イタリアの老舗料理店15 ダ・アメリーゴ 創業1934年
「ダ・アメリーゴ」に行くのは少々骨が折れる。こう書くといきなり旅の意欲をくじいてしまいそうだが、店主のアルベルト・ベッティーニ曰く「このサヴィーニョはボローニャとフィレンツェを結ぶ街道からも外れた何もない町。昔から旅人が訪れるような町ではなかった」というが今は違う。フィレンツェからボローニャへ向かうボローニャから高速道路A一号線のサッソ・マルコーニ出口で下り、山道を三十分ほど走ると小川のせせらぎも耳に優しい山あいの町サヴィーニョに着く。このあたりでボローニャ・ナンバー以外の自家用車を見かけたらまず「ダ・アメリーゴ」へ行く客と思って間違いない。ミシュラン一つ星にしてイタリアのガイドブック「ガンベロ・ロッソ」の再優秀トラットリアにあたえられる三つ海老マーク・ホルダー。イタリア国内のみならず遠く海外からもその名声を聞きつけた美食家が、山道をものともせず遠路はるばる車を運転して訪れる店となっているのだ。 アルベルトの祖父、アメリーゴとその妻アニェーゼがこの地にバールを開いたのは、ヨーロッパ全土が戦争へと傾いていた一九三九年。当初はバールとして開業。近隣の農家の人々がカードをしに集まってくるようなごく普通の店で、エミリア・ロマーニャを代表するパン、クレシェンティーナやティジェッラなどごくシンプルな食事を出していたという。戦後は「ダ・アメリーゴ」にとって最も苦しい受難の時代。祖父アメリーゴが店の裏で作ったワインや自家製のサラミを売ったりもするようになる。この伝統は今も受け継がれ、アルベルトがプロデュースした「ダ・アメリーゴ」ブランドのミートソースや各種ジャム「マルメラータ」類、あるいは地元のサラミやチーズなどを現在も「ディスペンサ」と呼ばれるショップ・コーナーで販売している。 一九五〇年頃からイタリア経済が徐々に復興しはじめると、モデナやボローニャなど近隣の街から週末に車で行楽に出かける人々がサヴィーニョを訪れるようになるとアメリーゴはバールの二階を改装してトラットリアとしてテレビを置く。すると当時まだ貴重品だったテレビ見たさに毎晩町の人々が集まっては夜更けまで賑わっていたという。「ダ・アメリーゴ」の第一期黄金時代である。一九七四年にアメリーゴが亡くなると店はその娘ジュリアーナと夫ニノが引き継いだが、高齢のため一九八七年に一度は閉店することを決断。その時「ダ・アメリーゴ」に戻ってきたのが当時二十六才のアルベルトである。ファッションの仕事に携わり世界中を忙しく飛び回っていたアルベルトだが、閉店の危機に直面し妻スーズィとともにトラットリアを継ぐことを決断。「当時あまりに忙しすぎた」という生活からの百八十度の転身であり、以来伝統に根ざしつつ革新も取り入れたメニューは美食家たちが注目するところとなっている。 初めて「ダ・アメリーゴ」を訪れたのは二〇〇五年の十月末の日曜日、店が最も賑わう白トリュフの時期であり戦後のトラットリアの雰囲気を色濃く残した店内には、妖艶な白トリュフの香りが漂っていた。実はサッソ・マルコーニで下りてから道を間違え、大幅に遠回りして山を幾つも越えてようやくたどりつくと「山中で遭難したかと思った」とアルベルトが暖かく迎えてくれた。よく晴れた秋の一日、サヴィーニョでの午餐は白トリュフ目当ての先客ですでに一杯。席に着くと「ピエモンテの白トリュフ祭りの開催期は値段が上がることをご了承ください。なお、当店では1gあたり2,20ユーロとしています」と書いてある。至極明朗会計である。 この日は白トリュフのタリオリーニや黒トリュフのキタッリーニなどいろいろな手打ちパスタを食べたけれど、最も強く印象に残ったのが「新旧トリュフ卵」であった。これはその名の通り卵を新旧二通りの調理法で食べるもので「旧」はフライドエッグにし、黒トリュフをあわせる。「新」はポーチドエッグのように半熟状態の黄身をメレンゲで包み白トリュフと食べるのだが、純白の雪玉にナイフを入れると黄身がとろりと流れてくる魅惑の逸品。