サルデーニャ!8ス・ゴロゴーネとオルトベーネ、ヌオロの木工工房アルテレーニョ
翌朝、ヌオロに向う前に、ス・ゴロゴーネ湧水に立ち寄った。オリエーナから東へ6キロほど、平らな道を行くと右手に標識が現れる。しばらく進むとユーカリや白樺のような木立が見えてきた。広々とした駐車場に車を停め、誰もいない木立の中へと入っていくと、川が見える。そのほとりには木のテーブルやベンチがたくさん設置されている。真夏には格好のピクニック場所として大勢の人が集まるのだろう。さらに奥へ奥へと上っていくと、小さな教会のような建物があった。実はこれは管理事務所らしい。人気のない事務所前を通り過ぎて見晴し台のようなテラスに出た途端、岩の裂け目から勢い良くほとばしる水流が目に飛び込んできた。岩をおしのけるように噴き出す水の量は毎秒300リットル、サルデーニャでもっとも湧出量が多いという。 たっぷりとフィトンチッドとマイナスイオンを浴びて、もと来た道を戻ってヌオロ方面へと向う。ヌオロの町に入る前に、その東隣にそびえる高さ955mのオルトベーネ山に上ってみることにする。車では頂上までは行けなくても、地図によれば山をぐるりと一周できるらしい。 いい天気だ。葡萄畑や牧草地を眺めていると、羊の声がすぐ近くで聞こえてきた。臆病な彼らはそばに寄っていくとするするっと後退する。でも、これだけ近くにいるんだから、ちょっと写真でも撮ってみようと車を停めた。声のするほうへと近づくと、緑の牧草地に羊の群れ。背景には峻険な山、そして雲間から射す光。絵はがき的世界がそこにあった。近寄っても羊は逃げない。じっくりと観察させてもらう。毛足は長く、脂で固まった毛束が全身を覆っている。なんだかとってもワイルドである。野生だと言われても、そうかもしれないと思うくらいに。バルバージアの羊はまるで山賊のようだ。 オルトベーネ山は、ヌオロの人々にとっては特別な山である。この山の頂上には、レデントーレ(救う人、イエス・キリスト)の像がヌオロを見下ろすようにして立っている。毎年八月の最後の日曜日、レデントーレの祭りの日に、像の傍らにあるノストラ・シニョーラ・ディ・モンテネーロ教会を目指して、島中の人々がそれぞれの土地の民族衣装をまとってお詣りにやってくる。5月のサント・エフィジオの祭り、カーニバルの最後の日曜日とマルテディ・グラッソ(5旬節の火曜日)にオリスターノで行われるサルティリアと並ぶ、サルデーニャの三大祭りである。 崖の上に築き上げられた天空都市のようなヌオロが左手に見える。左へ行けば町、右へ行けば山に向う分かれ道を我々は右に進む。舗装はしてあるけれどところどころ穴が空いている。前日から続く強風で折れたと思しき枝があちらこちらに転がっている。結構太いものもあって踏みしだくわけにはいかず、穴と枝を避けながらよろよろと車を進める。途中、見晴らしの良いところで車を停め、ヌオロの町を見下ろす。建物は比較的新しく、機能的かもしれないが素っ気ない。崖の上に中世の街並だったら、フォトジェニックなのに。さらに上る。道はますます悪くなる。山道とはだいたいそういうものだけれど、地図通り一周できるのかどうかだんだん心配になってきた。突然寸断、などということがないわけではない。いずれにせよ、道がなくなったら引き返せばいいのだが、この引き返すというのがあまり好きではないものだから、道よ続いていてくれ、と密かに願う。 すると天の配剤か、犬を連れて散歩している人がいるではないか。散歩? こんな山の上で?と一瞬いぶかしんだけれど、散歩するくらいなら地元の人であろうと検討をつけて声をかけてみる。道はこのまま続いていますか?と。「あぁ大丈夫。このまま行けば町に向う分岐点に出るよ」。安心して前進する。そろそろ山の南側に出たなというところで、目の前がぱっと開けた。正面に山、その麓に町。オリエーナだろう。すると山はソープラモンテか。全体に靄がかかり、それが雲間から斜めに射し込む日の光によって金色を帯びている。素晴らしい眺めだ。ぼうっと見とれていると、先ほどの犬連れの散歩人が追いついてきた。「いい眺めでしょう。正面の山並の一番高いのがプンタ・コラースィ。サルデーニャのドロミテだよ、ソープラモンテは」。このおじさんは手にトランシーバーのようなものを持っている。それは何ですか?と聞くと、GPSだよ、という。「最近手に入れたので、持ち歩いて機能をチェックしてるんだ、これがあれば山で遭難しかけたときに便利だよ」。田舎と侮るなかれ、ハイテクはバルバージアにも及んでいるのだ。