サルデーニャ!15カブラスのカラスミとイル・マーレ・ディンヴェルノ
オリスターノから7キロ西に湖沼の町カブラスがある。2200ヘクタールというカブラスの土地全体の20%にあたる広大な気水湖を擁した古い町だ。オリスターノから来て、このカブラス湖の南側から西側へと回って行くと、湖越しにカブラスの町を眺めることができる。ほぼ真ん中あたりに鐘楼を従えた教会が飛び抜けて高く大きく見えるほかは目立った建物は見当たらない。主たる産業は漁業で、汽水湖ではウナギとボラが豊富に穫れる。特にボラの卵のカラスミはサルデーニャを代表する産物だ。そのカラスミ作りをサルデーニャに持ち込んだフェニキア人は湖に生える植物を編んだファッソニスと呼ばれる小舟で漁をしたという。湖の周囲の湿原は鳥の楽園で、湿原にしか棲まないタカなど珍しい種も多い。 サルデーニャを初めて旅した2000年の夏、我々はカブラスで友人家族の知り合いのそのまた知り合いの家に滞在したことがある。その家の主人アントニオはカブラスの漁協の関係者で、ちょうどその時、テレビ取材のために今は廃れた漁師料理を再現するので見においで、と誘われた。湖畔に佇む古くて質素な平屋では、漁師が並んでテーブルについている。テーブルといってもベンチのような祖末な台で、そこになにやら葉っぱのようなものが敷き詰められ、その上に魚の白身がごろごろと転がっている。漁師はそれを手づかみで食べている。ナイフもフォークも皿もない。なんだかとてもシュールというか、百年くらい前にタイムスリップしたような光景である。アントニオが説明してくれた。「ボラは丸のままたっぷりの塩と一緒にゆでるんだ。焼いてもいいけど時間がかかるからゆでたほうが早い。ゆであがったら、保存したい期間に従って、そのままゆで汁に浸けておく。翌日食べるなら20分くらい。それから、ズィーバという名前の、水辺に生えている草を広げた上にボラをのせて包むんだ。隙間なくうまく包めば、半月くらいもつんだよ」。 ゆでたボラは、本来なら一日二日置いてから食べるところを、撮影するからということでゆであがったその場で食べていた。我々もお相伴に与る。すごく美味しい、というものではなかったが、あっさりとした淡白な白身はオリーブオイルがあればもっと良かったんじゃないかな、と思う。あるいは醤油があれば...。この料理、メルカというが、作られなくなって40〜50年経っているという。同様にボラの薫製も今はほとんど絶えている。撮影用にと再現されたそれは、見た目はまるで魚のミイラ、食べる時に焙って割いてオリーブオイルをかける。これもまた、美味しいかと言われるとう〜んと唸ってしまうような味。これじゃぁ廃れても致し方ない。この思い出の漁協、どこにあるのだったか記憶が定かでない。あの当時、結構ぼろぼろだったからもうないかもしれないなぁとも思う。とりあえず、カブラスで誰かに聞いてみようと町に向った。 通りの角々に「カラスミ製造」の案内標識が立っている。まさにカラスミの町だ。とりあえず目についたところに入ってみる。大通りに面したちょっと小綺麗なカラスミ屋である。ガラスケースのなかの真空パックになったカラスミを眺めていると、店のお姉さんがにこにこしながら、「味見してみますか?」とまな板の上に切ったカラスミを載せて出してくれた。少し熟成が進み、色が褐色から暗褐色に変わり始め身が締まっている。塩気は辛すぎず甘すぎず、ほどよい感じ。どうやって作るんですか?と聞いてみたら、「見てみる?」と作業場へ連れて行ってくれた。店の裏のさほど広くはない部屋で、おじさんが一人、何やら作業をしている。先ほどのお姉さん、−−−名前はモニカ−−−が作業に加わりながら、説明してくれた。 「まず、生の状態のボラの卵巣をたっぷりの塩にまぶしてしばらく置いておくの。大きさや状態、生か冷凍を戻したものかによって微妙に変わるけれど、大体1〜1時間半くらい。塩漬け時間が短すぎると腐るし、長すぎると塩っぱくなるから、この時間の加減はとても大切。経験がものをいう世界ね。塩漬けがすんだら今度は塩を洗い流す。洗い終わった卵巣はひとつひとつ間隔を適度に空けて木の板の上に並べ、乾燥機で乾かす。