サルデーニャ!18ノーラの遺跡とリストランテ・ミラージュ
旅は終盤に近づいていた。サンタンティオコ島から195号線に乗り、サルデーニャの最南端をぐるりと回るようにカリアリ方面へ向かう。目指すはノーラ、サント・エフィジオの行進が行き着く聖地でもある。カリアリの東西の海岸沿いは海辺のリゾートとなっている。東はヴィッラシミウスを中心にビーチリゾートが続き、西側にあるカリアリからノーラまでの道沿いには、ゴルフ場やテニスコートを併設したバカンスタウン、つまり貸別荘村が多い。緑の木々が涼しげな木陰を作る道沿いを標識に従って海へと向かう。突然、目の前から緑が消え、陽光を跳ね返す海が現れる。ノーラだ。 ノーラは、紀元前9〜8世紀にフェニキア人によって建設された都市である。その後、カルタゴ、そして古代ローマ時代に至るまで、サルデーニャ随一の貿易港として栄えた。3世紀前半にはローマ帝国におけるサルデーニャの首都にまでなっている。しかしやがて海賊の脅威にさらされるようになり、さらに地盤沈下も進んだため、中世に街は滅びてしまった。今、ノーラで見ることができるのは、古代ローマの遺跡である。フェニキアやカルタゴの足跡はほとんど残っていない。しかし、テルメ(浴場)や住宅、下水道完備の道路など、古代ローマ人の優れた都市計画を伺うに充分な遺跡を堪能できる。サルデーニャでは唯一現存するというアンフィテアトロ(古代劇場)もほぼ完全な形で残っている。そして何よりも感動するのが、床面に施された濃やかなモザイクだ。花なのかはたまた太陽なのか、幾何学的にデフォルメされたモチーフが螺旋模様と組み合わされた複雑精緻なモザイクは、現代の我々の目にも新鮮に映り、陽にさらされて退色した今でも、色彩がどれだけ豊かであったかが容易に想像できる。シチリアのアグリジェント、セジェスタ、セリヌンテに残る古代ギリシャ時代の神殿は極彩色に塗られていたというが、今はただ白っぽい石の色しかみることができない。古代の人たちのカラフルな世界をほんの少しでも伝えてくれるモザイクは、時を超えて我々に届いた古代からのメッセージだ、と思う。 ノーラからカターニアに向かい始めるが、その前にどこか近くでお昼を食べることにした。しかし、バカンスシーズン前につき、周囲には開いていそうな店はなく、これはノーラの先のプーラの町まで行かねばならないか、と思った時に一軒のバールが目に入った。近くにレストランがなければこのバールでパニーノでも、と思って聞いてみたところ、すぐ先に「ミラージュ」という名前の店があるという。幻想、妄想、蜃気楼。お腹が減っているときにあまりありがたくない言葉である。しかしとにかく、「ミラージュ」を探すことにする。といっても、195号線を走るだけである。この道沿いにあるはず、としばらく行くと、確かに看板があった。バール・リストランテ・ピッツェリア。田舎の法則どおりの多機能店である。くたびれた看板、砂利敷きのパーキング。ちょっと寂れた田舎レストランかと思いつつ中に入ってみると、なんと広い店内はお客でいっぱいだったのである。なんだか狐につままれたような、それこそ蜃気楼を見ているような気がした。 席に着き、少し心を落ち着けて、隣のテーブルを見てみる。湯気をあげる魚介のパスタがとても美味しそうだ。メニュを眺め、伊勢エビのスパゲッティとヴォンゴレ(アサリ)のフレグラ、サルシッチャ(生ソーセージ)のグリルをオーダーする。海の幸、山の幸の両方を攻めることができるのが嬉しい。フレグラは硬質小麦粉と水を練って胡椒粒ほどの大きさの粒状にし、焙って乾かしたパスタだ。作り方によっては、水のほかに卵やサフランを加えることもあるらしい。クスクスと同様にオリジンは北アフリカだが、クスクスは粉に水を少しずつ加えながらごく細かい粒状になるまで混ぜた後、蒸して、別に用意した肉か魚、あるいは野菜のスープをかけて食べる。フレグラは肉からとったスープ、あるいは魚介のスープに加えて汁を吸わせたところを食べる。汁気をすっかり吸っているので、見た目はちょっとリゾットのような感じだ。カリアリとその近郊ではフレグラはアサリのスープと合わせるのが伝統である。 「ミラージュ」のフレグラは、はずむような弾力のある粒の一つ一つがたっぷりとアサリの出汁を吸って、さらにトマトの旨味とサフランの香りが味に奥行きを与え、実に旨い。そして、伊勢エビのスパゲッティはエビの旨味が溶け込んだトマトソースが細めのパスタにたっぷりと絡み、一口食べれば脳内に味覚の桃源郷が広がる。恍惚に浸っているところへ、サルシッチャがさらに強烈な旨味の波動を送り込んでくる。豚肉と塩、スパイスが混ざり合っただけなのに、なぜこんなにも深みと広がりが備わるのか。サルシッチャを創り出した人間の叡智に改めて敬意を表したくなる。なにをオーバーな、と思われるかもしれない。が、「ミラージュ」の料理はそれほどインパクトが強かったのである。さらに付け加えて、厨房へと大きなマグロが運び込まれたのを目撃したからたまらない。すぐさまカメリエーレに、あのマグロを味見することはできないかと頼み込んだ。はたして供されたマグロのカルパッチョもまた、オリーブオイルとすりおろしたカラスミという強力な脇役に支えられた忘れ得ぬ美味として味覚の記録帳にしっかりと刻み込まれたのである。ちなみに、このマグロは実はミルトと一緒に茹でるのだと聞かされた。この店の名物料理なのだという。これはいつの日か舞い戻って必ずや食べなければと心中で誓ったのは言うまでもない。

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