サルデーニャ!16アルブス、ナイフ工房 アルブレーザ
オリスターノに別れを告げ、南下を再開した。国道131号線ではなく、126号線でオリスターノ湾を右手に見ながら行く。湿原には野鳥がたくさんいる。ピンク色のフラミンゴが目に鮮やかだ。が、フラミンゴというのは、道端には近寄らず、手の届かない遠くの潟にいることが多い。写真に撮るにはかなりの望遠レンズが必要となる。フラミンゴはそういうこともちゃんとわかっていて遠くにいるんじゃないだろうか。道はやがて内陸寄りに少し曲がった後、南下を続ける。ごく平坦な真っ直ぐな道だ。右手に山が見えてくると、少しずつ上りになっていく。周囲には何を作っているのかはわからないが、工場が多い。グスピニという町を抜け、さらに上る。目指すはアルブス。その町にはナイフの博物館を併設するナイフ工房があるのだ。 アルブスの旧市街は坂の多い細道が張り巡らされている。やっとの思いでたどり着いたナイフ工房「アルブレーザ」も急坂の途中にあり、車を停める場所を見つけるのも一苦労だ。しかし、そんな労力を払ってでも、この工房と博物館は見る価値がある。小さいけれど、サルデーニャのナイフと職人魂について、まこと簡潔に必要十分に知ることができるからだ。門扉を押し開くと、そこはちょっとした広さの庭で、すぐ右手には巨大なナイフの形をした彫刻のようなものがどんと据えられている。メガネをかけた気難しそうな顔をしたおじさんがこっちを見ている。あの、これは...とその彫刻を指差すと、「ナイフだよ」とぶっきらぼうな答え。それは見ればわかるんだけれど。「世界で一番大きなナイフだ。重さ295キロ、長さ4.85m、ギネスブックにも載ってる。私が作ったんだ」。そんなことも知らないのか、と言わんばかりの口調だ。申し訳ない、知らなくて。 こっちへ来いと、そのおじさん、パオロに建物の中へ誘われた。石造りの二階建てで、一部が吹き抜けになっている。一階の左半分が古いナイフ、右半分におじさんが作ったナイフ、その奥に昔のナイフ工房が再現され、古い道具類が展示されている。たったこれだけのスペースだが、一つ一つ見ていくとサルデーニャのナイフの歴史や技術がよくわかるようになっている。5千年前の黒曜石の刃や矢じり、中世の鉄製のナイフ、17〜18世紀の合金のナイフ。そして、コルテッロ・サルド、いわゆる折りたたみ式の羊飼いのナイフ。鋭い刃先は一発で羊の頸動脈を断ち切り、研ぎすまされた刃が皮を剥ぐ。さらに、コルク仕事のためのナイフ、猟師のナイフ、鉱山仕事用のナイフと用途別にさまざまなナイフが並んでいる。なかでも、鉱山仕事用ナイフが目を引いた。暗い坑道内での作業につき、危険を減らすべく先端が尖っていない。刃の背側にあるくぼみは銅線を覆うビニールをはぐためのもの。坑夫たちはこのナイフで食事もするのだという。 「サルデーニャ人の暮らしとナイフは切っても切れない縁にある。誰もが自分の愛用のナイフを肌身離さず持っているんだ。レストランで出されたナイフが切れないからとマイナイフを使っても別に怒られはしない。それくらい、ナイフの存在は身近なんだよ」。 サルデーニャでナイフ作りが発達したのは、豊富な鉱山資源に恵まれていた事にも起因する。島の各所に鉱山があり、その近隣の町にはナイフ工房が必ずあった。現在ではそのほとんどは廃鉱で、アルブスの近郊のイングルトス鉱山も今は閉鎖されている。だが、製錬所跡地は観光地として公開されているところもあり、アルブスから5キロほどの山間のモンテヴェッキオ鉱山も古の繁栄を偲ばせる遺物として公開されている。我々が博物館を見学している間、地元のおじさん二人連れがナイフを買いにやってきた。先だってのサントゥ・ルッスルジウ同様、ナイフを求めるお客はコンスタントにいるようだ。接客を終えたパオロが、ナイフ作りを見てみたいかという。もちろん、見たい。博物館を一旦出て、隣の扉を開ける。するとそこは材料だの道具だのがところ狭しと置かれ、しかし、不思議な統一感をも醸し出す部屋だった。 