トリュフの香りを引き出すのには卵が最適、という黄金律に基づいたアルベルト考案の料理である。 「ダ・アメリーゴ」の男たちはサービスに回る、というのがベッティーニ家の家訓のようで、アルベルトとスーズィはともに接客担当。せまい厨房には前菜担当、プリモ担当、セコンド担当あるいはシェフ、その他という区分がなく、注文が入ると各自の判断でそれぞれの料理にとりかかるという一風変わったシステム。冬に再び訪れた時の料理はこんな具合であった。まず「カルツァ・ガッティ」。「猫の靴下」という意味を持つ地元の伝統料理で、インゲン豆入りのトマト味のポレンタ。これを薄く切ったラルドで包み込んだ美しく可憐な前菜。「ティジェッラとパルミジャーノのジェラート」は薄く焼いたこの地方独特のお焼き「ティジェッラ」の上にその名の通り冷たいパルミジャーノ・ムースを乗せ、香ばしいアチェート・バルサミコをかけたもの。エミリア・ロマーニャ州を代表する食材の新解釈による新しい組み合わせ。伝統料理「トルテッリーニ・イン・ブロード」ももちろんいいが、驚いたのは「ダ・アメリーゴ」の新旧でいえば「新」に属する料理「ファルソ・リゾット」すなわち「偽リゾット」。イタリア全土に「ファルソ」と名がつく料理はいくつかあるが「ダ・アメリーゴ」の偽リゾットはなんとジャガイモを米に見立てて細かく切り、リゾット状に仕上げたもの。口に運んでびっくりの見た手料理であった。 セコンドは牛頬肉をじっくり煮込んだ「グアンチャ・ディ・ヴィテッラ」さらに子豚の様々な部位をさまざまな調理法で食べさせてくれる「子豚のモザイク」いやいや、充実の一夜であった。二階の隅のテーブルで自家製のグラッパを飲んでいるとアルベルトが「アチェート・バルサミコのジェラート」を持ってきてくれた。口中爽やか、酢の酸味が新鮮なデザートであった。かつてガンベロ・ロッソ社発行のワイン・ガイド「ヴィーニ・ディ・イタリア」にレポートを書いていたこともあるアルベルトが考えたユニークなワイン・システムが「PTV」。これは「Porta il Tuo Vino」つまり「自分のワインを持ってきて」という意味で、「ダ・アメリーゴ」はワインの持ち込みが可能。しかも持ち込み無料。 これはアルベルトが世界のいろいろなレストランを回っている時気付いたことで、外国では開栓料として1、2ドルの追加でワインの持ち込みが可能なのにイタリアではなぜそのシステムが確立していないのか?ということであった。そこで客側からでなく店側からのワイン持ち込みの提案である。記念日に開けたいワイン、大切な祝いの場、そんな時自宅でトリュフ料理なんて作れないだろうから料理は「ダ・アメリーゴ」に食べにくればいい、そういう考えである。とはいえやはり無制限にワインを持ち込むのは困り者。旅人として訪れる際にはトスカーナあたりで見つけた「これぞ」という貴重なワインを持参し、礼儀として店に一杯さしあげるのがスマートなやりかたではないかと思う。 近年アルベルトは古い住宅を改装して小さな宿「ロカンダ」を始めた。これもかつては祖父アメリーゴが旅館も経営していたことにさかのぼる伝統の復活。しかしその内装はボローニャの建築家による、デザイン・ロカンダ。ムラーノのアンティーク・ガラスやカルロ・スカルパの家具など、コンセプトはミニマリズムながら自由自在に組み合わせた個性的な宿となっている。遠方から来た際には「ダ・アメリーゴ」で充実の一夜を過ごしたあとロカンダで夜を過ごし、翌朝帰りがけにディスペンサで自家製のティジェッラやスーゴ、あるいはワインやサラミなど購入して次の美味なる目的地へと向かう。そんな旅が「ダ・アメリーゴ」にはよく似合うようだ。
ダ・アメリーゴDa Amerigo(ボローニャ)
Via Marconi,16 SAVIGNO(BOLOGNA)
Tel051-6708326
www.amerigo1934.it/ 
12:00〜14:15、20:00〜22:30
月曜休、日曜、祝日以外は夜のみの営業 要予約

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