イタリアの老舗料理店13 サルサメンテリア・ストリカ・バラッタ創業1873年
ミラノの南東約八十キロ、パルマとピアチェンツァの中間にブッセートという小さな町がある。人口七千人あまり。大音楽家ジュゼッペ・ヴェルディの生まれ故郷としてイタリア全土にその名を轟かすオペラの聖地だが、この町にそれはそれはシブい居酒屋がある。創業一八七三年のオペラ居酒屋「バラッタ」であるミラノからボローニャへと向かう高速道路A1号線を南下しフィデンツァ出口で下車。延々と続く田園地帯のあぜ道沿いに車を走らせる。冬にはポー川流域特有の濃霧があたり一面にたちこめて確かな運転技術を問われるが、そんな時でもヴェルディのBGMは欠かせない。「椿姫」では甘すぎるなら勇壮な「ナブッコ」を。二十分も走ればやがてレ・ロンコレというジュゼッペ・ヴェルディが生まれた小村に着く。部屋の窓から教会が見える彼の生家は、少年ヴェルディが住んでいた当時のままに修復され現在見学可能となっている。 ジュゼッペ・ヴェルディがこの地に生まれたのは一八一三年。「椿姫」「アイーダ」など、今日でももっとも耳にする機会の多い超有名オペラを書き上げた大音楽家であった。二〇〇一年には没後百周年を迎え、イタリア全土ののオペラ・ハウスで例年にも増して多くのヴェルディ・オペラが上演されあらためてヴェルディの偉大さがとりざたされると、生地であるレ・ロンコレ、ゆかりあるブッセート、終の住処となったサンタ・アガタなど一連の聖地巡りをする旅人も増えるようになったという。 レ・ロンコレを過ぎると間もなくブッセートに到着、「ホテル・イ・ドゥエ・フォスカリ」」に車を止める。ここはブッセートを訪れるときに泊まる古い宿で、オーナーはテノール歌手のカルロ・ベルゴンツィ。宿の名は同名のヴェルディのオペラ「二人のフォスカリ」に由来し、ベルゴンツィはヴェルディ作品を得意として活躍した。宿のすぐ脇がヴェルディ広場で、ブッセートが生んだ偉人ヴェルディの銅像がある。その背後には市庁舎と時計台、そしてオペラ・ハウス、ヴェルディ劇場がある。「イ・ドゥエ・フォスカリ」は公演時にブッセートを訪れた劇場関係者が必ず泊まる宿としても有名である。そのヴェルディ広場からポルティチと呼ばれるこのあたり独特のアーケードの下を歩く。霧が立ちこめる北イタリアではポルティチの存在は欠かせない。雨よけ霧よけであり出会いの場であり商活動の場でもあるが、ブッセートの場合は「バラッタ」へと誘う音楽の回廊であもある。というのもどこかしら聞こえてくるヴェルディの音楽に誘われてポルティチを歩いてゆけば自然と「バラッタ」に着くようになっているのだから。 初めて「バラッタ」を訪れたときはその異様なまでのヴェルディへの傾倒ぶりに度肝を抜かれたものである。ヴェルディの胸像、古いポスター、写真、CD、雑誌、なにやら得体の知れない有象無象の品々。一見古道具屋かと見まごうばかりの容貌は、あれも好き、これも置きたい、そんなコレクターの欲望のから生まれた数十年の時間の堆積である。空気まで黄色くかすんでいるような店内に足を踏み入れると、素朴の木のテーブルが数卓並び、店の奥にあるのは生ハムやサラミ類が並んだ大きなガラスのショーケース。その前では朝から地元の男連中が酒を飲んでいる。店内に流れるのは「椿姫」の「乾杯の歌」。リビアーモ、リビアーモ。そう、ここは日がな一日ヴェルディの音楽が流れる名曲居酒屋なのである。 現在のスタイルを築き上げたのはリノ・バラッタ九十三才。四年前にはじめて会ったときはパイプ片手にまだまだ元気な現役オーナーで毎日店を顔を出す地元の名物男で二〇〇四年にはブッセート市からその功績をたたえて叙勲されている。その時彼から聞いた話によればリノの祖父がこの居酒屋を受け継いだのが一八七三年。以来「バラッタ」の名で営業しているが、記録によれば一三〇〇年代から食料品店として営業していたらしい。ジュゼッペ・ヴェルディももちろん足を運んでいる。そのリノ、今回は昼寝中ということで会えなかったが、久しぶりに古い木のテーブルに着く。 