ローマ下町料理を紐解く その4 Carbonara

カルボナーラを下町料理と言っていいものかどうか。下町、つまり庶民の食卓にのぼる伝統の味なのかというと、イエスでもあり、ノーでもあり。そもそも、そんなに古くからある料理ではないというのが、ガストロノモたちの見解である。でも、使う素材は卵、チーズ、グアンチャーレ(あるいはパンチェッタ)と非常に庶民的である。だからとりあえず、下町料理と言っても間違いではないだろう。

古くからあるわけではないカルボナーラだが、その生まれははっきりしていない。出生伝説は一般的には三つに分けられる。一つは、第二次世界大戦後、ローマに進駐軍として滞在したアメリカ人がもたらしたという説。彼らが持ち込んだベーコンが彼らの好きな卵とパスタに結びついて誕生したという。その後、ベーコンはローマ人により馴染みのあるパンチェッタやグアンチャーレに代わり、チーズはペコリーノ・ロマーノを使うのが定着したらしい。

2番目の説は、アブルッツォとの州境で炭焼きを生業とした人たち(イタリア語でカルボナイオ、ローマ弁でカルボナーロ)が賄い料理として編み出したというもの。炭焼きは山のなかの小屋で火を絶やさずに作業するため、食料として運び込んだグアンチャーレ(現地はグアンチャーレ、つまりグリーチャの産地でもある)、ペコリーノチーズ、卵を使って食事をしたのだろうという。しかも、カルボナーラには黒胡椒がたっぷり使われることになっているが、グアンチャーレなら最初から黒胡椒がまぶされているので、自然にカルボナーラも黒胡椒入りとなったともっともらしい説明までつく。炭焼きの時にはぜた炭の粉がパスタにかかったという話よりも信憑性が高く感じられる。

3番目の説は、ナポリ伝来というもの。ナポリには昔から料理の最後に溶き卵とチーズ、塩とたっぷりの胡椒を加えてよく混ぜ合わせるという手法があるらしい。卵を加えるのは料理を火からおろした後、という点もカルボナーラに共通する。でも、それならばなぜ、カルボナーラはナポリ名物とならなかったのかという疑問が残る。

いずれにしても、カルボナーラは第二次世界大戦後に一般的料理になったということだけは確かなようである。なぜなら、それ以前の料理書(たとえば、1930年刊行のAda Boniの『La Cucina Romana』)には見られないからである。

ところで、ローマにはカルボナーラという名のレストランが少なくとも2軒ある。カンポ・デイ・フィオーリのRistorante La Carbonaraとモンティ地区のOsteria La Carbonara、前者は1912年、後者は1906年創業とどちらも100年越えの老舗で、そして奇しくも炭焼き職人の女房が始めた店というのも同じである。その名前からパスタ・アッラ・カルボナーラ発祥の店と思われることもあるようだが、2軒ともそれは否定している。が、もちろん、どちらもカルボナーラをメニューに載せている。

ところで、wikipediaによると、カルボナーラというのは外国で“にせもの”になる率が高いイタリア料理の筆頭らしい。ペコリーノ・ロマーノではなくパルミジャーノで代用したり、生クリームを加えたり、たまねぎのソフリットをベースにしたり。また、グアンチャーレをやめてズッキーニを使って軽くする、魚介を使って“海のカルボナーラ”などというものも存在する。こうなると、にせものというよりはファンタジー系バリエーションだろう。だが、イギリスでは卵すら使わず、代わりにベシャメルを用いることもあるそうで、これはもうにせものを通り越してべつものである。そして最後に、日本では生クリームを使うがペコリーノは“存在しない”と書かれているのが、ちょっと悲しい。

今、手元には、Livio Jannattoniの『La Cucina Romana e del Lazio』、Anna Gosetti della Saldaの『Le Ricette regionali Italiane』、Roberta e Rosa D’Anconaの『La Cucina Romana』それぞれのカルボナーラ・レシピがあるが、最初の1冊を除く2冊ではにんにくを使い、チーズもパルミジャーノとペコリーノを半々にしている。チーズは好みでもいいと思うが、にんにくはこの料理の和を乱すのではないかと個人的に思う。