イタリアの老舗料理店05 ゼッフィリーノ 創業1939年
イタリア半島のつけね、気候温暖なリヴィエラ海岸の中央に位置するジェノヴァはイタリア最大の港町で、かつてはヴェネツィアと地中海の覇を競い合った海洋共和国であった。コンスタンチノープルの陥落で地中海の足場を失うものの、クリストファー・コロンブスら優秀な船乗りを排出した国としてジェノヴァの名は鳴り響いていた。その船乗りたちの保存食が、バジリコの風味が食欲をそそるペスト・ジェノヴェーゼ。これは長期航海で慢性的なビタミン不足に悩んでいたジェノヴァの船乗りたちの需要を満たすべく作られた理想的な栄養食品であった。ジェノヴァでペスト・ジェノヴェーゼといえば「ゼッフィリーノ」のシェフ、ジャンパオロ・ベッローニの名を語らない訳にはいかない。おそらく世界で最も有名なジェノヴァ料理の先駆者であり、先代ローマ法王ヨハネ・パオロ2世も彼のペストを食べたという「法王のペスト・ジェノヴェーゼ」の作り手である。 「ゼッフィリーノ」はジェノヴァの旧市街、九月二十通りの大きなアーチ脇にある。創業は一九三九年。ジャンパオロの父ゼッフィリーノ・ベッローニが自らの名前を冠して始めたトラットリアでジャンパオロも十才から働き始める。先祖代々料理人、他の兄弟四人も料理人の満ちを歩むという料理人一家であった。十代の頃はレスリングのグレコ・ローマン・スタイル・イタリア・チャンピオンという経歴の持ち主で、一九六〇年ローマ五輪の代表に内定していたが、左肩の負傷でやむなく出場を断念。店の天井に描かれた五輪マークやレスリングの絵は、若き日のオリンピックへの思いである。やがて当時としては前代未聞の若さ、二十四才で父から店を譲り受けシェフとなると、ジャンパオロは試行錯誤を繰り返しながら伝統料理の研究を重ね、やがてジェノヴァ料理の第一人者と呼ばれるようになり、世界中の著名人が「ゼッフィリーノ」を訪れるようになる。 さて、かのヨハネ・パウロ2世も賞味し、一躍ジャンパオロの名を世界的に有名にしたペスト・ジェノヴェーゼだが、材料はバジリコ、ニンニク、松の実、パルミジャーノ・レッジャーノ、ペコリーノ・サルド、海塩、EXバージン・オリーヴオイル。中でも一番重要なのがバジリコ。ジャンパオロはかつて60種のバジリコをブラインド・テイスティングしてペストに理想的な香りを持つ5種類を選び、現在のペストを作り上げたという。香り高いペスト・ジェノヴェーゼは手打ちパスタとの出会いで完結する。「ゼッフィリーノ」で最初の晩はピカッジェという幅広面を、明くる日は同じく手打ちのトロフィエッテと「ゼッフィリーノ」オリジナルの詰め物パスタ「パッフテッリ」とともにペストを味わったがい香り高く清々しく、軽くて滑らか。食後感もとてもいい非常にヘルシーな料理であった。ジャンパオロはその理由をこう説明する。 「なぜならば、材料は非常にシンプルかつローカロリー、しかもインダストリアルな食材は一切使っていないから。本来料理とは医食同源に基づくべきであり、伝統料理が今日まで生き残ってきたのは人間の「体」がその料理を欲してきたからである。伝統を踏まえない『創作料理』とか『新解釈料理料理』と最近よくあるけれど、そういう料理にイタリア料理の名を冠してはいけない。それは伝統ではなく自己流でしかないのだから」 もうひとつジャンパオロ・ベッローニといえば正統派「カッポン・マーグロ」の作り手としても名高い。ミラノの「マスエッリ」で出会ったジャーナリスト、アントニオ・ピッチナルディが書いたリッツォーリ社発行の「Dizionario di Gastronomia=美食辞典」によるとカッポン・マーグロとは「リグーリア州の伝統的なサラダで多くの高級食材を使い、現在は非常にトラディショナルな店でのみ作られる」とある。 以前イタリアの市場を旅して回った時にジェノヴァでこの料理を探しまわったことがある。家庭の食卓からは消えつつあるこの料理を出す店はジェノヴァ市内にいくつかあるけれど、「自己流」や「新解釈」が多く、本質が失われている場合が多い。本来カッポン・マーグロとは非常にリッチな祝いの料理なのでそう簡単に作れるものではないのだ。ジャンパオロは世界最大のカッポンマーグロを作った料理人としてギネスブックに乗っている。一九九七年に試みたカッポン・マーグロの量たるや二千人分で二百キロ、魚と野菜など材料はあわせて四十種類。二日がかりで準備し、数千人の観衆の前で特注の巨大皿に盛りつけて、ようやく完成させた。 さぁ、完成していざ全員に食べようという前に「食べる前に一度でいいから私のカッポン・マーグロの全体像をこの目で見せてくれ」と頼み込んで群衆をかき分け、高い場所にのぼって巨大な料理を見下ろしてしばし感慨にふけった。これまで幾度となく作ってきたが人生最大のカッポン・マーグロは、それはそれは見事だったという。その一風奇妙な名にはわけがある。魚と野菜のみで作られるこの料理はかつて「クチーナ・ポーヴェラ=貧しい料理」とされていた。高貴な人々は肉を食べ、魚は漁師が貧乏人が食べるもの。当時の風潮はそうであった。しかしながらこの料理は非常にリッチでクリスマスに食べる去勢雄鶏「カッポーネ」にも匹敵することから「やせた去勢雄鶏」の意味を持つ名がつけられたという。実はその昔、私的な祝いの日に六本木にあったイタリア料理店「ラ・ゴーラ」でジャンパオロ直伝のカッポン・マーグロを作ってもらったことがある、と話すとジャンパオロは実に驚いたようであり、そうか、そうだったのか、と何度もうなづきながら 「じゃあ、明日久しぶりにカッポン・マーグロを作ってあげるから朝、店に来なさい」と言ってくれた。僥倖一閃、ジェノヴァの街に陽が差し込んだ瞬間であった。

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