サルデーニャ!3民族衣装とトラッカス、祝祭菓子と裸足の男
やがて行進には牛車の部隊が合流する。トラッカスと呼ばれる牛車をひく牛は牛飼いとお揃いの刺繍や花、大小無数の鈴や鐘をつけ、からころと牧歌的な音を立てながら登場した。牛車の看板を見るとモナスティール、セストゥ、ヴィッラ・サン・ピエトロ、モンセラート、シンナイ、エルマス、クアルトゥッチウとあるが、これらは全てカリアリ周辺の小さな町の名前。恐らくまだ夜も明けない頃から牛を引いてカリアリを目指してきたのだろう。この幌付きの牛車は豊饒を感謝する村祭りそのままの姿で、ふるいやくわ、すきなどの農機具、木製のフオークやスプーン、銅鍋などの調理器具が一面に貼付けられており、荷台には幼子を抱えた母親たちが乗っている。彼女たちが持つかごには菓子や儀式に使う儀式パン、パーネ・リトゥアーレが入っていた。 目の前を一台、また一台とトラッカスが通り過ぎ、車上の女たちは賛美歌を歌いながらゆっくりとノーラへ向かっていく。5月のカリアリの日射しの強さは南イタリアならでは。11時過ぎで体感温度はすでに30度超。汗が額をつたい、カメラを握る掌にも汗がにじむが行進はまだまだ続く。港へ続く緩やかな下り坂、カルロ・フェリーチェ大通りには特設スタンドが設けられており、次々に現れるトラッカスと民族衣装の集団に声援が送られる。ここから、カリアリ湾に面したローマ通りの市役所前までがメインコースだ。 陽炎たなびく彼方からやって来た一見異様な裸足の集団は有名なカブラスの人々だ。カブラスには「コルサ・デッリ・スカルツィ」という裸足の祭りがあるが、これはかつてカブラスが侵略された時、男たちが裸足でサン・サルヴァトーレの聖人像を運んだことに由来するという。つまりカブラスの男たちにとってスカルツィとは単に男気を示す祭りではなく、聖者に捧げた聖なる全力疾走なのである。十字架を先頭に裸足で行進するカブラスの男たちの背後には女性たちも裸足で続いていた。受難の痛みを分け合ういばらの道「ヴィア・クルーチス」とはかくや。熱く焼けた石畳の上を裸足で歩くカブラスの人々にはひときわ大きな拍手が送られた。彼らはこの炎天下をノーラまで裸足で歩いてゆくというのか。 日射しがまた一段ときつくなり、首筋が日焼けでひりひりし始めた頃、観客席からさらに大きな歓声があがった。見ると大通りに現れたのは馬上姿のカンピダーノの騎士たち。数頭づつ隊列を組んで、カルロ・フェリーチェ大通りの向こうから次々に現れる。その数およそ数百騎。白馬だけで組んだチームもあれば女性騎手たちだけのグループもあった。「はっ」というリーダーのかけ声とともに一糸乱れず隊列を組み、騎士たちは観衆の前を駆け抜ける。燃えるようなオレンジ色の軍服姿で現れたのは地元カリアリの大部隊。その後に続く黒いタキシード姿の男性が世俗の代表「アルテル・ノス」で、毎年カリアリ市議会議員から選出される。 行進の最後、ついに聖人像を乗せた牛車が現れた。先導するのはサント・エフィジオ大信徒会アルチコンフラテルニタの信者たち。市役所前に着く頃ガラス・ケースの扉が開かれて聖人像がカリアリの海と市民の前に姿をあらわすと、感極まった女性たちは手にした花びらを投げて祝福し、男たちは行く末の無事を祈ってひざまづく。無数の花びらが宙を舞い、初夏の日射しに煌めく花のシャワーの中をサント・エフィジオが通過してゆく。十万人の群衆を整理する警察、聖人像を守る大信徒会の会員たち、花で祝福する女性、殺到するカメラマン、奇跡を求めて聖人像にふれようとするカリアリ市民たちで現場は大混乱。そうした群衆の波と狂乱と花吹雪がローマ通りをゆっくり西へ移動してゆくと、熱狂も徐々に静まり始めた。聖なる行進はこれから街を出て、ノーラへと続く殉教街道をゆくのだ。 この日サント・エフィジオの聖なる行進で目にした美しい民族衣装や女性たちの胸元を飾るきめ細かい金細工。トラッカスに乗せられていたパーネ・リトゥアーレやさまざまな形の祝祭菓子。まるで今、山から下りて来たかのようなヌオロの男たち。これらは全て、青い海に囲まれたリゾート・アイランドというイメージからはほど遠い、深く厳しいサルデーニャ文化を理解するためのキーワードであり、島の深奥部ディープ・サルデーニャへと我々を誘う聖人からの熱いメッセージであった。思えばこの時から我々のサルデーニャ彷徨の旅は始まった。それはフィレンツェにいても東京にいても、いつも心のどこかでまだ見ぬディープ・サルデーニャへと思いを飛ばす、熱病にも似た果てしない旅の始まりなのであった。

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