シエナの本格、ラ・トラットリアッチャ@広尾
2018年9月広尾にオープンした「ラ・トラットリアッチャ La Trattoriaccia」はイタリアに16年間暮らした河合鉄兵シェフの店である。フィレンツェ時代からの仲なので普段は鉄兵くん、と呼んでいるが今回はあらたまって河合シェフと呼ばせていただく。河合シェフはシエナ、フィレンツェ、レッジョ・エミリアと主にリストランテで研鑽を積んだが三つ子の魂百までというのか、いざ東京で自分の店をオープンする際に選んだのは最初に暮らしたシエナの料理だった。実は開店記念にフィレンツェの紋章である百合のプレートを贈ろうかと思っていたのだが、シエナ料理をやると聞いて急遽その案をボツにしたことがある。長年暮らしたフィレンツェ愛よりも最初に暮らしたシエナ愛のほうが強いと知り、あらためていままで知らなかった河合シェフの一面を見たような気がした。 さて、11月のある日にうかがった際、メニューを見ていると河合シェフが「トスカーナなんで魚はやりません。やるとしてもバッカラぐらいかな」というではないか。ならば、とこちらも腕まくりをして肉づくしで挑むことにする。前菜はおまかせで頼むと「プロシュット、パンチェッタ、サラーメの盛り合わせ」と「自家製ソップレッサータ」そして巨大な木製のオーバルで巨大な盛り合わせが登場した。野菜とキノコのグリル・バルサミコかけ、ペコリーノ、タマネギのアグロドルチェ、クロスティーニ・トスカーニ、そして仔牛の薄切りローストにアンチョビソースをかけた「仔牛のアッチュガータソース」が登場。肉、肉、肉、の洗礼でスタートする。 パスタは2種類、フィレンツェに暮らしたものは忘れられないソウルフード「スパゲッティ・アッラ・カレッティエラ」と「イノシシのパッパルデッレ」。前者はニンニクと唐辛子を効かせた、何度食べても食べ飽きないトマトスースのパスタで、後者は主に中南部トスカーナで食べる、秋の味覚イノシシのラグーを使ったパッパルデッレ。続くセコンドは「ペポーゾ」と「サグラ・デル・チンギアーレ」、前者はブルネッレスキがフィレンツェの大聖堂の丸屋根「クーポラ」を建設していた1430年ごろに誕生した郷土料理。当時街を挙げての大工事は24時間ぶっ通しで続き、ゆえにいつでも職人たちが食べられるようにと、工事現場脇で大鍋で煮込んでいたのがこの料理の始まり。現場にあるレンガで炉を組み、薪をくべて牛のスネ肉などと香味野菜を大量の赤ワインと黒胡椒たっぷりで煮込む。当時はトマトがまだヨーロッパに伝わっていなかったのでトマト抜きだったが、おそらくは職人向けにやや塩辛い味付けで、黒胡椒がばっちり効いた煮込みはトスカーナパンと食べるとさぞや美味しかったのだろうと想像する。付け合わせはこれも伝統的な組み合わせ、白インゲン豆。香りづけはローズマリーだが、よくイタリアでハーブを表現する際「バジリコはリグーリアの香り、オレガノはシチリアの香り、そしてローズマリーはトスカーナの香り」といわれるぐらいトスカーナの肉料理にローズマリーはかかせない。 もう一品の「サグラ・デル・チンギアーレ」は訳すなら「猪祭り」。これはイノシシのローストと煮込みの2種盛り合わせだったが、煮込みはペポーゾ同様中世を思い起こさせるスパイシーな味つけだった。聞けば河合シェフが最初に勤めた店のレシピで、シエナの名物菓子、スパイシーなパンフォルテをソースに使うという。これは今後おそらく河合シェフのシグネチャーディッシュとなっていくのだろうが、他のどこでも食べたことがないオリジナリティあふれる料理だった。締めのドルチェはポレンタ粉を使い、ざっくりとした食感が特徴のズブリッチョローナ。 近年東京のイタリア料理は郷土色を出すよりもイタリア全土の料理をシェフがチョイス、あるいは全地方の郷土料理を提供するスタイルに人気があるが、フィレンツェ帰りのシェフたちはいずれも郷土色を強く打ち出しているのはフィレンツェで時間を共有した者としては嬉しい限り。いつまでもトスカーナ偏愛主義を貫いて「魚料理はやるとしてもバッカラのみ」というある種トスカーナ原理主義者の道を貫いてほしい。客の好みや流行りに合わせるのでなく、自分が学んだことを自信を持って表現する、そうした店に客は惹かれ、人が集まるのではないか。「トラットリアッチャ」とはトスカーナ弁で、いうならば「トラットリアみたいな店」あるいは「トラットリア未満」と訳せるだろうか。これは自虐的な言い方だがその裏には河合シェフの頑固さと自信が垣間見える。今後も「トラットリアッチャ」道を貫いてほしい、とイノシシと豚、牛つくしの料理を食べながらあらためて思った。

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