マッシモ・ボットゥーラが語る「アンティスプレーコ」と「レフェットリオ」

ローマ法王からの電話が「レフェットリオ」のはじまりだった

2019年3月10日、フィレンツェで行われたフードイベント「テイスト」会場は立ち見も出るほどの超満員。この日はミシュラン3つ星、世界ベストレストラン50第1位など、いまや押しも押されもせぬイタリア一のシェフ「オステリア・フランチェスカーナ」シェフ、マッシモ・ボットゥーラと、同じくミシュラン3つ星「レ・カランドレ」シェフ、マッシミリアーノ・アライモとの対談が行われたのだから。この日の対談のテーマは「シェフと料理と社会貢献」で、ボットゥーラは2015年ミラノで開催された万博を機にフードロスと貧困を同時に救うプロジェクト「レフェットリオ」に本格的に取り組みはじめ、一方のアライモは難病に苦しむ子供達への基金作りを目的としたチャリティ・ディナー「イル・グスト・ペル・ラ・リチェルカ」をすでに15年連続で主催している。司会のジャーナリスト、ダヴィデ・パオリーニが紹介するやいなや、ボットゥーラは例によってエネルギッシュなジェスチャーを交えながら熱く語り始めた。
「わたしもマッシミリアーノ・アライモもミシュランの星とか表彰とかランキングとか、人生の中で多くのものを受け取ってきました。でも、これからは今まで受け取ってきたものを社会に返す時期に来たのではないかと思うのです。わたし自身が多くの人のおかげでいまこうしているように、これからは誰かを育ててゆくべきだと思います。」
そもそも「レフェットリオ」開催のきっかけはローマ法王フランシスコからの一本の電話だった。2015年ミラノ万博のテーマは「地球に食料を、生命にエネルギーを」であり、法王フランシスコは貧困に苦しむ人々を料理の力で救えないかとボットゥーラに相談したのだ。キリスト教の「喜捨の精神」に基づく共通理念の下、ボットゥーラには多くの人々や申し出が集まりはじめた。アンジェロ・スコーラ・ミラノ大司教と慈善団体カリタス・アンブロジアーナは、荒れていたミラノの教会をボットゥーラに無償提供し、多くの建築家や企業の協賛によって地元の恵まれない人々に無償で料理を提供する食堂「レフェットリオ」として生まれ変わったのだ。「レフェットリオ」とは聞きなれない言葉だがこれは教会付属食堂のこと。中世の修道院を改装したフィレンツェのサン・マルコ美術館には、ギルランダイオが描いたフレスコ画「最後の晩餐」が残されているが、それは昔の修道院の食堂「レフェットリオ」の壁なのだ。  ボットゥーラは「レフェットリオ」でフードロスに対しても取り組み、ミラノの大手スーパーマーケットから賞味期限ぎりぎりの廃棄対象食品を無償で譲り受けることに合意した。こうした廃棄対象食品を使って料理をするのはボットゥーラ自らが電話して呼びかけた世界中のシェフ仲間たちで、全員が二つ返事でボランティア参加を快諾してくれた。万博期間中に参加したシェフはボットゥーラの2人の師匠であるアラン・デュカスとフェラン・アドリアはじめ、エンリコ・クリッパ、マウロ・ウリアッシ、アンドレア・ベルトンといったイタリアを代表するトップシェフたち。 ボットゥーラと親交が深い「イル・リストランテ・ルカ・ファンティン」シェフ、ルカ・ファンティンが「レフェットリオ」に参加した2015年7月にはわたしも取材で同行したが、どんな食材が手に入るのかは当日朝トラックが着くまで分からない。それでもルカ・ファンティンは変色した野菜や傷みかけた果物、硬くなったパンを使って3種類の料理を作った。硬くなったパンはフェンネルのクリームを添えたトスカーナ伝統料理「パンツァネッラ」となり、残り野菜は「ズッキーニとポーチドエッグ、スペックのペンネ」となった。賞味期限ぎりぎりの牛乳と生クリームは「山羊のジェラート、リンゴとメレンゲ」というデザートになった。日本からイタリアに里帰りして「レフェットリオ」に参加したルカ・ファンティンは「どんな食材が来るのか分からないし、とても疲れたけど面白かった」と笑っていたのがとても印象に残っている。その時ボットゥーラはこんな話をしてくれた。  
「若い料理人たちにとってトップシェフたちの指揮下に入り、食材を無駄にせず料理を作るのは非常に大切なこと。それはいつか自分自身が店を開く時に役に立つのだから。」
「レフェットリオ」には貧困とフードロスに取り組むだけではなく、若い料理人たちを育てるという使命もある。参加シェフたちが作った料理や記録は「 Pane e’ Oro=パンは金なり」というレシピとなり、2017年11月に発売されるとイタリアのアマゾンでは瞬く間にベストセラーとなった。「パンは金なり」とは硬くなったパンは料理に再利用できるということで、イタリア料理の根底にある思想「クチーナ・ポーヴェラ=質素な料理」を表現している。硬くなったパンはトスカーナではルカ・ファンティンが作ったパンツァネッラやリボッリータ、エミリア・ロマーニャではパッサテッリに、シチリアではモッリーカとなってイタリア人の日常の食卓「クチーナ・ポーヴェラ」に溶け込んでいるのだ。

