フィレンツェで日本酒文化を説く、唎酒師ジョヴァンニ・バルディーニ
ワインの国イタリアでは、長らくワイン以外のアルコールへの関心は薄かった。ワインだけでなく食についてはかなり保守的な国である。それは、食文化として優れて発展しているからという理由もあるが、よその文化の情報があまり入ってこなかったことも大きい。その証拠に、ネットで様々な情報に簡単にアクセスできるようになり、SNSでの交流が盛んになった現在、イタリアには怒涛のごとく遠く離れた異国の“食べ物”がなだれ込んでいる。少し前のスシブームに始まり、ラーメンが浸透し、そろそろうどんが来るか、という状況である。ちなみに、そのほとんどが、ロンドンやパリに始まって次第に南下してくるという流れも定着しつつある。アルコールの世界では、まずはカクテルブームが起きた。以前は、イタリア人バーテンダーの作るカクテルは今ひとつな感が否めなかった。大雑把なミクソロジーで、ノリはいいけど着地が決まらないということが往々にしてあった。それが昨今はカクテルのマスターコースやコンテストも各地で開かれるようになり、全体的なレベルは確実に上がっている。 しかし、日本酒については、まだまだ未知である。ミラノには日本酒を多種類揃えるバーや料理店も増え始めているが、その流れはまだフィレンツェまで届いていない。それでも、日本を旅行するイタリア人が増え、日本酒への関心が少しずつ高まっているのは確かに感じられる。しかし、日本人がイタリア人に直接レクチャーしてもどこか空回りしてしまう。イタリアの文化背景を理解せずして語るとどうしてもピントがずれてくるのだ。(日本人がヨーロッパで行う日本酒イベントを見ていて常々感じていることである。)イタリア人が日本酒のどこに興味を持ち、場合によってはどんな間違った知識を仕入れてしまったのかを理解するには、やはり同胞にメリットがある。2014年、ジョヴァンニ・バルディーニは、フィレンツェ初のイタリア人唎酒師として、日本酒文化の知識と理解を広めるための活動を開始した。 ジョヴァンニが日本酒と初めて出会ったのは2004年。日本人の妻と共に日本へ旅行する際、フィレンツェの友人から日本酒を買ってきてほしいと頼まれたことがきっかけだ。せっかく買うなら蔵元へ行ってみようということになり、当時フォトグラファーを志していたジョヴァンニはカメラを持って訪れた。ところがそこで、ジョヴァンニはうまく写真を撮ることができなかった。日本酒造りの現場の仄暗い中に見える光や匂いが、フィレンツェの祖父が自家用のワインを造っていたカンティーナのそれらと驚くほど似ていたため、懐かしさと感動に満たされすぎて、撮影が上の空になってしまったのである。しかし、ジョヴァンニの心には新たな思いが芽生えていた。日本酒のことをもっと知りたい、いつかは日本酒に関わる仕事をしようという希望だ。 その後、フィレンツェに戻り、日本酒について知るために歴史や日本語をコツコツと学んだ。日本酒とは全く無縁の仕事をしながら日々を過ごすうちに、一度は日本酒への夢を封印したこともある。しかしやはり、日本酒の世界に携わりたいという思いが強くなり、まずは輸入をしようと決意。日本へ行き、蔵元を訪ねては、酒造りに関わる人々に話を聞いた。 「輸入するとしても、ただ単に数多く扱うようなことはしたくありませんでした。なぜなら、日本酒は、そこに働く人々の努力の結晶です。そこには伝統があり、文化があり、人々の思いがある。酒一本一本の中に込められたものをリスペクトして、しっかりと伝えることができるものだけを輸入したいのです」。 こうして2014年より日本酒の輸入を始めたが、酒造りに携わる人々の思いをより確実に伝えるためには、日本酒についてさらなる知識が必要であると感じ、唎酒師を目指した。ロンドンに本部があるWine Spirit Education Trustがオーガナイズする唎酒師コースを受講し、試験に合格。その後さらに、日本酒講師の資格も取得した。2017年からは輸入業の傍、日本酒のマスターコースも主宰している。生徒はひとクラスに6〜8人ほどと多くはないが、飲食店経営者やソムリエ、料理関係の人が中心で、皆熱心だという。また、プロやセミプロ向けのマスターコースだけでなく、一般人へのレクチャーも積極的に行なっている。主にイベントやフェスタの場で日本酒を振る舞いながら解説するというものだが、「こういう時にイタリア人の“間違い”を直すことが大切」と言う。イタリアでは他の欧米同様、「日本酒は食後酒」「おしなべて温めて飲むもの」などといった間違った知識がかなり定着してしまっている。それを少しずつでも訂正し、正しい知識へと導くのである。 「日本酒ジャーナリストで日本酒啓蒙活動の第一人者であるアメリカのジョン・ゴントナーJohn Gauntnerは、日本酒を楽しむためにはまず理解することが大切であり、その上で自由に楽しむべきものだと言っていますが、全く同感です。正しい知識の上にこそ、自由な発想ができる。日本酒を理解すればするほど、例えば、イタリア料理と日本酒の組み合わせにも色々な可能性を見出すことができます」。 イタリア料理には酸のあるワインが最も合うが、酸のない(あるいは弱い)日本酒でも香りと味わいに応じて合わせることは可能だというのだ。この辺りは日本人にとっても非常に興味深い。 ジョヴァンニはさらにさまざまな人とのコラボレーションを通じて日本酒のアプローチの幅を広げている。日本人の蔵元をイタリアに招くのはもちろんのこと、日本で蔵人として働く唯一のイタリア人(フィレンツェ人でもある)ジョヴァンニ・ムニッキGiovanni Municchiに日本酒造りについてレクチャーをしてもらったり、バーテンダーと日本酒カクテルのレシピ開発も手がけている。特にカクテルは、昨今のブームのおかげもあり、才能あるバーテンダーが増えている。 「彼らは非常にメンタルがオープン。柔軟で新しいものへの探究心が素晴らしい。日本酒の微妙な香りや味わいを細やかに分析し、新しいカクテルを作り出しています。日本酒の魅力をイタリア人に理解してもらうには、こうした様々な角度からアプローチすることが重要なのです」。 唎酒師ジョヴァンニの日本酒活動はまだ始まったばかりだが、イタリア人ならではの方法で確実に日本酒文化を広めていくことだろう。そして今はまだ2冊しかないと言われるイタリア語での日本酒についての本をまとめることも、ジョヴァンニの未来予想図には描かれている。 Giovanni Baldini氏の日本酒サイト Firenze Sake

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