現在リノに代わって店を仕切るのは古くからの友人であるアベレ・コンカーリとその息子。7年前にリノから経営をまかされるようになり、それまで雑然としていた店内をかなり整理したというから以前はどれほどだったのだろうか。この店では地元産の発泡性赤ワイン、ランブルスコをゾッコラという白磁の湯飲みに注いで飲むのだが、その際はぐい飲みのように掴むのでなく、親指、もしくは人差し指を一本器の中に入れ、カフェオレボウルを掴むようにして飲む。そうしないとサラミの脂とかで指がすべるから」と教えてくれたのは先客の地元男性。そう、この店で食べられるのは地元産のふんだんなサラミと生ハム類だが、ナイフ、フォークの類いは一切無く、昔風の流儀で全て手づかみで食べる。それゆえに脂で汚れた指でも掴めるよう、この持ち方が生まれたという。 ヴェルディの肖像画が描かれたランブルスコは苦口、これを室温で飲む。お通しは豚のラードをかりかりに揚げたチッチョラータと卓上に置かれた山盛りの胡桃。これをぽりぽりつまみ、時に自ら古風な胡桃割を使いつつ胡桃を食べる。油脂の多い食べ物にはやや苦めで発泡性のランブルスコがよく合う。アベレが「サラミを切りましょうか?」というので頼むと持ってきてくれるの見事な盛り合わせ。見目麗しい桃色の豚の生ハム、プロシュート・クルード。パルマ産の香り高い極上品である。それよりも高価で上等とされるのがクラテッロ。これは豚の腿肉を塩胡椒などで調味した後、豚の膀胱につめて熟成させるブッセートの名物。そして肩肉を使ったカポコッロ、バラ肉を熟成させたパンチェッタ、ひき肉とスパイスを使ったサラミなど豚をあらゆる方角から味わい尽くす。一緒に盛られて出てくるのはこれも地元に味パルミジャーノ・レッジャーノ。どれも産地ならではの風味豊かな逸品ぞろいである。 それらを一切れずつ指でつまみつつ、時折思い出したように溜め息つきながらランブルスコを口元に運ぶ。音楽はイタリア第二の国歌ともいわれる「ナブッコ」の「行け、我が想いよ黄金の翼に乗って」至福の時間であり、見れば地元客たちも口元緩めて恍惚となっている。もうひとつこの店で頼みたいのがパンとともに小ぶりな器に入って出てくる数々の手作りサルサ。店名の「サルサメンテリア」というのは「バラッタ」の造語であり「サルサ」と「サラミ店=サルメリア」を組み合わせたもの。その名の通りディップのようなパン用サルサが名物でその数十二種類。豚のラードをハーブとともに熟成させたラルドやサルサ・ポモドーロ、唐辛子のつめものなどどれも味は濃い目。トスカーナの無塩パン、パーネ・トスカーノに似た素朴な味わいの地元パンによく合う。 「バラッタ」の後で本格的に食事をするなら「イ・ドゥエ・フォスカリ」がいい。最上級のクラテッロやプロシュート・クルードやサラミなどで始め、セコンドはほろほろ鶏のローストが名物。サービスも優雅でワインリストも充実している。オペラ・シーズンならばヴェルディ劇場へ出かける前の「ビフォア・シアター」メニューもある。先日も「バラッタ」でランブルスコを一本飲んだ後「イ・ドゥエ・フォスカリ」で食事していたところ、後ろの席に一人座っていたのはかのカルロ・ベルゴンツィ。劇場関係者らしき人々が食事を終える度に「ブォナセーラ・マエストロ」と挨拶しては去ってゆく。戦後屈指のヴェルディ・テノールと呼ばれたマエストロは八十二才にして今なお威厳を失っていなかった。ヴェルディの故郷ブッセートの夜にはこんなハプニングも待っている。
サルサメンテリア・ストリカ.バラッタ
Salsamenteria Storica Baratta(ブッセート)
Corso Roma,76 Busseto(PARMA)
Tel0524-91066 www.salsamenteriabaratta.it
11:00〜19:00(土・日は翌1:00まで)月曜休

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