「パンは金なり」クチーナ・ポーヴェラにつながるイタリア料理の伝統

「硬くなったパンを全てパン粉にして卵、パルミジャーノ・レッジャーノとともに作るパッサテッリはイタリアの大事な食文化であり、それは食事中に席を立ってはいけない、とおばあちゃんから教わるのと同じこと。子供達にパッサテッリとはなにか?なぜパンを捨ててはいけないのか?と教えるのも大事ですが、現実にも目を向けなければならない。地球上には8億6000万人が貧困に苦しむ一方、毎年13億トンの食品が廃棄されています。それは異常なことです。われわれ料理人はそれに対して行動し、厨房で行なっている作業を日常生活に受け入れられるようにしなければならない。だからわたしたちは全員一丸となって「レフェットリオ」で余剰食材で料理し、曲がったズッキーニや硬くなったパンを使って美味しいといってもえるような料理を作り出したのです。」
実はボットゥーラがフードロスに対して行動を起こしたのは「レフェットリオ」が初めてではない。2012年5月、ボットゥーラの地元モデナを含むエミリア地方をマグニチュード6.0の地震が襲い、甚大な被害をもたらしたのだ。死者7人、避難民3000人、多くの歴史的建造物が被害を受け、パルミジャーノ・レッジャーノの熟成庫も崩壊して約150億円の損害を受けた。パルミジャーノ・レッジャーノは数あるDOP食品の中でも最も厳格な製品検査があることで知られており、地面に落ちて割れたチーズは本来ならば売り物にはできない。そこでボットゥーラたちは震災直後から割れたパルミジャーノ・レッジャーノを復興資金にあてるためDOPパルミジャーノ・レッジャーノではなく「救われたパルミジャーノ=パルミジャーノ・レクペラート」として販売を開始。エミリア地方復興の大きな支援となった。  
「われわれは4ケ月間で奇跡を作り出しました。被害を受け、割れたパルミジャーノはなんと36万個も売れたのです。ミラノ万博ではそうした活動が高く評価され、世界中の人々から料理をしに来てくれ、パーティに来てくれ、と招待されるようになりました。その夏パリのヴェルサイユ宮殿での料理イベントに招かれた時は、イタリア的メッセージが詰まった料理を出したいと考えました。そこで思いついたのが割れたパルミジャーノを使ったリゾット「リゾ・カチョ・エ・ペペ」です。」
イタリアでは本来パルミジャーノの硬い皮も捨てずにスープやミネストローネなどに使うのがクチーナ・ポーヴェラの知恵で、スーパーマーケットでは皮だけでも販売されている。ボットゥーラがつねにいう食材を無駄にしない倹約精神「アンティスプレーコ」は、イタリア人にとってはDNAレベルで染み付いている考え方なのだが、世界中から注目されているシェフであるボットゥーラがあらためて打ち出したことに大きな意味があった。ボットゥーラは同年のロンドン五輪会場でも「リゾ・カチョ・エ・ペペ」を披露すると「アンティスプレーコ」の精神は世界中のシェフや生産者、料理関係者、また政財界などにも影響を与え「レフェットリオ」開催のきっかけとなったのだ。ボットゥーラは2016年に「世界ベスト・レストン50」で世界一になった後、多くのジャーナリストからなにが一番変わったか?と聞かれるたび自分の発言を多くの人が聞いてくれるようになった、と答えていたのだが、それはこうした社会的活動にも大きな影響を与えた。 ミラノの「レフェットリオ」が2015年に完成すると、ボットゥーラは翌2016年リオ五輪の際、ブラジルに「レフェットリオ・ガストロモティーヴァ」を設立した。これは貧困状態にあるスラムの女性たち就労活動を支援する団体「ガストロモティーヴァ」との共同運営だ。2017年にはロンドンに「レフェットリオ・フェリックス」を、次いで2018年3月にはパリのマドレーヌ寺院の中に「レフェットリオ・パリ」をオープン。アラン・デュカスやヤニック・アレノらフランスを代表するシェフたちの協力の元、廃棄対象食材を使って貧困層には無償で提供し、平日は一般人にも有料で食事を提供している。
「ガストロモティーヴァはリオのスラム、ファヴェーラスでの貧困から抜け出そうとしている女性たちの就労支援をしている団体です。彼らはレフェットリオの中に学校を作り、勉強する意欲がある女性たちの支援をはじめました。レフェットリオで学んだあとにレストラン経営をはじめ、今では大成功している女性もいます。ロンドンでは余剰食品に対する活動を続ける団体フェリックス・プロジェクトと協力し、彼らがスーパーマーケットから余剰食品を集めてくれています。「レフェットリオ・パリ」はパリ市長がマドレーヌ寺院の一部を提供してくれ「マッシモ、自由に使ってくれ」といってくれたのです。それは長年非公開だった昔の地下墳墓クリプタで、文化的にも再びマドレーヌ寺院に脚光があたることになったのです。」

