イタリアの老舗料理店20 ソラ・レッラ 創業1943年
テヴェレ川の中州に浮かぶ唯一の島ティベリーナ島は、病院島として知られている。古代ローマの伝説によると、紀元前二九三年にペスト撲滅のため船でローマに連れてこられた医神アスクレピオスが蛇に姿を変えティベリーナ島に上陸。ペスト禍をしずめるため神殿を建てるべきと告げたといわれている。アスクレピオスのへびが示した場所にはお告げ通りに神殿とローマで最初の病院が建てられ、現在もローマ最古の病院サン・ジョヴァンニ・ディ・ディオとして残っている。紀元前六十二年に作られたファブリチオ橋を渡ってティベリーナ島へと向かう。病院へと向かう人の波にまぎれて橋を渡りきったところに「ソラ・レッラ」はある。伝説のノンナ「ソラ・レッラ」の店である。 「ソラ・レッラ」の創業は第二次世界大戦の最中である一九四三年一月。当時店があったのはティベリーナ島ではなく、毎朝野菜や果物などの朝市が立つ賑やかなカンポ・デイ・フィオーリに近いカンチェッレリア広場だった。店を始めたのは若い料理人レナート・トラバルツァとその妻エレナ・ファブリツィ。店名の由来だが「ソラ」はローマ弁で「シニョーラ」つまり奥方をさし、「レッラ」はエレナの愛称。つまり「シニョーラ・エレナ」という意味を持つ。苦しい戦後の時代に終わりを告げ、兵役を終えた息子アルド・トラバルツァが二人のもとに戻ってきた一九五九年に店を移転、ティベリーナ島で家族三人で再出発する。「ソラ・レッラ」の名物はその名の通りもちろん、ご本人シニョーラ・レッラことエレナ・ファブリツィである。実はこのエレナ、料理人としての腕はもとより、そのキャラクターが圧倒的に際立っており、昔からトークショーや映画に頻繁に出演していた。 ローマにカルロ・ヴェルドーネという映画監督件喜劇役者がいる。ローマのどこにでもいそうなやや小太りの三枚目なのだが、作品ごとに全く違うキャラクターを自ら作り上げて演じる天才である。彼の映画で「ビアンコ・ロッソ・ヴェルドーネ」という一九八一年の作品があるが、これはヴェルドーネが監督・主演したものだが、なんと一人三役。彼が演じたパスクアーレ、フリオ、ミンモという三者三様のキャラクターは大いに笑わせ、またほろりと泣かせてくれるのだが、エレナはミンモの祖母役で作品中に登場している。ヴェルドーネ曰く「炸裂的なキャラクター」で「私が思い描く典型的ローマのノンナ(おばあちゃん)」であるエレナは小太りで大声、料理には手を抜かず押しが強いが人情には厚い。「ミンモ、早くパスタ食べなさい!!」と大声で叫ぶ愛すべきノンナであった。一九五八年の作品を皮切りに一九九三年に他界するまで出演した映画は全部で十三本。映画の中のエレナを見るうち、いつしかローマっ子の間ではヴェルドーネが言うようにエレナは「典型的なローマのノンナ」としてのイメージが定着していった。まさに映画の都ローマに生きた、映画に出てくるような女性だった。エレナの息子アルド・トラバルツァが「駆逐艦」という詩を書いている。時は第二次大戦最中に「ソラ・レッラ」が開店した一九四三年。七月十九日はこんな風に始まった。その日は朝から素晴らしい天気で店の前にあるカンチェッレリア宮殿は美しく輝いていた。カンポ・ディ・フィオーリへと荷を運ぶ馬車が列をなし、衛兵が行進する。母はその時コーダ・アッラ・ヴァチナーラを煮込んでいて、その香りは広場に溢れ出していた。 すると広場でひなたぼっこしていたいつもの常連たちは「レッラ、レッラ!!今日は何が美味しいんだい?」と叫びだす。すると腰に手を当てた白いエプロン姿の母が店の中からぬっと現れ、「コーダだよ。あたしのコーダ・アッラ・ヴァッチナーラは同じ重さの金ぐらい価値があるんだ。質屋に行けば一切れ千リラはくれるね」と笑いながら厨房へと戻って行った。 