもなく立ち竦んだりしていますが、ま、ともかく時は過ぎるということで。 葉月某夜にこちらでいただいたウサギのテリーヌは大変美味しゅうございました。ウサギ好きパテ好きという贔屓目でなく、繊細と力強さが混在する宇宙でありました。当地の田舎ではこういう味に時々遭遇します。先日、カンパーニア州ベネヴェント近郊の食堂で食べたのもまさにそれ。指の跡も不揃いなカヴァテッリにぱしゃっとかけられたトマトソース。ちらほらと見え隠れする2片のパンチェッタの切れ端。見た目の質素は実質ではなく、パスタの粉の香り、香草の香り、野菜の甘み、脂の旨味、なんやかやが一緒くたに味覚を刺激して、脳内各所の信号が一斉に明滅。この味を忘れじと細胞のあちこちの引き出しを開け閉てしました。老いさらばえても忘れない、そんな記憶をこれからも手に入れたいものです。 写真は左上から順にリコッタクリームのミニトルタ@Noto、田舎のトローネと呼ばれる重量級ドルチェ@Catania、一目でイタリア語名がわかるお魚メニュー、ソレント半島名物ズッキーニのスパゲッティ@Positanoでした。mnmSAPORITAをもっと見る
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