GPSを携帯する山賊。アニメでもゲームでもなく、現実のサルデーニャでありうる話である。 ヌオロ。古代ローマ時代はヌゴロと呼ばれ、今なお地元民は自らをヌゴレーゼ(ヌゴロの人)と称する。14世紀に始まるスペイン・アラゴン家の統治下、バルバージアの商業の中心として発展を続けてきたが、その実情は、ごく少数の富裕な領主と大部分の貧しい小作農および羊飼いからなる完全な封建社会だった。18世紀にスペイン・ハプスブルグ家から、ピエモンテのサヴォイ家へと支配者が移り変わるという政治的に不安定な時期にさしかかると治安が悪化。山賊が跋扈し、ヌオロは「山賊と殺し屋の巣窟」と言われるほどに荒廃する。しかし、そこには新たな時代の萌芽もあった。権力に屈することなく、自らの努力で社会を築き上げようとする機運が民衆の間に広まる。学校や教会を建て、後進を教育し、未来へつなげようとする努力。独立独歩の精神は20世紀初頭に優れた文学者を何人も生み出した。その筆頭が1926年ノーベル文学賞を受賞した女性作家グラツィア・デレッダだ。作品「コジマ」においてデレッダはバルバージアの厳しく辛い暮らしを描き、サルデーニャといういわば最果ての島の動かしがたい現実を世界に垣間見せたのである。 『グイダ・インソーリタ・サルデーニャ』(尋常ならざるサルデーニャ・ガイド)によれば、ヌオロとは、「古の血の力をもってして自らを新しくする町」だという。古代サルデーニャの羊飼いの血が、この町を生き長らえさせている。ス・ゴロゴーネ湧水やオルトベーネ山に時間をかけてしまったばかりに、ヌオロには長く滞在できなくなってしまった。その日の昼は、ヌオロの北のアグリトゥリズモで食事を予約していたからだ。とりあえず、町の中心にある、もう一人の文豪セバスティアーノ・サッタに献じた広場へ向おうとする。すると、ふと目の端をよぎったのが、コルク樫の皮。もしや、木工の工房?と引き返す。 誰もいないのかと声をかけてみると、奥からおじさんが来い来いと手招きする。「旅の人かい?サルデーニャの伝統家具、見たことあるか?」。ない、と答えると、じゃぁ見せてやろうと言って、彫刻刀を手に取り、そこに横たえられていた作業中の板を彫り始めた。丸い花のような模様だ。彫りながらおじさんが説明してくれる。「これはな、カッサパンカというんだ。服や布なんかをしまっておく箱だ。今、私が彫っているのはバラ、愛のシンボル。これとセットでハトも彫る。平和のシンボルだな」。デザインは個人の自由裁量なのかと思うと、周囲の彫りかけのもの、彫り終わったもの、ほとんどすべて同じ柄だ。バラとハト。クラシックなモチーフをしっかりと踏襲しているらしい。おじさんの話は続く。「カッサパンカは、羊飼いの暮らしの基本の基本なんだよ。本来家具なんて羊飼いの暮らしにはなかったんだ。でも、物入れは必要だろう? それでカッサパンカが生まれた。これは椅子にもなるし、テーブルにもなる。これさえあれば暮らせるんだよ、羊飼いは」。 模様はごくプリミティブなデザインだ。そしてどことなくユーモラスである。サルデーニャの陶器にも同じような鳥のデザインがあるが、それもかなり滑稽な表情をしている。ヨーロッパというよりは、南米あたりにありそうな、あるいは、太古が中世を経ずに一気に現代にタイムスリップしたような、素朴で軽妙なモチーフなのである。ひとしきり彫刻作業を見学した後、最初に我々の目を引いたコルク樫の皮について聞いてみた。「食器として使うんだよ。コルクは知ってるだろう?ワインの栓だからな。コルクは弾力性があって水をはじく。それだけじゃない、油も吸わないんだ。だから、焼いた肉でも、シチューのような汁気のあるものでも大丈夫。使った後は普通に水洗いすればいつまでも使えるよ。第一、とても軽いから持ち帰るのも楽だよ」。 最後のセールストークが決めてとなって、購入することにした。形も大きさもさまざま。もちろん二つと同じものはないから、よく吟味して選び出す。長さ40cm弱のものが20ユーロくらい。「ここにローズマリーを敷きつめ、焼きたてのローストチキンをのせてアルミホイルで覆ってしばらく置いておくんだ。するとすごくいい香りがして、もうたまらないんだよ」。ありがとう、ぜひ試してみますと言って、工房を後にした。先を急がないと、ランチタイムが終わってしまう。結局ヌオロの町は通過して、アグリトゥリズモに向った。

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