十時三十分、空襲警報が鳴り始める。ローマはすでに「無防備都市」を宣言しており多分爆撃されないだろうといわれていたが、空には爆撃機が現れ、ローマ市民たちは教会へと避難した。母は私と妹の手を掴み、大勢の人たちと一緒に走り出す。幼い私が見たのは頭上を通過する何十もの爆撃機。やがて爆撃の音が聞こえ始める。サン・ロレンツォ地区の爆撃が始まったのだ。パニック、恐怖、女たちは泣き、祈り、黙り込み、青ざめる。男たちは爆撃機を見ながら冷製に分析し始める。あれは戦闘爆撃機、と一人が言うと、その後にいるのは偵察機と誰かが続ける。その時母が言った「うわぁ、あの大きいのは駆逐艦だよ」。 張りつめた空気が裂け、みんなが腹を抱えて大笑いしはじめた。むっとしているのは母一人。「一体みんな何を笑ってるんだい」すると男がひとり近づいてきて小声で言った。「シニョーラ・レッラ、駆逐艦というのは飛行機じゃなくて船なんだよ」すると母は「そんなこと知ってるわよ。あたしが見たのはそれぐらい大きかったのよ」昔から愛すべき人柄だったエレナがよく分かる逸話である。ちなみにエレナの兄アルド・ファブリツィは後にロッセリーニの映画「無防備都市」に神父役として登場。エレナ以上に知られた俳優であった。現在の「ソラ・レッラ」はエレナの息子アルド・ファブリツィと彼の三人の息子たちが伝統を守り続けている。定番メニューはエレナが作り上げた昔ながらのローマ料理である。すなわち牛テールの煮込み「コーダ・アッラ・ヴァッチナーラ」やアーティチョークのフリット「カルチョーフォ・アッラ・ジュディーア」、あるいは復活祭の羊料理「アバッキオ・ブロデッタート」など。もちろんローマならではのシンプルな子羊のグリル「アバッキオ・スコッタディート」もいい。これは「指を焼く」という意味でまさに手で食べるのが正統とされる。 こうした定番にややクリエイティヴなプラス・アルファを加えたのがアルド・ファブリツィ。彼考案の「桃源郷」という名の手打ちパスタは胡桃、パンチェッタ、パルミジャーノのソースで食べる「トンナレッリ・アッラ・クッカーニャ」。さらに「古代ローマ風子豚のロースト」など研究を重ねた考案した料理も多い。特筆すべきはセコンドの豊富さで、肉料理はなんと二十一種類。席数わずかな店にしてこの品数の多さはローマならではの肉文化の深さを象徴している。 兵役を終えて店を手伝い始めたアルドはサービスから始めたが、料理のことがまるで分からず、店で恥をかいてはよくトイレで泣いていたという。ある有名な女優が「スカロッピーネ・アル・リモーネ」という子牛肉の定番料理を頼んだ時どんな料理か分からなかったり、ある貴族がロゼ・ワインを注文した時室温でサーブしたり。そんな昔の失敗を笑い話として話してくれたアルドは今年で七十才。すでに詩集を出したりと母が映画に情熱を傾けていたのと同様、料理のみならず文学にも傾倒している。 「引退したらゆっくりと詩を書きたいんだ。そう、ローマ料理の話をあちこちに盛り込んだ子供が読むおとぎ話みたいな詩をね」とアルドは語る。 彼の息子や孫たちがその詩を読み「昔のローマ料理ってこんな風だったんだ」と語り継いでゆく。アルドがエレナの思い出を語り継いできたように、アルドの料理も後世へと受け継がれてゆく。伝統というバトンはそうして渡されるのだが、おそらくそれはそう遠くない将来のことだと思う。
ソラ・レッラSora Lella(ローマ) Via Ponte Quattro Capi,16 ROMA Tel06-6861601 www.soralella.com 13:00〜14:30、19:45〜22:45日曜休
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