この乾燥機内にはいつも風が吹いているの。大体、八〜十日くらいでカラスミが出来上がるわ」。このようにすべて手作業で作っているカラスミ屋はカブラスでも4〜5軒しかなく、後はみな工場で大量生産なのだという。店に戻ると、カラスミ以外の商品についても説明してくれた。カラスミとアーティチョークのパテ、ツナとカラスミのクリーム、ゆでたボラの卵のパテ...。どれも、パンに塗ってそのままクロスティーニとしたり、ゆでたパスタに和えるなどして食べる。瓶詰めで常温保存できるからおみやげにもちょうどいい。サルデーニャでも、ここカブラスでしかお目にかかれない珍味、ドライな白ワインとよく合いそうだ。そうこうしているうちにお腹が空いてきたので、親切なモニカに、この辺りで美味しい食堂はないかと聞いてみた。すぐそこに面白い店があるというので、早速そちらに赴くことにした。「看板はなくて、会員制サークルとだけ書いてあるバールのようなところなのよ」とモニカは言う。「カラスミ屋のモニカに聞いたと言えば大丈夫よ」。 果たして看板も何もなく、扉を開けてみても誰もおらず、がらんとしたバールにテーブルが数卓と、部屋の隅にゲーム機。でも、こういう田舎にありがちな、取り残されたような雰囲気の店は嫌いじゃない。「こんにちは」と声をあげてみると、奥から女性が現れた。モニカに聞いたんですけれど食事できますか?と聞くと、いいですよ、と隣の部屋に案内された。そちらは一応、食事ができるスペースのようで、テーブルにカラフルな格子模様の紙のテーブルクロスがかかっている。「さて、前菜食べる? それから白ワインでいい?」。うなづくと、ほどなくして小皿に入った料理がテーブルに並んだ。シチリアのカターニアの魚市場にある我々の大好きな食堂「アンティカ・マリーナ」がちょうどこんな感じに小皿前菜を何種類も出してくれる。いろんなものをちょっとずつつまみながら酒を飲むのが好きな人間にはとても嬉しいサービスである。生のムール貝、ゆでダコ、ボラとトマトとたまねぎのマリネ、ナスとセロリ、オリーブ、ケイパーをトマトで煮込んだカポナータ風、白い大粒のいんげん豆とツナとたまねぎのマリネ、白たまねぎとオリーブの甘酢漬け、ピーマンとズッキーニのマリネ。作り置きの酒の肴は、どれも味がしっかりしみ込んでいて凄く美味しい。今思うだけで、喉が鳴る。 「パスタはセッピエ(イカ)か、ムール貝。どちらがいい?」。どちらも食べたいので両方頼む。麺はスパゲッティよりも細いスパゲッティーニ。イカは比較的あっさり、ムール貝のほうは貝の旨味がしっかり出ていて濃密、申し分のない出来映えだ。しかし、ここで相方はカラスミを所望した。パスタにふりかけたいので少し持ってきてもらえないかと。「いいけど、でも、トロッポ(やりすぎ)だと思うわよ」。そういう彼女の忠告を無視して、トライ。結果は、確かにそのとおりだった。ちょっと味が濃くなりすぎたのだ。その後、喉が乾いてどうしようもなかった。 カラスミ失敗は抜きにして、ここは本当に美味しい店であった。たっぷり食べて1人15ユーロ程度と値段もいい。また来る日のためにお店のカードをもらおうとしたら、ないんだよね、とレジにいた男性が言う。手書きでいいかな、とメモ用紙にさらさらと書いて渡してくれたのには、イル・マーレ・ディンヴェルノ、とある。冬の海、なんてちょっとこじゃれているじゃないですか。そして、マルコ、と自分の名前とその脇に携帯電話の番号。固定電話がないらしい。マルコに、カブラス湖畔のボラ漁協はまだあるかと尋ねてみた。「あぁ、ポンティスだね。うん、まだあるよ。それどころか改築してとても立派になったよ」。カラスミで儲かったのだろうか。マルコに場所を教えてもらって行ってみることにした。 町を出て、湖の南岸をサン・ジョヴァンニ・ディ・シニス方面に向かい、小さな橋を二つか三つ超えると左手に石碑がある。これが、目指すポンティス漁協の看板代わりだ。背の高い葦のような植物の間を進んでいくと、やがて開けた場所に出る。左手前には真新しい建物がある。どうやらレストランらしい。周りには車がたくさん停まっているので、中を覗いてみると、結婚パーティの真っ最中だった。