サルデーニャ!7レストラン・チーカッパ@オリエーナ
薄暮の時はとうに過ぎ、夜の闇がしずしずと降り始めた頃、我々はその晩の宿と決めたB&Bに到着した。オリエーナという標高379m、人口7千800人ほどのちょっとした町である。より標高の高いヌオロから下りてくれば、町の灯りがとても綺麗に見えるというが、我々は別ルートだったため、その景色を拝むことはできなかった。風は相変わらず強い。車は結構行き交っているけれど、歩いている人は見かけない。暮れてから出歩くのはきっと真夏くらいなものだろう。なにしろここは端っことはいえバルバージア、夜間の外出は伝統的に危険な行為である。B&Bは旧市街の北側、サンタ・マリア教会近くでわりに新しく、簡素だけれど設備が整っている。屋上テラスがあり、季節のいい時はそこで夕涼みすれば最高だろう。が、冷たい風が吹く今日のような日は、さっさと夕食に出かけた方がいい。 目指すは、ホテル・リストランテ・バール・ピッツェリアと4つの機能を兼ね備えた「チーカッパ」という店。地元の料理が楽しめることでは知られた店らしいが、地元民が暇さえあれば立ち寄るバールであり、軽く食べられるピッツェリアであり、おまけに泊まり客も取り込んでしまう多機能ぶりは、やはり田舎ならではである。不思議な名前は、チェンチェッドゥさんとキッレッドゥさんの二人の経営者の頭文字、CとKを組み合わせただけの実はシンプルなネーミング。日本人の耳には、ちょっとふざけているように聞こえる。蛍光灯がちらちらする店内に、テレビのバラエティ番組の賑やかな音が響き渡っている。お客は例によって我々のみ。「やってますか?」と尋ねると、どうぞどうぞと若い男性カメリエーレが奥の席へと誘う。メニュを渡しながら、今日のおすすめ料理を説明してくれる。が、ふにゃふにゃとした発音でよく聞き取れない。サルデーニャでもカリアリではほとんど訛りというものを聞いたことがないが、ちょっと田舎へ行けば、彼ら同士で話していることはまるで宇宙語、皆目わからない。ところが、相手が地元民でないと見れば綺麗な標準語に切り替わる。旅しやすいのは有り難いが、異境に来たという気分は薄れる。旅人とはまこと勝手なものである。 ふにゃふにゃカメリエーレ君のアドバイスを参考にしつつオーダーしたのは、自家製の冷たい前菜と温かい前菜の盛り合わせ、ヴェリーナス・ア・サ・チーカッパというパスタ料理と、牛の横隔膜ときのこのシチュー。冷たい前菜はサラミ数種類の盛り合わせ、温かい前菜は、仔羊の腸と野生のアスパラの煮込み、ファヴァータと呼ばれるそら豆の煮込み、ハーブを練り込んだ小麦粉生地のフリット。どれも素朴な山の滋味である。たっぷり添えられたぱりっと芳ばしいパーネ・グッティアウでワインが進む。ハウスワインは“こし”がほとんど感じられない赤。昨今主流の優等生的ワインからはほど遠い主張の少なさがかえって好もしい。 ヴェリーナスとはフジッリ・パスタ、ア・サ・チーカッパとはアッラ・チーカッパ、つまりチーカッパ風フジッリは、生ハム、サルシッチャ(生ソーセージ)、トマト、生クリームという足し算主義のヘビーソース。70年代に一世を風靡した生クリームは、現代のヘルシー志向に相容れない素材としてすっかり肩身が狭くなってしまったが、肉体労働者が集う食堂などでは不滅の存在、農作業に勤しむ地域では主役を張れるのである。横隔膜ときのこのシチューは、まず、横隔膜が普通にメニュに載っていることが珍しい。フィレンツェの市場では、事前に予約しておかない限り手に入りにくい素材である。とろけるような柔らかさが特徴のこのモツ、きのこの旨味と相俟ってしみじみと美味しい。田舎の居酒屋にいるなぁ...といい気分になってきたところで、イタリア人の年配の夫婦3組がどやどやとやってきた。空いているテーブルはそれこそ山のようにあるのに、カメリエーレはなぜか我々の隣に案内する。彼らはこちらのテーブルの料理をちらちらと見ながら大声でメニュを決めていく。イタリア人の話し声は腹式呼吸のせいかよく響く。そのよく響く声で話す内容は周囲に丸聞こえである。個人情報が漏れることなど一向におかまいなし。まったくもって鷹揚というかなんというか。 自家製グラッパとにわとりを象ったごく甘いお菓子をつまんで店を出た。水を買おうと隣のバールを覗いたら、天井高くに設置されたテレビを十人ほどの地元民が見ていた。バラエティ番組だったか、サッカーだったかは忘れたけれど、とにかくしんと静まって見るような番組でなかったことだけは確か。しかし、彼らの1人として話しても笑ってもいなかった。つくづく寡黙な人々である。SAPORITAをもっと見る
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