サルデーニャ!12儀式パン博物館とナイフ工房
ボロレ、儀式パンの博物館
パーネ・リトゥアーレ、直訳すると儀式のパンだが、イタリアで儀式パンといえば、復活祭のゆで卵を殻ごと仕込んだパンがまず頭に浮かぶ。しかし、それ以外はというと特に目立つものはない。それがサルデーニャでは、復活祭はもちろんのこと、結婚式、聖人のお祭り、死者の命日、収穫を祝うとき、旱魃に苦しむとき、さまざまな暮らしの場面に儀式パンが登場する。それも、パン屋ではなく、一般家庭の女性たちが作るのである。村により、家庭により、作り手により、姿形は異なり、小さな手のひらサイズから、一抱えもあるような大きなものまで、しかも、そのどれもが花や鳥やそのほかいろいろなモチーフの細かな細工でびっしり、なのである。そんな儀式パンを一堂に集めたのが、2007年にボロレの町にオープンした「ムゼオ・デル・パーネ・リトゥアーレ」だ。 緑の木立の中に佇む平屋のシンプルでモダンな建物の博物館では、粉の精製行程や、小麦の栽培収穫に使う道具、普段の食事に供されるパンと順に見た後、復活祭や結婚式、町の守護聖人のお祭りなどテーマごとに展示されている多数の儀式パンを見ることができる。普段の食事パンには硬質小麦の粗挽き粉を使い、儀式パンには精製度を高めた白い粉を使う。さらに、あまり焼き色をつけず白く焼く。サフランを使って黄色く染めることもある。そして細工の細かさときたら、じっと見つめていると目が痛くなるくらいである。 細工に使う専用のナイフ、はさみ、パイカッターのようなローラーも展示されているが、どれもとても小さい。女性の手に合わせてあるからだろう。サルデーニャの女性の民族衣装に見られる刺繍、レース、金のアクセサリー、そして儀式のパン、これらに共通する手仕事の細やかさにはまこと舌を巻く。イタリアのほかのどこにもない、独特の世界にただただ魅せられるばかりだ。しかしこの博物館、ひとつ心配なことがある。博物館員によると、オープンして2年が経ち、展示しているパンの虫食いがどんどん進行していて、このままだと展示品が消えてしまうというのである! 「展示方法を早急に改善する必要があるのです。でないと、また各地の婦人達に製作を依頼しなければなりません。ところが、作れるのはお年寄りばかりですから、これもまた容易なことではないのです」。一日でも早い対策が望まれる。サントゥ・ルッスルジウ:ナイフ工房「ヴィットリオ・ムーラ&フィッリ」
ボロレに別れを告げ、我々は南下を続ける。そのまま国道131号線を行けば、まっすぐオリスターノに到着するが、右へ、つまり西へそれて一般道に入り、サントゥ・ルッスルジウを目指す。サントゥ・ルッスルジウ、イタリア語ではサン・ルッソーリオ(昇る光)と呼ばれる聖人は、伝説によれば、10世紀に異教徒を改宗すべくサルデーニャにやってきたが、キリスト教を弾圧したトライアヌス皇帝によってカリアリで命を断たれた。1000年を迎える頃にはサン・ルッソリオの篤い信仰心は特にサルデーニャ中央部で語り継がれ、その名を冠した村が各地に誕生した。そして、フェルー山の裾野の豊かな湧き水に恵まれたこの地に、サン・ルッソリオ、今日ではサンタ・クローチェと呼ばれる教会が建立され、やがてその周りに村ができ、サントゥ・ルッスルジウと名乗るに至ったのである。 かくもキリスト教的に重要な場所であるが、我々の関心は教会にではなく、19世紀初めから5世代続くナイフの工房にあった。ナイフは羊飼いをなりわいとするサルデーニャの重要なイコン。特に、ヌオロの北のパッターダという町はナイフ製造で有名で、イタリアではジャックナイフのことを別名パッターダというくらいである。しかし、サルデーニャにはパッターダ以外にもナイフ工房は各地にある。羊飼いあるところナイフあり、だ。街はずれの比較的新しい住宅街に、「ヴィットリオ・ムーラ&フィッリ」工房はあった。コンクリート造りの、一見すると自動車整備工場のような建物。中に入るとがらんと大きな空間で、機械や作業台などが整然と設置されている。手前に接客のカウンター、そこで職人らしきおじさんがお客の相手をしている。ほかには誰もいない。 おじさんの手が空くのを待つ間、我々はカウンターのガラス張りのショウケースの中に並ぶナイフを眺めていた。ナイフに関してまったくの素人だが、その素人の目を引きつけて離さない怪しい美しさを漂わせている。羊飼いにとってなくてはならない道具。使い続けられたからこそ研ぎすまされた、用の美を感じる。 客が去り、我々に向き直ったおじさんは、しかしじっと黙っている。このナイフを見せてもらえますか?と頼むと、うなづいて出してくれる。こちらも手に取って黙って眺めていると、「刃を出して背側を見てごらん。刃から柄に至る線はまっすぐだろう。ゆがんでいないかどうかをまずは確認して、それから手になじむかどうかで選ぶといいよ」。ビギナーへのピンポイントアドバイスである。大きさや柄の色や模様を吟味して一つ購入することにする。刃を出すとちょうどデザートナイフくらいの長さになるもので100ユーロ。刃に波模様が浮かび上がるダマスコナイフだと千ユーロを越える。本当はそちらも欲しかったけれど、コレクターズワールドに足を踏み入れる覚悟はできていないので、じっと我慢。 ふと後ろを振り返ると、大きな鋼鉄の機械が据え付けられている。かなり古そうだ。今も使えるんですか?と尋ねると、当然、という顔でおじさんはカウンターから出て、電源を入れた。ものすごい勢いでハンマーが上下する。作りかけの刃を使って実演までしてくれた。寡黙だけれど、実は親切でサービス精神もある職人。実は、別のナイフ工房でも同じような職人と出会うのだが、それはまた追っての話だ。SAPORITAをもっと見る
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