アランチーノかアランチーナか? 呼び名における考察
過日ディープ・パレルモの最奥部、カルサ地区を歩いていた時のことである。確かこのあたりにパネッレやアランチーノを食べさせる屋台があったな、と探していたら15年以上前と変わらずカルサ広場に「パニネリア・キルッツォ Panineria Chiluzzo」はあった。スローフード協会が発行する「オステリエ・ディタリア Osterie d’Italia」にも掲載されているのでいまや観光客が訪れることもあるが、1943年から続く老舗にはまだ朝10時だというのに近隣の男衆たちがアランチーノやパネッレ、クロッケなどを求めに集まっていた。いま仕込みが終わったばかりだというアランチーノをひとつ注文すると、熱したラードの中で揚げてその場で熱々を食べさせてくれる。これでひとつ1ユーロ。中にはグリーンピース入りのラグーがたっぷりと詰まっていて安くて美味しいのはもちろんなのだが、ここで看板を見てあることを思い出した。看板にはアランチーネ Arancineつまり女性形アランチーナArancinaの複数形で書かれており、アランチーノArancinoではないのだ。アランチーノとアランチーナ、果たしてどちらが正しい呼び方なのか?実は一般的にパレルモを含むシチリア西部では女性形のアランチーナ Arancinaと呼ばれ球形。一方シラクーサ、ラグーサなどシチリア東部ではアランチーノ Arancinoと男性形で呼ばれ円錐形なのだ。 アランチーノ(ナ)の期限は9世紀から11世紀にかけてアラブ人がシチリアを統治していた時代に遡るが、それはアラブ人がサフランで炊いた米を手の上で球状にまとめ、羊の煮込みなどと一緒に食べていた食習慣が起源になったからだといわれている。ゆえに小さなオレンジ型を連想させたのでアランチーナと呼ばれるようになったという説が一般的だ。アラブ世界ではアランチーナの語源となったオレンジの他にも、球形の食べ物はびわ、なつめやし、ヘーゼルナッツなど果物の名前で呼ばれていたことがあったそうだ。しかしアランチーナに関する文献は近年まで存在せず、その名前が初めて文献に現れたのは1857年Giuseppe Biundiによるシチリア語 ・イタリア標準語辞書「Dizionario Siciliano – Italiano」が史上初めてだった。しかしそこには”una vivanda dolce di riso fatta alla forma della melarancia”(オレンジの形をした甘い米料理)と書かれていたのだ。 昔のアランチーナは甘かったのか?また1868年に発売された別のシチリア語 ・イタリア標準語辞書によればアランチーナは「米やジャガイモなどで作られたクロッケ」と書かれていた。同様の表現は1911年発売のペッレグリーノ・アルトゥージの大著「厨房の科学と美食法」にも存在し、第609のレシピに「米などから作るクロッケッテ」という料理がある。つまり19世紀末のアランチーナは甘くてトマトも肉も入っていなかったことになる。 南米原産のトマトがスペイン経由でイタリアに伝わり、南イタリアで食用として栽培されるようになったのは1800年代初頭のことなので、当然のことながらアラブ人が食べていた「アランチーナ」にはトマトは使われていない。研究者によればおそらく1800年代半ばごろまでのアランチーナは甘く、のちにトマトが普及するとともに塩味に変化したのではないかということだ。またアランチーナと呼ばれるのは形状だけでなく、揚げた色がオレンジを思わせるからだともいわれている。 一方なぜアランチーノという呼び方もあるのか?本来イタリア語のアランチャ Aranciaはシチリア語ではアランチゥ Aranciuと呼ばれる男性形名詞である。イタリア語では一般的に果物を女性形、その木を男性形で呼ぶ習慣があり、果物はアランチャAranciaだがオレンジの木はArancioアランチョ、オリーヴの実はオリーヴァOlivaだがオリーヴの木はOlivo(Ulivo)と呼ばれている。ゆえにアランチゥAranciuがアランチーノという男性形になったという説が有力だが、シチリアの東西を区別することなくイタリア料理としてのカテゴリーではアランチーノ、という男性形で呼ばれるのが一般的だ。 ところでシチリア東部のアランチーノがなぜ円錐形なのか?というと、これだ!という有力な説はないのだが、エトナ山をイメージしたからだともいわれている。また、シチリア東部では円錐形のアランチーノはさかさまにして底の部分から食べるもので、頭から食べるものではない。確かに屋台で揚げ立てを紙に包んで受けとってみればわかるのだが、円錐形のアランチーノは逆さまにしたほうが持ちやすい。ちなみに最後の写真は東シチリア、ノートとラグーサ・イブラで食べた時のアランチー「ノ」だが、食べる時には逆さまに持ち替えて底の部分から食べた。形状をよく考えてみればわかるがそのほうが持ちやすいし、最後まで手も口も汚さず綺麗に食べられるからだ。つまりナポリにおける立ち食い4つ折りピッツァ「ポルタフォッリオ」と同じこと。アランチーノが円錐形なのは単に審美眼的に美しいからだけでなく、じつは非常に合理的なストリートフードとして進化したゆえの形状、なのかもしれない。SAPORITAをもっと見る
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