次のレフェットリオはアメリカか日本か?

「ロンドンではこんなエピソードがありました。「レフェットリオ」での食事の最後にホームレスの年配の女性が「シェフ、少し話してもいいですか?」と立ち上がったんです。彼女はそれまで何十年も路上生活していたのですが、こんなに美しい施設や美味しい料理は彼女の人生で初めてだった、いま92才だがこのまま死ねたらどんなに幸せだろう、といってくれたのです。全員が涙した感動的な瞬間でした。アラン・デュカスがミラノの「レフェットリオ」を手伝ってくれた時、彼は10年ぶりにフライパンを握りパスタを作ってくれたのですが、あるホームレスの参加者がこんなことをいいました。もちろんデュカスが何者かなど彼は知らないのですが「お前フランス人じゃないだろ」「いえフランス人です」「嘘だ、フランス人ならソースを作るはずでパスタを作れるはずがない!!」パスタを目の前にするとイタリア人はたとえホームレスであっても料理評論家になってしまうんです。」
いまや世界規模で展開されている「レフェットリオ」は食料廃棄大国であるアメリカからの支援の声も多く、「レフェットリオ・パリ」にはサンフランシコにある企業センス・フォースが支援し、アップルCEOティム・クックやスティーブ・ジョブズ夫人も手伝いに来た。「レフェットリオ」を運営する団体「フード・フォー・ソウル」は現在ボットゥーラの妻、ララ・ジルモアが代表を勤めているが、ロックフェラー財団が支援している。ボットゥーラは、以前日本のある大臣から2020年東京五輪にあわせて「レフェットリオ」を日本でも開催して欲しいと非公式の要請があった、と話していたのでそのことをたずねてみた。
「ニューヨークと東京は特別です。なにせコストと場所の問題が大きい。ミラノでは教会が、パリでは市長が全面的に協力してくれたようにまずはハード面が整っていること。ゼロから作り上げるのは現実的ではありません。東京にそんな場所はありますか?もし設備が整った場所があって賛同者がいるのならば明日にでも東京に「レフェットリオ」を開きますよ。
日本でも「レフェットリオ」を開催するという話は現在のところ中断しているがどうやら近日中に第5、第6のレフェットリオが相次いでオープンすることになりそうだ。「まだ詳しいことは言えないが、昨日はフィレンツェ市長とそのことについて話をした」とボットゥーラは語り、「フード・フォー・ソウル」の公式サイトでも第5のレフェットリオ近日公開予定、とある。そしてインタビューした2週間後にボットゥーラはアメリカのメリダ、フィレンツェ、モントリオール、シドニー、エクアドルに「レフェットリオ」を開く計画が進んでいると正式に発表した。  ちなみに現在世界中から「レフェットリオ」でボランティアとして参加したいという声があるそうだが、ロンドン、パリ、ミラノにはすでに希望者のウエィティング・リストがあり、特にミラノはそのリストが千人単位になっているようだ。  2020年の「レフェットリオ」日本開催というのは過去に万博や五輪など、世界が注目する重要なイベント開催時にレフェットリオが増えてきたことを考えるとごくごく自然の流れかもしれない。しかし実現するには乗り越えるべきハードルも多い。ハード面、食材提供者、行政、支援団体、そしてなによりもミラノでは千人単位で参加希望者がいるようにレフェットリオに参加してフードロスに対してなにかアクションを起こしたいと考える熱意溢れる人材。そうしたあらゆる要素が整った時、「レフェットリオ・トーキョー」構想は初めて現実味を帯びてくるはずだ  

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