レストランのさらに先に、いくつかの建物が寄り集まっているのが見える。加工場のようなものがあるのかもしれない。近づいてみると、2000年に訪れた質素な小屋の面影を微かに感じる。そうそう、こういう雰囲気だった。今はだいぶ綺麗に塗り直してあるけれど、素朴でなんの装飾もない四角い建物は当時のイメージのままだ。建物の周りには幅広い水路が巡らされ、いくつかに区切られている。以前、漁協のアントニオが、ボラは梁で獲ると言っていたのを思い出す。魚を追い込んだ先は袋小路で、入ったら最後出ることはできないようになっているのだ。柵はそこら中に生えている葦を組んだものらしい。 懐かしさに浸っていると、屈強な男性がどこからともなく現れた。頭はつるりと剃り上げ、赤黒く日焼けしている。「建物の屋上からこの漁場の全容が見えるよ」と教えてくれた。早速、建物脇の外階段を昇ってみる。確かにいい眺めだ。あちらこちらに仕掛けが施されていて、かなり手広くやっていることがわかる。 「2000年に改装工事が始まって、2007年に完成、再開したんだ。あそこに見えるレストランもうちの経営なんだよ」。屋上から降りてきた我々におじさんが説明してくれる。「ボラ漁は5月頃から9月頃まで。8月が最盛期ででっかいボラが穫れるんだ」。地面には葦を組んだ柵がいくつか重ねられていた。「持ってみてごらんよ」と言うので試しにちょっと持ち上げようとしたが、全然びくともしない。高さ3mくらい幅3mくらいの柵は結構重く、これを水中に打ち立てるのは相当な労力を必要とするだろう。以前にも思ったけれど、この漁協の人たちといい、カブラスの町の人といい、皆、とても親切だ。しかも、押し付けがましくなく、どこか控えめですらある。本土のイタリア人ともシチリアの人々とも違う、一種独特の穏やかさみたいなものを持っているように思う。それが心地よくて、ついまた訪ねてきたくなる。 夏にカブラス方面に来るのであれば、もう一つ、訪れたい場所がある。シニス半島の海岸だ。タロスに向かう途中、サン・サルヴァトーレを過ぎて2キロほどあたりに西へと折れる道があり、たどって行くと海岸線に出る。そこからずっと北に向かって白いビーチが続く。しかしそれは砂浜ではなく、白い半透明の米粒くらいの小石の浜なのだ。空の色を写し込んだ真っ青な海と、陽光をあびてまばゆい光を放つ白い浜はほんとうに美しい。パニーノでも持って一日中遊んでいたいビーチだ。ただし、駐車違反には要注意である。我々はどこでもいいのかと適当に停めたら、しっかり違反切符を切られ、罰金を払わされた。周囲の人にどこに停めたらいいのかを確認することをお勧めする。 さらにもう一つ、豆知識として付け加えるならば、9月の最初の週末はサン・サルヴァトーレのお祭りがある。サルデーニャには町から離れたところにぽつんと建てられた教会が少なくない。その幾つかはキリスト教以前のヌラーゲ文化における宗教的に重要な場所だったとされ、サン・サルヴァトーレ教会も、ヌラーゲ文化の「聖なる井戸」の上に18世紀末に建てられたという。こうした孤独な教会はしかし打ち捨てられているわけではなく、地元の人々は年に一度九日間この教会周辺に滞在して、祈りを捧げる祭り「ノヴェーナ」を行う。サン・サルヴァトーレの祭りも「ノヴェーナ」であり、そのハイライトが「コルサ・デッリ・スカルツィ」だ。9月の第一土曜日の早朝、白いシャツと白い短パンツ姿の大勢の男達がカブラスの町のサンタ・マリア・アッスンタ教会から聖サルヴァトーレの像を担いで、7キロ離れたサン・サルヴァトーレ教会に向かって走り出す。彼らは全員裸足だ。そもそもこの祭りは、サラセン人たちに追われてサン・サルヴァトーレから逃げ出したときに、若者が引き返してこの聖人像を取り戻しに走って行ったことに由来するという。無事、聖人が教会に到着すると、その後は飲めや歌えやのまさにお祭り騒ぎ。翌日の日曜日にミサを終えると像は再び白衣の男達に担がれて、走ってカブラスの町へ帰るのである。夏の終わりの激しい祭りには、密やかに熱いサルデーニャの人々の思いが込められている。

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