ナイフ作りはまず、柄から始まる。材料である牡羊もしくは牛の角を選び、適度な大きさに切り出し、縦半分に割り、おおよその形にフライス盤で削り出す。鋼鉄をハンマーで成形し、焼き入れし、研ぎ、磨いて刃を作る。柄にやすりをかけ、磨いて、刃を挟んで2本のピンで上下固定し、ファイナルの研磨をかけて完成だ。構造はシンプルだし、作業はいかにも簡単そうに見える。しかし、単純なものほど奥が深く、微妙な差異が出来を左右する。パオロのナイフはサントゥ・ルッスルジウの「ヴィットリオ・ムーラ&フィッリ」のものに比べるとわずかに仕上げが荒い。しかし、それがまた手作りの味となっている。ナイフなのに温かみがあるというのも可笑しいかもしれないが、手にすっと馴染むような人懐っこい感じがある。全長20cmのナイフを1本購入した。折り畳むと手のひらにすっぽりと収まるサイズだ。値段はちょっと負けてもらって40ユーロ。「ヴィットリオ・ムーラ&フィッリ」の半額以下である。安ければいいというわけではないが、このナイフにより親近感を覚えたのは嘘ではない。 パオロに礼を言い、工房を後にしようとすると、「そうだ、DVDがあるんだ。ナイフ作りのことがよくわかるよ」とセットし始めた。しかし、そのDVDはなかなか再生できない。15分くらいあれこれ格闘していたけれどどうにも無理だということになって、「親戚のところから新品のDVDをとってくるよ」と、我々が止める間もなく飛び出して行った。最初の仏頂面とはもう全然違うサービスぶりである。ちょっと気難しいけれど、実はとても人がいいのだ。まもなく帰ってきたパオロは2種類のDVDを差し出し、「もう一つは映画風に撮ってある。どちらもよく出来ているから、家で見てごらん」と渡してくれた。ありがたく頂戴して工房を出た。小雨が降っているけれど、鉱山跡地を見に行ってみようかと出発した。 イングルトス、そして、モンテヴェッキオへの行き方はパオロがノートに描いてくれた。考えながら一文字一文字しっかりと地名を書いている姿に、久しぶりに文字を書いているみたいだなぁと失礼にも心の中で思ったりしたけれど、その地図がなければ、到底行くことはできなかったかもしれない。なにしろ、道は未舗装だし、標識もほとんどない山道で、おまけに雨も降っている。人はおろか、すれ違う車もまったくなく、かなり不安に思いながらも地図を信じて車を進めた。やがて、これがイングルトスらしいという場所にたどり着いた。工場らしい建物やちょっとした村があるけれど、人の気配がない。山賊がいてもおかしくない雰囲気である。雨が激しくなってきたので写真を少しだけ撮って、先に行くことにした。村を出る直前、ふと視線を感じて振り向くと、塀の上にネコが一匹座っていた。眼光鋭く、耳の先の毛がぴんと立った、ほとんどヤマネコのような風貌である。闖入者に「早く立ち去れ」と無言の威嚇をしているのだろうか。失礼しますよ、と言いつつ、写真を撮る。イングルトスで唯一出会えた生命体の記録として。 モンテヴェッキオへの道はさらに厳しさを増した。道幅は広いけれどあちらこちらが凹んだ悪路である。ダンプか四輪駆動車でないとかなり危険だ。ゆっくりと進み、やがて尾根筋に出た。眼下には閉鎖された鉱山とおぼしき物が見える。その先にはコンクリートの集合住宅のような建物もある。鉱山夫の宿泊施設だろうか。しかし、これもどうやら廃墟らしい。こんな山のなかに、集合住宅の廃墟。異様としか言いようのない光景である。山道を下り、平坦な舗装道路に出た時は、正直ほっとした。パオロの地図ではなくミシュランの道路マップを見てみると、我々がたどった道は点線で描かれている。未舗装の印である。これを知っていたら行かなかったかもしれない。でも行かなければ、サルデーニャの近代史のひとかけらを目にすることなく、イングルトスのネコにも会えなかった。なんにしても得難い体験だったと思う。SAPORITAをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。