追悼、グラッパ王ジュゼッペ・ナルディーニ
少し前の話になるが今年の4月26日、老舗グラッパ・メーカー「ナルディーニ」のオーナー、ジュゼッペ・ナルディーニが亡くなった。1927年生まれの享年90歳。戦後の苦しい時代にカ・フォスカリ大学経済学部を卒業、以来50年以上に渡り1779年創業のグラッパ製造業を引き継ぎ、発展させてきた人物だ。それまでのメッシタ・グラッパだった「ナルディーニ」をクオリティ・グラッパへと引き上げたのはジュゼッペの功績が大きい。ジュゼッペが亡くなった翌朝、地元の新聞には「グラッパ王亡くなる」と大きな見出しの追悼記事が出たほどだった。 2006年の冬、イタリアの老舗めぐりをしている際に初めてバッサーノ・デル・グラッパにある「ナルディーニ」を取材した時のことだ。アポイント時間にナルディーニ直営のグラッパ酒場「グラッペリア」を訪ねると待っていてくれたのがジュゼッペ・ナルディーニ本人だった。過去にはイタリア老舗協会の会長も務めたことがあり、当時からその名はすでに神話の域に達していた人物だったが「店の地下には昔の上流設備が展示してあるから見学していくといい。写真も自由に撮っていいから」と実に気さくな対応をしてくれたのが強く印象に残っている。 以来再び言葉を交わす機会はなかったが、今もレストランで食後にグラッパを注文するときに好みを聞かれるとナルディーニ、と答えるのは実はこの時の「ドットール=先生」ナルディーニの印象がいつまでも記憶に焼き付いているからだ。 ドットール・ナルディーニにはクリスティーナとフランチェスカーナという2人の娘がいたが、実はナルディーニ家では創業者のバルトロ・ナルディーニ以来グラッパ作りの秘伝は父から息子へ、男系子孫にしか伝えることが許されなかった。しかし息子のいないドットール・ナルディーニは200年にわたるこの家訓を創業以来初めて曲げ、二人の娘に一子相伝の秘密を授け、ナルディーニの将来を託したのだ。 バッサーノ・デル・グラッパにかかる最古の木造の橋、ポンテ・デッリ・アルピーニ(アルペン橋)は16世紀のヴェネトを代表する建築家アンドレア・パッラーディオが1569年に建設したものだが、グラッパ酒場「グラッペリア」はそのたもとにある。ここでは朝からグラッパはもちろん、ドットール・ナルディーニが考案したオリジナル・カクテル「メッツォ・メッツォ」などを飲むことができる。この店に来る地元の男たちは、大げさでなく朝からグラッパを一杯ひっかけていくのだが、バッサーノで飲む冬のグラッパは嗜好品ではなく必需品なのだと、冬にこの店を訪れたなら文字通り体を使って体感することができるだろう。ちなみにこの店には「ナルディーニ」の酒以外にサラミもチーズもチケーティもつまみは一切置いていない。あるのは甘い菓子トローネのみ。これもドットールが考案したグラッパ酒場のスタイルで、子供連れでも酒場通いができるようにと考えた、実に域な計らいだった。バッサーノの男たちは今日も子供や孫の手を引いて、ちょっと散歩に行って来ると言い残して「グラッペリア」に出かけ、一杯二杯と盃を重ねては常連たちとドットールの思い出話に花を咲かせている。ナルディーニ飲みつつそんな想像をするのは胃も胸も暖まる、実に心地よい時間なのである。 Grapperia Vicolo Teatro Vecchio 2, 36061 Bassano del Grappa 営業時間:8:30 – 20:30SAPORITAをもっと見る
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